スピリチュアル+GAY+エイズ作家の視点・ブルードルフィン

スピリチュアル+GAY+エイズ作家の視点・ブルードルフィン

小説ブルードルフィンはGLBT小説家としてのデビュー作。GAY+スピリチュアル著述家としての視点でGLBT関連の記事を書いています☆

 
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ハワイを舞台にした長編恋愛小説


「ブルー・ドルフィン」

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太平洋の楽園ハワイ。

蒼く美しいワイキキのビーチとクラブシーンを舞台にして繰り広げられる、二人のゲイの男性とトランジェンダーの人生の中で繰り返される混乱と喪失。

恋人をエイズで失ってしまった青年の苦悩と孤独。

華やかなサーキット・シーンという迷路の中で漠然とエキサイトメントを探し続ける青年。

完璧な女性になれば幸せになれると思っていたトランスジェンダーの痛みと葛藤。

艶やかで色鮮やかに綴られる現代のクラブシーンと、息を飲む程に美しい青い海原。

ハワイアンの伝説とスピリチュアリティーを絡めた物語は、目に見えないスピリットの世界を融合し、時間と空間を超え、それぞれの探していた愛の形へと向かって昇華する—。

青年期から壮年期への移行を通じて再生する魂たちの姿を、楽園の光り輝く海原と共に描いたファンタスティックな長篇恋愛小説。


愛の島の呼び声を聴いたなら、誰ひとり、その誘惑には逆らえない。


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アロハ

久しぶりのブログです。

Facebookで私のページを読んでいる方は、先日ようやく英語版で原作の「フィフティーシェードオブグレイ」を読み終え、最後で震撼したこと、そして映画を観に行きたいけどためらっていることを知っていると思います。

そして私は意を決して映画を観に行きました(笑)


私の中には予感というものがあります。

原作を読んでなかった頃は映画を楽しみにしていました。

それは内容を全く知らなかったから。

プロモーションで内容的にはSM的フェティッシュな世界だとは知っていましたが、それだけ。

小説を書いた人として、原作を読んでみようと思い立ち、英語版を読み始めました。

小説を読もうと思ったキッカケは、次の小説のための勉強というか、他の著者がどういう風に書くのか興味を持っているからです。

小説「ブルードルフィン」は小説を書こうと思って書き始めたのではなく、気が付いたら小説になっていて、書き終わってしまったという代物です。

若い頃から小説家になりたかったわけでもなく、大学で文学を学んだわけでもなく、小説家になるためのワークショップやセミナーに出たわけでもありません。

若い頃には小説をまぁまぁ読んでいましたが、 特別に活字中毒でもなく、小説好きでもありません。

なので他の作者がどういう風に文章を綴るのか、どういう風に作り上げるのか興味があるわけです。

特に小説の場合は、著者のスタイルというか、どういう風に文字を綴るのか、どういう感じで描写するのかに興味がありました。

 私はやや論理的な頭の人で、どのような作品でも「構造」がわからないと不満足になってしまいます。

例えば「つじつまが合わない」とか「理解するための要素に欠ける」とかに関して敏感に反応してしまうのです。

それは映画でも小説でも「わからなければ消化できない」から。

そして小説でも映画でも、どこかで感情的に動く場面がないと面白く感じません。

読むにしろ観るにしろ、作品のどこかに共感することができれば、心は動くし、感動したり、驚愕したり、震撼したりすることができる。

しかし作品が提示する世界に入り込むことができなければ、だらだらと進むだけで面白くない。

「フィフティーシェードオブグレイ」の場合は、読む前からあまり期待していませんでした。

それはSM的なフェティッシュ世界を売りにしていて、個人的にわざわざ小説でSM+フェティッシュを読みたいと思ってない人だからです(笑)

しかしこの部分は小説を読み始めてバッサリと裏返しにされました。

小説「フィフティーシェードオブグレイ」の中で描かれているのは、私が想像していたSM+フェティッシュではなかったのです!

