書名:生きるとか死ぬとか父親とか

著者:ジェーン・スー

 

 

ジェーン・スーさんのエッセイは何冊か読んだことがある。この本はスーさんのお父さんとの思い出や愛憎が綴られたエッセイ。

吉田羊さん主演でのドラマ化をきっかけに手に取ってみた。

写真はスーさんがお父さんにプレゼントされたというパナマ帽のイメージ写真。

 

 

【以下ネタバレ含みます】

 

スーさんが24歳の時にお母さんが亡くなられてからは、スーさんとお父さんは父一人娘一人という限界集落ならぬ「限界家族」に。

一家の中心で扇の要のようだったお母さんを喪ってから、父娘の関係がぎくしゃくしていくというのが何かわかる気がする。

読んでいてもお父さんは何とも掴みどころのない方で、経営していた事業が悪化し一文無しになってからは娘であるスーさんに何かと援助してもらっている。お母さんの生前から女性関係も絶えなかったようで、父親の女性関係を知って不快感をあらわにする場面も何度もあった。

 

私が同じ状況だったら到底援助なんてする気になれないけど(経済的にも精神的にも)、そこは実の親子だからこその切れない絆があるのだろうなと思った。悪いところも信じられないところもあっても、それでも父親として一人娘を愛してくれたこともまた事実。

本文中でスーさん自身が書かれているように、お父さんなんだけど歳のうんと離れた自由奔放なお兄さんのよう。

 

重い内容もたくさん含みつつ、淡々とユーモアを込めて綴られる読みやすい文章。自分の父親だったら嫌だけど、何とも飄々として憎めないお父さん。

ちなみにこの本はお父さんについてかなり踏み込んで書かれているが、それはご本人も了承済み。家賃を援助する代わりにお父さんのことを書くよという父娘の取引の結果がこの本なのだった。

 

数々のエピソードの中で印象的だったもの:

 

●人手に渡った実家

スーさんが子どものころに新築された、四階建てのレンガのビル。一・二階が仕事場で三・四階が自宅だったその建物は、お父さんの商売が傾いたことで実は人手に渡ってしまっていた。もう所有者ではなくなった実家にお父さんが家賃を払って住まわせてもらっていることを知ったスーさんのショックはいかばかりか。苦渋の決断でこの家からの引っ越しを決断する。

断腸の思いで引き払った元実家はその後ほぼ居抜きで信用金庫になってしまい、地域の人が使うコミュニティスペースとしても解放されているらしい。自分達はもう入ることもできないのに、近所の人は気軽に使える。いっそのこと取り壊して更地になってくれてたらという思いが切なかった。

 

●値札をつけたまましまい込まれていたお母さんの毛皮のコート

無駄遣いをするタイプではなかったというお母さんが、ひっそりと買って使うことなくしまい込んでいた毛皮のコート(その他にも値札付きの高級衣料品が何点も)。

その話を聞いたスーさんのお友達いわく、「おばちゃん、さみしかったんだよ」

お母さんがさみしかったこと、そのさみしさをお金で解決していたことを薄々気づきながらも避けていたスーさん。値札付きの衣服はそのことを改めて浮き彫りにしてしまったのだろう。

 

この本の執筆で改めてお父さんと向き合うことで、お母さんが家族の中心となって父と娘を繋いでいてくれたことを再確認されたスーさん。

お父さんの話であるとともに、お母さんのお話でもあり家族3人のお話でもあった。

愛だけじゃない、でも憎しみだけでもない。