《海洋王国オランダの黄金時代、日本との関係》
スペインからの独立戦争中、1602年に東インド会社を設立。イギリスの東インド会社とは異なる。
世界初の株式会社であり、通貨を発行し、軍隊も所有していた。
他国と条約を結び、植民地を統治する権限もあった。
16世紀、ポルトガルはすでに東南アジアに植民地を持っていた。
17世紀、オランダはポルトガルから貿易を学び、のちにその利権を奪いとることに成功した。
1652年、東インド会社はアフリカの喜望峰に拠点を置き、ケープ植民地を作った。
1799年まで約200年もの間東インド会社は続いた。本社は現在のアムステルダム大学である。
〜日本との関係〜
1628年 浜田弥兵衛事件が台湾で起こる
オランダは東南アジアへ進出後、台湾でも貿易をはじめる。
しかしオランダよりも早くから日本と中国で貿易をしていたため、利益がぶつかった。
1625年から、オランダ政府が日本商人に10%の課税をはじめた。しかしオランダよりも先に台湾で貿易をしていた日本人が課税を受け入れるわけがなく、日本人は課税を拒否、両者の紛争となる。
日本の商人は徳川幕府に助けを求め、浜田弥兵衛が兵と大砲を持ち込んでオランダの台湾長官を人質にとり、両国間の貿易は一時停止された。
その後1632年に貿易は再開された。
日本もオランダに強く対抗していたんですね〜!
今の日本は牙を抜かれた獣のようですが、、
次回は、日本の鎖国時代のオランダとの貿易について学びます♪