思い込みとは空恐ろしいもので、今まで観てきた映画やらチラ読みしてきた小説の中のSM+フェティッシュがいかにステレオタイプな思い込みなのか唖然とさせられました。

小説の中のSM+フェティッシュは、痛みや苦痛ではなく、徹底的に快感と法悦感で貫かれている。

世界中で大ヒットし、数え切れない読者ファンを獲得できた理由は明確でした。

まず話の基本はシンデレラ物語。

大学で文学を専攻した主人公のアナスタシアは、世間を知らない初心で無垢、卒業まじかな大学生。

ジャーナリズム専攻のルームメイトに変わって若くしてビジネスを成功させた億万長者のクリスチャン・グレイのインタビューに出かける。

彼の社長室で出会った二人は、お互いに一目惚れして惹かれ合う。

若く美しく、そして魅力的な億万長者の住む世界は、普通の女子大学生からみると全くの別世界。

彼女が好きな作家の初版本を送ってくるわ、ラップトップコンピューターが届く、卒業祝いには新車をプレゼントされる。

しかし蓋を開いてみたら私生活ではSM+フェティッシュな世界に生きる男だった・・・。

当然のことながら、SM+フェティッシュがいったいどんな世界なのか皆目検討もつかない彼女は戸惑います。

しかしながらクリスチャンの甘い魅惑に逆らえきれず、少しずつ彼のSM+フェティッシュ世界に足を踏み込んでいく。

そこで彼女が経験するのは快感とエクスタシーの世界。

クリスチャンが与えてくれる大波のような法悦感の中で性に目覚めたアナスタシアは、もっと近づきたいと願うようになる。

しかしクリスチャンは彼女から触られることを好まない。

グレーの瞳の奥には人に知られたくない暗い過去がある。

それが彼のSM+フェティッシュ世界の根底。

クリスチャンを愛し始めた彼女は、ただのセックスではなく、愛したい、愛されたいと願うようになる。

しかしクリスチャンは彼女の愛を抱えきれない。

彼が知っているのは愛ではなく、愛に似たもの。

愛に最も近い、セックスを通じたエクスタシーの世界だけ。

小説を読み始めてまず考えたのは、話の筋がいったいどういう風に進み、どういうクライマックス=結末を迎えるのかでした。

小説ですから話に筋がなければ、ただ延々とSM+フェティッシュなセックス場面ばかりが続いても、最初は面白くても、次第に慣れてくるし、飽きも入ってきて興味は薄くなってしまいます。

SM+フェティッシュな場面は想像していたほどハードなものでも、意外なものでもなく、 ややソフトな感じでした。

セックス描写はグラフィックで濃密に描かれているのだけど、決してグロくないし、エロというよりは美しく濃密なもの。

普通に手が届く範囲のソフトなSM+フェティッシュのレベルなので、さほどの抵抗はありませんでした。

読みながら、この範囲のSM+フェティッシュで世間が騒ぐわけ? と疑問に思ったくらいです。

基本は恋愛ものです。

第1作目に登場するSM+フェティッシュは刺身のツマのようなもので、普通の恋愛話には登場しにくいツイスト的なオマケといってもよいでしょう。

この小説が私を飲み込んだ部分はSM+フェティッシュではなく、二人の間に生まれる肉体を通じた逆らいがたい磁力でした。

主人公はアナスタシアで、書き方のスタイルも彼女の視点からみた一人称の世界。

そこに映し出されるのは、暗いグレーの瞳をもつクリスチャンの姿。

若くして億万長者になり、欲しい物は全て手に入る男。

しかし彼はどこか得体の知れないダークさがある。

彼の過去の傷を薄々と感じとったアナスタシアは、もっと彼のことを深く知りたい、もっと深く繋がりたいと願うようになる。

ただのセックスを超えて、さらに奥深いところ、心で繋がりたいと思う。

しかし彼にはそれができない。

自分の全てをさらけ出したなら、きっと彼女は逃げ去ってしまうだろうから。

この部分が話のミソで、読みながらこの二人がどうなるのか知りたくなるわけです。

SM+フェティッシュなセックスシーンに関しては、際どさというより、少し普通じゃないシチュエーションが刺激的なくらいです。

もっと過激な性描写はたくさんあるから、別に・・・・でした。

セックスのシチュエーションよりも読み手として引き込まれてしまったのは、枯渇に近い、満たされたい+充したい、お互いに渇望されたいという欲求です。

もっと自分を欲してほしい・・・。

この部分が鮮烈でした。

「We aim to plase. 」

二人でお互いに求めあうだけだ。

表面的にはSM+フェティッシュなセックスが甘い媚薬のように映るのですが、それは表層的なものです。

彼女はSM+フェティッシュなセックスが与える快楽はなんとなくわかった。

でも「普通に愛されたい」と思う。

そしてクリスチャンの心の奥にある痛みと向き合う決心をする。

彼の痛みがわかれば、それを体験しきることができれば彼のことを理解できる。

きっとそれを乗り越えて、包み込むことができる。

愛し切れると・・・。

この最後の部分は震撼しました。

読みながらページ数も少なくなり、いったいどういう結末で終わるのか気になりだし、いろいろと想像しました。

物語のクライマックスとしては大げさでもなく、大どんでん返しもない。

結末に向かって心構えする準備も感じさせずに山場に入り、一気に読ませ、いともアッサリと終わってしまいました。

グーの音を吐かせる隙間もないほど赤ら様に、ストンと終わった時の得体の知れない凄さは言葉にできません。

エっ・・・? こんなのアリ? 

