2004年
2月頃にMFC3のロケテストのため、サントロぺ池袋へ行った。
この時期までは調子がよく、勝率は26%台と当時のMFCでは弱かったが
金珠も150個台に達し、地域ランキングも岐阜24位の自己記録を更新した。
(岐阜24位は今日までの自己最高)
ここが頂点であった。
3月に入り、連敗が続くようにナル。
4月にMFC3が入荷されるが、連敗は留まることを知らず
金珠は一気に70個以上なくなった。
地域ランキングも夏までに岐阜75位までに落ちた。
腕はMFC1参入当初よりはマシだったが、まだまだ弱かった。
そして、戦績の向上が必須だった。だが、完全に頭打ちだった。
どうでも良いが、MFC3の自家リーチ音楽を聴くと
いつも、当時連載されていたキン肉マン2世に出ていた
リボーンアシュラマンを思い出す。
また、3月から大学で研究室に入ることになり
以降3年間研究室生活を送ることになる。
私の先生は自由主義の人で、やることさえやっていれば
いつ学校に来るかはすべて自由という方針だったため、
しょっちゅう平日の昼間にMFCをやってイタ。
10月頃、ここまで1年ほど当時の半荘リーグで
A1を52回連続していた。
もともと連続維持するつもりはなかったのだが、
この当時は学生の自由時間の多さに身を任せ
かなりの時間を打っていたので、ptを毎週叩きだすことができたのだ。
しかし、遂に陥落の時が来た。
ある週に100半荘以上打ったが、とうとうptを出すことができなかった。
いかに麻雀にハマっていた私と言えども
一週間で100半荘以上はかなりきつかった。
また、その週はおかげで1週間ほとんど大学にいかず
研究の進度も止まってしまったため
翌週は休みなしで大学に行っていた。
こんな自堕落でも何も言われなかった、私の研究室はある意味ですごい。
11月頃、転換点が訪れる。
Web上でとつげき東北氏のサイトに行き着いたのだ。
以前から書いているが、このサイトに来て目から鱗が落ちた。
そして、麻雀戦略における「統計」の重要性を知ることになる。
12月に「科学する麻雀」が発刊された。
私、早朝のバイト終了後に東京池袋の巨大書店・ジュンク堂で
発刊当日に買いに行った。
年末年始に家帰った時も、じっくり精読し己の戦略を練り直した。
2005年
1月、「科学する麻雀」をもとに初期型の特攻リーチ打法を考案する。
そして、MFCにて実践投入を行ったが、結果がおもわしくなく
3月に中断する。
そして、さらなる研究により「目の腐る仕掛け」を組み込んだ
特攻リーチ打法ver2.0を開発し、実践投入を行う。
4月にMFC4移行。
勝利の数が明らかに増えており、腕が上がったことを実感した。
9月30日、ver2.0で1000戦を終え戦績が向上していることを確認した私は
一旦、ここでMFCを引退した。
最強とは言えなかったが、しかし自分の腕にそれなりに満足した。
そして、麻雀熱が以前より冷めた自分がいるのがわかった。
全盛期の頃は一日12時間MFCを鬼打つのを
2日続けてもまったく平気であったが、
この年の夏頃にもうそこまで打つ気力が無くなっていることがわかった。
だから、MFC引退のし時だと感じたのだ。
以降は、MFCでは打たずハンゲームに主戦場を移すことになる。
2006年
3月、データ保存とMFC5へのデータ移行のため、一戦だけ打つ。
9月、本格復帰する。ネット麻雀は操作性が悪くイマイチなじめなかった。
MFCはテンポの良さに優れている。
この時期は既に麻雀にどっぷりという時期ではなかった。
楽しみの一つであった。
それでも"最強"に向かって何をすべきかを考えながら打っていた。
が、長らく答えは見つからなかった。
2007年
2月、海外旅行から帰ってきた成田から向かったのは
自宅ではなくゲーセンであった。
3月30日、就職による引っ越しのため
長らく打ち続けてきたGC川口を後にする。
4月にMFC6へ移行する。
連敗することもあったが、全体的には勝ち越していた。
2008年
冬に今通っていた、TS小田原に移る。
夏ごろ、MFC7が導入される。
今でもMFC7がMFCの完成形だと、私は思っている。
歴代MFCの中でも、システム、演出、音楽、等総合的に見て
一番気に入っている。
2009年
特攻リーチ打法を4年ぶりに改訂する。(ver3.0)
2月、当ブログを開設した。
今までの記録を残しておきたいと思った。
ver3.0は明らかに効果があった。
岐阜県50位台で安定した地域ランキングが
一気に30位台にまで上昇した。
10月頃、ver3.0で1000半荘で平均順位2.31位台を叩きだした。
当時、ほとんど最強レベルと言えたと思う。
11月に半荘黄龍ランカーランクイン。
学生時にも黄龍ランカーになったことはあったが、
明らかにMFC時間が減った社会人時代でなれたことは
大きな進歩であった。
戦績上はここが全盛期であった。
12月に我龍導入。
2010年
3月頃から、戦績に暗雲が立ち込めるようになる。
そして、今期金珠数-40個をMFC3以来6年ぶりに記録してしまう。
最強レベルに達したはずの特攻リーチ打法ver3.0が通用しなくなり、
改善をせまられていた。
2011年
1月にver4.0を開発。実践投入。
12月に有効性を確認する。
MFC、麻雀は単なる遊びと言えばそれまでだが、
しかし、恥ずかしながらワタクシ相当没頭してきた。
特に前半、特攻リーチ打法に行き着くまでは
自分の実力をあげるのに四苦八苦していた。
だが、こういう経験を経て学んだことが2つある。
①統計的に考える重要性
麻雀戦略の基礎は統計である。
これをもとに組み立てたところ、勝てるようになった。
そして、これは麻雀に限らずあらゆる分野に
適用できる考え方である。
②感情の起伏に負けない心
有効な戦略であっても、継続しなければ意味が無い。
連敗が続くことはどんな強者にもアル。
だが、強者はそれが一時的であり最終的には自分が勝ち越すことを信じている。
だからこそ、強者は強者なのだ。
弱者は連敗することで気分が沈むと、自分の戦略を疑い始める。
そして、有効な戦略を放り投げてしまうのだ。
有効な戦略を連敗しようが連勝しようが、石にかじりつくように死守するということが
どんなにきついことかがわかった。
そして、それをどういう風に乗り越るべきかがわかった。