サラスヴァティー5 | 徒然草子

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7 仏教におけるサラスヴァティー信仰
(5)日本
(四)宇賀弁才天

(Ⅰ)導入
今日、日本の弁才天信仰の中核を成すのは、以前、取り上げた琵琶を弾奏する二臂弁才天とこれから取り上げてゆこうとする宇賀弁才天である。
宇賀弁才天とは、その名の通り、宇賀神と呼ばれる神と弁才天が習合した弁才天の一種で、日本独自の尊格である。
とは言え、その成立過程は、現在の所、不明で、そもそも宇賀神自体も出自不明である。ただ言える事は平安時代後期頃に徐々に成熟してゆき、鎌倉時代中期頃に表立って登場し、以降、中世を通じてその信仰を急拡大させて財宝神としての地位を吉祥天から取って代わり、やがて、日本の代表的な福徳の神として宗派や更に神仏の枠を超えた地位を確立させていったと言う事である。
かかる宇賀神と弁才天との関係の在り方を考える上で回避できない宇賀神の成立に関して、今日の所、大きく以下の二説がある様に見受けられる。

①説
宇賀神は記紀の諸神に還元できる神ではなく、宇賀弁才天の成立に際して案出された神である。

②説
宇賀神は起源不明ながらも、宇賀弁才天より先行して存在していた神であり、宇賀弁才天は、飽く迄、先行する宇賀神と弁才天との習合により成立したものである。

①説に関しては、山本ひろ子氏らが取っている説であり、山本氏の場合、先行研究の他、叡山文庫所蔵の台密の関係諸書等を駆使して上記の説に至っている。②説は伊藤聡氏らの説で、真福寺の大須文庫所収の弁才天が登場しない宇賀神単独経典の存在などが根拠になっている。
これらの説の妥当性に関して、個人的に判じ得る立場に無いので、以下、保留にしておくが、宇賀弁才天自体を取り上げる前に、先ずは宇賀神に関して概観する。

(Ⅱ)宇賀神
宇賀弁才天の図像に関しては、いずれ触れる予定であるが、予め本節において必要な点として述べておくと宇賀弁才天の最大の特徴はその頭頂に人頭蛇身の老翁相の神を戴いている所である。
そして、この人頭蛇身の老翁相の神こそが、所謂、宇賀神と呼ばれる神である。

尚、宇賀神と同じく人頭蛇身の老翁相の神として羽黒修験の方では羽黒神という神が伝わっているが、恐らく同一神の別称、若しくは同根の神であろう。
日本では大和国の三輪山の神の伝承から知られる様に、記紀の時代から蛇はその容姿や脱皮を繰り返して成長するという生物学的特性から宗教的神秘の存在であったが、かかる蛇は水辺や湿地などに好んで住んでいる事から水に関わる神霊、若しくはそれらの化身等と看做され、又、農業と水の深い関係から蛇は容易に結びつき得る要素があった。人頭蛇身の宇賀神の姿はかかる日本古来からの水神、更には穀物神としての蛇に対する信仰がその成立背景に在った事を推察する事ができ、又、同神の老翁の相は、稲荷神の項において、別途、触れた様に、老翁が図像的には長寿、繁栄のシンボルである事から、宇賀神が農業経済社会における富の象徴としての穀物の豊作、そして、蛇の脱皮の神秘から敷衍される生命力の増長の現れとしての長寿と結びついている事が伺える。かかる宇賀神は比較的早くに弁才天と習合した故か、今日、宇賀弁才天の頭頂部において見かける事の方が多いが、宇賀神単独で祀られる例も少なくなく、主な例として三室戸寺や高野山親王院などの神像を挙げる事ができる。
さて、宇賀神が弁才天と習合すべく宇賀弁才天と同時に生まれたのか、先行して生まれたのかに関する議論は此処では避けて宇賀神のみに集中して続けてゆくことにする。
宇賀神の神名の由来に関しては幾つかの説が見受けられるが、恐らく最も一般的に受容されている説は記紀以来の穀物神であるウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)に由来するというものであろう。
稲荷神に比定される事が多いウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)は、記紀の記述上、性別は不明だが、古来より女神とする説と男神とする説が行われてきた。そして、男神として表現される場合は一般的には、やはり、繁栄と長寿のシンボルである老翁相で表現される。
此処で老翁相のウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)が古来からの蛇信仰と結びついた結果、これまで述べてきた人頭蛇身の老翁相の神が誕生し、その出自の一つに因んで宇賀神と名付けられたのかも知れないと想像する事も可能ではあるが、如何せん、この辺りの事情は完全に歴史の闇の中なので、新たな物証が発見されない限り、仮説の域を出るものではない。
ただ、想像力を逞しくすれば、性別不明のウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)に関して、男神としての老翁相の神が人頭蛇身の宇賀神と展開したとして、その一方で同じく女神とも言われるウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)が同じく女神である弁才天と結びつき、前者の宇賀神と統合された時、宇賀弁才天が誕生したと推察する事もできる(※繰り返すが、想像力を逞しくすればの話である。)。
事実、後世、宇賀神と宇賀弁才天は夫婦関係にあるとも言われる様になり、更に宇賀神と宇賀弁才天の習合が進行すると、女性形の人頭蛇身の宇賀神も考案され、老翁形の宇賀神と夫婦として祀られる例も現れ、又、宇賀神自体が蛇身弁才天と称されて祀られる例も見られる様になった。


ところで、日本の弁才天の母源とも言うべきヒンドゥー教の女神サラスヴァティーに関しては図像的にも蛇と関連する要素は全く見当たらないし、又、他の仏教圏におけるサラスヴァティーに関しても蛇との関連は全く見られない。
其処で宇賀弁才天の成立背景の要素の一つと言うべきか、宇賀神、或は蛇と弁才天とを結びつける媒介に関して、次に推察してゆくことにする。