でもこれしか無いですよね・・・?

納得です・・・。

著者は女性です。

彼女が描き切ったのは、男と女の溝とかではなく、男と女のセックスを通じた性の快楽でもないもの。

 愛の姿なのだけれど、愛というには歪(イビツ)で、それでいて、どこか測り知れないほど透き通ったもの。

赤い血に似た赤ワインの注がれたグラスを口に運ぶと、最初は甘く美味しく喉を潤すけれど、飲めば飲むほど枯渇し、もっと注ぎ込んで欲しくなる。

そのうちに体の中が燃えるように熱くなる。

あまりの熱を通り過ぎ、それに耐えきれず、いともアッサリと木っ端微塵になってシャラシャラと細かな音を立ててもろく崩れ落ちる。

読み終えてしばらくのあいだ、ポカンと口を開けたまま唖然としていました。

正直なところ、読み始めて中盤までは、所々でウザいと思う箇所もあり、最後まで読み通す自信が何度か薄れたのです。

しかし半ばから何かが肌に染み込み始め、後半はズルズルと読み入ってしまいました。

こりゃぁ世界中で大ヒットして当然です。

女性だったらハマるはず。

というか、ハマって当然だと思います。

原作を読み終えてスグさま「こりゃぁ映画は期待しない方がよいカモ?」と思いました。

この小説を映画化するのは極めて困難でしょう。

いったいどういう風に映像になるのか想像がつきませんでした。

まず話として一般的な映画の作りには適していません。

映画のストーリー展開に当てはめるには、基本の流れが平坦すぎるのです。

セックスの場面を追っていくにしても、セックスだけじゃ映画にならない。

セックス場面の撮影そのものは難しくないと思いますが、よほど丁寧に作りこまないと、きっとズサンになってしまうでしょう・・・。

それだけ原作がきめ細かいとうか、微細な部分が多いのです。

そんな原作の要素から、映画としてどういう風に話を盛り上げて形にするのか疑問に思いました。

+ふんだんに登場するセックスシーンをどこまで汲み取れるのか?

きっと原作を生かしきれないだろう・・・。

シーンとして想像はできるけれど、ただエッチしている場面を写されても、その中での体験、体感、感情という目に見えない部分をどう表現するのだろう?

これを映像だけで描き切るのは至難の技です。

今まで数えきれないほど映画を観てきたので、どういうことになるか容易に想像がつきました。

わたし的には、まず無理だろうと思いました。

映画と小説の決定的な違いは、映画で感情を映し出すのは簡単ではない部分です。

感情というのは積み重ねられて大きくなるものです。

映画の中では、よほど丁寧に計算して運ばれないと、分からない、または分かりきれない場合が多いのです。

特に微細な感情の動きは、いくら演技がうまくても、全体として完成されてないとツギハギになってしまうのが常です。

この部分は演技がうまくても、エディティング(編集)がそれについていってないと観ている側には伝わってきません。

映画を観に出掛ける前に、ロテントマトという映画票のサイトでは最低の1で、批評には「原作には敵わない」とハッキリ書かれていました・・・。

それでも小説世界がいったいどういう風に映像化されたのか興味を捨てきれず、ダメでもともと的に見に行ったわけです。

 とにかく期待せずに観ましょう・・・。

まず最初に引っかかったのは「光り」。

出だしからライティングが明るすぎて、 こりゃダメだと思いました。

明るいから美しく見えるのですが、綺麗に出し過ぎ(笑)

プロダクションも爪が甘いし。

セット撮影だとスグに分かってしまうところも残念。

部屋の中のセッティングもリアリティーに欠けていて現実感が低いんです。

生さがないというんですか?

