偏差値60台から神童たちを追い越す方法
3年生の1年間を経て別人になった暴れ馬。算数の偏差値は60を超え、塾の新4年生の最上位クラスにまでたどり着いた。
だが、塾に通っているのに、少しずつ成績が下がっていった。
このとき私は勉強に基本ノータッチだった。
夏休み、私たちは勉強そっちのけで旅行に出かけた。
一回目の旅行は新幹線で京都へ行き、京都と奈良に何泊かした。新幹線は速すぎて車窓をちっとも楽しめなかった。
そこで、私たちは青春18切符で再び旅行に出かけた。名古屋、関ヶ原、彦根城、姫路城、福山城、原爆ドーム、安芸の宮島、岩国、博多とゆっくりとさまざまな景色を楽しみながら、旅をした。
帰路は高松から暴れ馬生まれて初の寝台特急に乗った。
私は旅の終わりに、退塾することを暴れ馬に提案した。そして、提案を受け入れた暴れ馬は夏休みで退塾した。
9月からは私が算数、理科、社会の勉強を教えた。
算数は全範囲を網羅した参考書1冊と、薄い計算問題集2冊を全て3回ずつ繰り返した。適度なボリュームの教材を短期間で何度も繰り返すことこそが、神童たちを追い越すことのできるたった一つの方法だと思う。
理科も簡単な参考書と問題集を3回ずつ繰り返した。
社会は予習シリーズ4年上・下と演習問題集上・下を1回やった。
国語は漢字しかやらなかった。読解は暴れ馬の精神年齢があまりにも低すぎて教える気にさえならなかった。
1月に行われた新5年生のサピックス組み分けテストの結果は、算数が6000人ちょっとの中で上位1%以内に食い込んだ。偏差値は軽く70を超えた。
理科と社会の成績もなかなか良かったが、国語の偏差値だけは40台だった。それでも余裕でαクラスに入った。
ちなみに同じ時期のじゃじゃ馬よりもだいぶ成績は上だった。
ただ、じゃじゃ馬の名誉のために言えば、じゃじゃ馬もαクラスには入っていた。
暴れ馬の成績は中学受験が終わるまでの間でおそらくこのときがピークだろう。
なぜなら、私はもうべったりと暴れ馬に勉強を教えるつもりがないからだ。
理由は非常にシンプルだ。それは中学受験がゴールではないからである。
暴れ馬を最難関校に入れるだけなら、おそらく可能であろう。
しかし、私が主役のまま暴れ馬が最難関校にたどり着いたとしても、それでは意味がない。それよりも暴れ馬が主役となって、たとえ最難関校ではなかったとしても自分の力でたどり着くことにこそ意味があるのだ。
そうすれば、暴れ馬は自分の力で、この先の人生も歩んでいける。
2020年度からの大学入試制度改革で、どんな改革がなされようとも必ず勝ち抜いていけるだろう。
二人目の子育てはとても冷静だ。私もじゃじゃ馬のときは下克上受験の桜井さんや昨年の桜道のお父様のように受からせてやることこそが親の役目だと思っていた。だが、そうではない。生きていく力をつけてやることこそが親の役目だと思う。
そのためには何でもしてあげられる立派なパパではなく、私はポンコツパパでなければならない。つまり駄馬でなければならないのだ。
もちろん、暴れ馬が自分の力で最難関校にたどり着くのが理想ではある。あとは暴れ馬次第だ。
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だが、塾に通っているのに、少しずつ成績が下がっていった。
このとき私は勉強に基本ノータッチだった。
夏休み、私たちは勉強そっちのけで旅行に出かけた。
一回目の旅行は新幹線で京都へ行き、京都と奈良に何泊かした。新幹線は速すぎて車窓をちっとも楽しめなかった。
そこで、私たちは青春18切符で再び旅行に出かけた。名古屋、関ヶ原、彦根城、姫路城、福山城、原爆ドーム、安芸の宮島、岩国、博多とゆっくりとさまざまな景色を楽しみながら、旅をした。
帰路は高松から暴れ馬生まれて初の寝台特急に乗った。
私は旅の終わりに、退塾することを暴れ馬に提案した。そして、提案を受け入れた暴れ馬は夏休みで退塾した。
9月からは私が算数、理科、社会の勉強を教えた。
算数は全範囲を網羅した参考書1冊と、薄い計算問題集2冊を全て3回ずつ繰り返した。適度なボリュームの教材を短期間で何度も繰り返すことこそが、神童たちを追い越すことのできるたった一つの方法だと思う。
理科も簡単な参考書と問題集を3回ずつ繰り返した。
社会は予習シリーズ4年上・下と演習問題集上・下を1回やった。
国語は漢字しかやらなかった。読解は暴れ馬の精神年齢があまりにも低すぎて教える気にさえならなかった。
1月に行われた新5年生のサピックス組み分けテストの結果は、算数が6000人ちょっとの中で上位1%以内に食い込んだ。偏差値は軽く70を超えた。
理科と社会の成績もなかなか良かったが、国語の偏差値だけは40台だった。それでも余裕でαクラスに入った。
ちなみに同じ時期のじゃじゃ馬よりもだいぶ成績は上だった。
ただ、じゃじゃ馬の名誉のために言えば、じゃじゃ馬もαクラスには入っていた。
暴れ馬の成績は中学受験が終わるまでの間でおそらくこのときがピークだろう。
なぜなら、私はもうべったりと暴れ馬に勉強を教えるつもりがないからだ。
理由は非常にシンプルだ。それは中学受験がゴールではないからである。
暴れ馬を最難関校に入れるだけなら、おそらく可能であろう。
しかし、私が主役のまま暴れ馬が最難関校にたどり着いたとしても、それでは意味がない。それよりも暴れ馬が主役となって、たとえ最難関校ではなかったとしても自分の力でたどり着くことにこそ意味があるのだ。
そうすれば、暴れ馬は自分の力で、この先の人生も歩んでいける。
2020年度からの大学入試制度改革で、どんな改革がなされようとも必ず勝ち抜いていけるだろう。
二人目の子育てはとても冷静だ。私もじゃじゃ馬のときは下克上受験の桜井さんや昨年の桜道のお父様のように受からせてやることこそが親の役目だと思っていた。だが、そうではない。生きていく力をつけてやることこそが親の役目だと思う。
そのためには何でもしてあげられる立派なパパではなく、私はポンコツパパでなければならない。つまり駄馬でなければならないのだ。
もちろん、暴れ馬が自分の力で最難関校にたどり着くのが理想ではある。あとは暴れ馬次第だ。
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