當麻寺展 | 徒然草子

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先日、當麻寺展に行ってきた。当特別展は當麻曼荼羅完成1250年記念とのことで、以前にも述べた様に、當麻寺の寺宝を中心に當麻曼荼羅信仰など當麻寺に関連する信仰に因んだ様々な美術品等を一堂に集めたものである。
尚、以下は個人的な感想であって、他者が共感し得るか否かは分からない。
さて、当特別展の順路は當麻寺の前身寺院、或いは草創期に関連する考古学的遺物から始まり、密教化が進んだ平安時代の仏像へと進んでゆく。
特に真言密教の影響を強く受けていた平安時代の當麻寺は十一面観音信仰が盛んだったらしく、その頃に造られた観音像が幾つか展示されていたが、やはり、中でも印象深かったのは子院の中之坊の本尊である、「導き観音」と通称されている十一面観音像である。その女性的で愛らしさすら感じられる趣は中将姫を導いたという伝説に似つかわしく感じられたが、中之坊に参拝しても、此処まで間近に拝することは無いだけに、感慨もひとしおであった。
さて、當麻寺と言えば、やはり、上記にもその名の出た中将姫を忘れてはならない。尤も彼女は飽くまでも伝説上の女性であり、元々、當麻寺を舞台にした尼僧の往生伝説が発展したものと考えられているが、今日、知られている中将姫のイメージには古代から中世における日本の浄土信仰のあるべき篤信者の理想像がその一身に集約されている様にも見受けられ、それ故、彼女は清廉な女性として表現される。
今回の特別展では展覧会の事前調査で具体的な作者が判明した中将姫像が出品されているが、かかる当像は室町時代後期の大和地方を中心に活躍した宿院仏師の手になるものである。宿院仏師の作品と言えば、一般的に何処となく稚拙さが残っている傾向にあるが、この中将姫像に関して言えば、かかる稚拙さは微塵も感じられず、彼女の可憐さを十分に表現し得ている、博物館側の解説通り、まさに「渾身」の作品に思われたものである。
そして、中将姫伝説と密接に関係し、かつ當麻寺を浄土信仰の特別な霊地たらしめているのが、當麻曼荼羅の存在である。當麻曼荼羅とは、以前にも触れたことがあるが、『観無量寿経』の所説に基づく阿弥陀如来の極楽浄土とその観想法を図示した浄土教絵画である。『観無量寿経』や當麻曼荼羅の詳細については長くなるので、略するが、期間限定で展示されていた當麻曼荼羅の根本曼荼羅の実物を拝することができたのは今回の大きな収穫であった。
この記事の冒頭に掲げた図録からの写真が根本曼荼羅で、見ての通り、褪色が著しく、図像は極めて不鮮明である。中将姫手織りとの伝説があるこの浄土図は鎌倉時代以降、幾たびか転写が為され、又、浄土信仰と中将姫伝説の普及とともに當麻曼荼羅と呼ばれる浄土図は時代を経つつ各地で製作されたが、数ある當麻曼荼羅の根本となる浄土図を、今、この私の眼の前にする時、その信仰の広がりや厚み、そして、逆にこの根本曼荼羅が製作された奈良時代、或いは中国唐代に遡ってみて思いを馳せる時、得も知れぬ感興が私の心中に湧いてきたものであった。
以上、簡略ながら、當麻寺展の感想等を取りまとめてみたが、この他にも触れていないことは数多い。しかしながら、上記の事柄だけであっても、私には十分に満足できた展覧会だったと思われるし、又、充実したひとときであった。