生活感のないセットほど違和感を感じるものはありません。
  あ~た、テレビのシットコムと同じレベルじゃダメでしょう・・・・。

舞台がシアトルなので、もっと地元のロケーションを出すかと思ったら、シアトルという雰囲気すら極端に薄いのにもガッカリしました。

地元の人が観たら、シアトルな感じしないよね・・・ガッカリ・・・と思うでしょう。


主演女優のダコタ・ジョンソンは美しいです。

ある意味で美し過ぎる・・・笑

演技の方は微妙・・・。

演技を感じさせない部分も多々ありますが、そうでない場面も多々あり、演技が上手いのか下手なのか分からない・・・。

主演男優のジェイミー・ドーマンも美しいです。

特に鼻筋が美しい☆

彼の鼻筋と目だけでも観る価値あるかもしれません。

この方はモデル出身にしては演技は普通にうまかったです。

残念だったのは、最初と最後で雰囲気が違うところ。

最後の方はとても良かったんですが、最初からそのクオリティーで登場してくれればスンナリ受け取れていたと思います。

特に最後の方がよりセクシーでした。

基本的にこの二人の組み合わせには問題無し。

とても上手くカップリングしましたネ。

観ていてホレボレ・・・・。

そして問題の話の筋です(笑)

場面と場面の間で辻褄が合わない、脈絡がない箇所が多すぎます(笑)

エ? どうしてイキナリこうなるの?

私は原作を読んで行ったので分かりましたけど、読んでない人が観たら、エ? な部分が連続するでしょう。

大問題だったのはアナスタシアの感情の動きがスムーズに表現されてなかった部分。

セクシーな大金持ちに恋に落ちる部分は問題なし。

しかし、セックスを重ねるごとに彼女は混乱して、落ちて悩むわけですが、その部分に一貫性がないので、よく分かりませんでした。

あ~た、どこまで真剣に悩んでいるの? と疑問符が・・・。

そして話題になるべきフェティッシュなセックスシーンですが、別に驚きませんでした。

観ていて興奮さえしなかった(笑)

これは完全にライティングの失敗です。


とにかくライティングに深みがないので、重みを感じなんです。

当然のことながら生な感じがしないので、リアルに感じない。

役者たちは十分にセクシーなのですが、それに頼ってちゃダメでしょう・・・・。

 アナスタシアがヴァージンを失うシーンですが、これは大疑問でした。

エ? こんな感じで終わってしまってよいんですか????

初体験でしょ?

小説ではとても丁寧に描かれていたのに、アレ?

リアリティー無し・・・・怒

映像として最も不満足だったのは、セックスしているのに、お互いが興奮している部分、お互いに飲めり込んでいる姿が観えないんです。

しかも場面によっては変に浮き上がっているように見えてしまう。

最もナンセンスだったのは、クリスチャンのジーンズ・・・・。


男として目の前にエッチしたい美しい女がいて、ズーンズが勃起してないのは変じゃないですか?

しかもズーンズのチャック部分がなんども登場するのに、一回も盛り上がってないのは可笑しいです。

例として、映画セックス&シティー2の中では、サマンサと絡む男のパンツが勃起している場面がありましたが、それくらい出すべきだったと思います。

役者が勃起してなくてもディルドを使えばできるでしょうに!

ここいら辺は現実感が全くありませんでした。

次にナンセンスだったのはアナスタシアの肌。

エッチしているんだから、熱を持って濡れてて当然なはずなのに、ドライなんです。

例えば、クリスチャンがアナスタシアの股間に手の先を差し込むシーンがあるのですが、横から撮影されていて、きわどい部分は彼女の太ももで見えません。

その後に、彼の指先が濡れている場面を見せれば彼女の体に何が起きているのか簡単にわかるのに、そういう部分が全くない。

メイクも疑問。

もともと美しい女優さんですから、スッピンだしてもよいくらいなんですけど、メイクに変化が少ないので、彼女そのものが変化している感じがあまりしませんでした。

ファッションに関しても全く同じ。

着せ替え人形的というか、何かがシックリこないんです。

洋服を着こなしてない感じというんですか?

ただ着せられました、歩きました・・・。

一体化してないでしょ・・・・残念

処女を失ってセックスを重ねるごとに女になっていくハズなのに、逆に少女に戻っているように見えた場面がなんどあったか・・・。

そしてクライマックスの鞭打ちシーンですが、途中までは良かったんです。

しかしソフト過ぎて痛みが伝わってこないのでした・・・。

そして終わり方ですが、唐突すぎ。

小説ではアナスタシアは自分のコンドに戻り、そこで崩れる場面で終わるのですが、映画版はエレベーターに入ってドアが閉じ、それで終了。

この唐突過ぎる終わり方に、後ろで見ていた女性客の多くは大笑いしていました。

大笑いですよ・・・。

女性の目から見て大笑いですから、これは失敗でしょう。

本当だったらアナスタシアの傷心さを可哀想と思わせなければいけないのに、笑われてしまった・・・。

映画館を出て思ったのは、この作品に女性監督を起用したのが失敗の元だったのではないかということ。

この手の内容だったら、女性とセックスを描くのが極めて上手い、キムベーシンガーとミッキーロークの「ナインハーフ」を監督したエイドリアン・ラインとか、「レッドシューダイアリー」のザルマン・キングという男性監督を起用したほうが正解だったと思います。

