クンドリ- | 徒然草子

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様々なテーマに関する雑感を気ままに綴ったブログです。

ワ-グナ-の最後の舞台作品「パルシファル」のヒロインとも言うべきクンドリ-は実に複雑なキャラクターであるが、極めて簡単に言うと、「タンホイザ-」のエリザベ-トとヴェ-ヌス、或いは「ロ-エングリン」のエルザとオルトル-トを足して2で割った様なキャラクターである。
クンドリ-と言う、この興味深いキャラクターに関しては既に諸賢が分析している所であるから、此処ではささやかな雑感を書き散らす程度でする(※スマートフォンからの投稿なので、あまり長文が打ちにくいというのもある。)。
彼女の性格は大きく聖女性と娼婦性に二分できると思われるのだが、聖女性に関してはモンサルバ-トにおける奉仕活動に見られる様な利他的なものと死による自身の救済を願う様な自利性に更に二分し得る。
一方、娼婦性に関しては、アンフォルタスに対して見られる様に他者を誘惑し、堕罪へと誘う側面と自身を救済無き生へと貶めたタナトス的な側面に二分される。
以上の分類法は極めて便宜的なものであり、実際はこれらが重層的に結びついているとも思われるのだが、いずれにせよ、これらの要素はクンドリ-という一人のキャラクターにおいて相互矛盾的に存在している。これらの諸要素を在らしめているクンドリ-に関して個人的にどことなく大地母神的な香りを感じているが、それについては今はおいておく(※上述の諸要素は男性にとってはそれぞれが女性において見出す魅力とも言うべきものの理念型かなと思われるが。)。
かかるクンドリ-は、パルシファル登場以前、救済を望みつつも、聖女性と娼婦性の往復を果てしなく繰り返していた様に見受けられるが、「純粋なる愚か者」パルシファルと出会うことで彼女はパルシファルの成長を促す契機の一つとなり、かつ成長したパルシファルは救済者として彼女の許に現れ、彼女が待ち焦がれていた終局的な救済を齎す。
彼女の救済においては地上的な娼婦性が切り捨てられ、聖女性が全面的に出てきている所から、最終場面において「タンホイザ-」における霊肉二元論的図式が復活している様に見受けられるが、しかしながら、最後の合唱における「救済者に救済を!」という極めて謎めいた言葉は単純なタンホイザ-的世界との差違を際立たせている様にも見受けられる。
以上、全く纏まりの無い雑感であるが、クンドリ-に関して個人的に思っている所の一部をだらだらと書いてみた。