「ナインハーフ」は随分と昔の映画ですが、基本的には同じような設定です。

こちらのほうが迫力あるし、 よく計算されているし、プロダクションも撮影もライティングも格段に素晴らしいです。

「ナインハーフ」を観終わって笑う人はいなかった・・・。

「ナインハーフ」と比べると「フィフティーシェード」は全く比べものにならないお粗末さです。

監督としての視点は、男性と女性では観点が大きく違うのだとよく分かりました。

女性に底はかとなく魅惑されている男性は、女性を描くのが上手いとしか思えない。

逆に女性監督の場合は、別の視線で捉えている。

その視点は肉体的な重い部分ではなく、見た目の美しさとか、清楚さとか。 

全体的にアッサリし過ぎていたと思います。

小説では、クリスチャンに溺れてしまうわけですから、本当ならクリスチャンの色艶がもっと表現されているのが当然なはずなのに、そこも甘かったのかもしれません。

女性の観客がのめり込めなかった理由は、アナスタシアに自分を写し込めなかったからなのは明確です。

自分がアナスタシアになった気がしなかったのでしょう。

どこか自分と映画の中に一線を感じるのです。

私は共感体質なので、たいがいの映画ならスンナリ役者と同化して観てしまう方です。

その私でさえ、絶えずどこかが冷めていました。 

映画の中でアナスタシアと繋がったのはクライマックスの中の一瞬だけ。

映画版を観てから原作者のことを考えました。

著者は脚本に加わっていて、彼女自身もかなり関わっていたわけですが、でき上がりがこれですから、そうとうショックだっただろうと思います。

公開前の著者のインタヴューを観たのですが、著者として映画を大推薦できるように言わなかったので、本人も分かっていたのだと思います。

フィフティーシェードは三部作の一作目で、この後に二作が続くわけですが、映画として二作目、三作目が登場するのかは大疑問です。


ということで、この映画を観るのであれば、まず原作を読むことを勧めます。

そして映画を観るときは、映画の中に頼らずに、自分の頭の中で小説世界と融合させて、不出来な部分に引っかからないようにすること。

映画の中で良かった部分は、文字ではあまり描かれてない部分、建物とか、インテリアとか、ファッションとかでしょう。

文字では解りにくい部分も、映像で観たほうが解りやすかったところもあります。

どちらにしても私は小説版を勧めます☆

そして同じ小説を読むのであれば「ブルードルフィン」を勧めます☆

こちらの方がドラマチックなのは確かです(笑)


 Amazon読者レヴュー5つ星

★★★★★ 

イルカと泳ぎたい

ゲイの恋愛小説始めて読みましたが、不思議な小説で、恋愛だけでなく自分の解放や命の物語でした。

ハワイにいるような感覚になったり、自分の体験とオーバーラップしたり。

ハナレイのように自分の死期が分かり迎えに来る人がいるのは、死ぬ側も看取る側もとても幸せですね。

羨ましかったです。



☆まだな方は是非お読みになってください☆

http://www.amazon.co.jp/Blue-Dolphins-Hiroshi-Makäula-Nakae-ebook/dp/B00LMV0UUQ/ref=sr_1_1?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1404900402&sr=1-1&keywords=blue+dolphins

アロハ

ここ最近はホームページ作りに専念しています。

小説「ブルードルフィン」と「eCards カードが伝える神託の言葉」のホームページに続いて、今までの著作のホームページも解説しました☆

次に取り掛かるホームページは「エネルギーヒーリング基礎コース」

その後に続くのが「クレアヴォヤンス基礎コース」のホームページ。

そして「意識の光」のホームページという具合に進める予定です。

昔はホームページがあったのですが、途中でBlog兼ホームページに変えてしまい、それで何年も来てしまいましたが、やはりホームページは別構造なので、まとまると思います。

ということで各ホームページの方もご覧になられてください☆

▶︎著作のホームページ
http://makaula.wix.com/books

▶︎小説「ブルードルフィン」のホームページ
http://makaula.wix.com/bluedolphins



▶︎ eCards カードが伝える神託の言葉」のホームページ
http://makaula.wix.com/ecards

マハロ