六師外道⑥原始ジャイナ教2 | 徒然草子

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1.形而上学的考察Ⅱ衆生について
マハーヴィーラによると、衆生の活動は身業、口業、意業の三業より成るが、これら三業によって霊魂(ジーヴァ)に微細な物質が付着することになる。かかる事態を流入(アースラヴァナ)と言う。
霊魂に付着した物質はやがて業身と呼ばれる微細な身体を形成し、霊魂の本来的な清浄性や上昇性を覆ってしまうと言う。この事を繋縛(バンダ)と呼ぶ。
この繋縛こそが輪廻の原因であり、繋縛によって衆生は輪廻し、地獄、畜生、人間、天の四迷界を絶えず転生し、苦悩に満ちた生を送り続けることになると言う。
其処で苦悩に満ちた輪廻を脱するには、先ず過去の業を滅ぼす必要があり、同時に新たな業の流入を防止して霊魂の本質が露になる様に努めなければならないと言う。この事を制御(サンヴァラ)と呼ぶ。
かかる制御を完遂するには、やはり、出家をする必要があり、出家をしてシャモン(沙門)となり、あらゆる欲望を断ち切って遊行の生活を送らなければならない。かかる遊行の生活においては乞食の生活を行う必要があるから、ジャイナ教の出家行者は乞食者を意味するビック(比丘)と呼ばれる。
更に出家行者が解脱をするには自力による努力が強調され、救済者の恩寵をあてにしてはならないとされ、又、修行に努めることにより、自身の業は次第に滅びてゆき、霊魂から微細な物質が離れてゆく。この事を止滅(ニルジャーナ)と呼ぶ。
かかる止滅を成就すると、罪業が滅ぼされ、完全なる智慧を獲得することができ、この時、行者は生や死を望むことはなく、又、現世や来世を欲することも無い境地に至ると言う。かかる境地を得ることを解脱(モークシャ)と言い、又、かかる境地を涅槃(ニルヴァーナ)と呼ぶ。
そして、行者はその身体が滅びることでその解脱は完成し、霊魂はその本来的な上昇性を回復して世界(ローカ)を脱して非世界(アローカ)へと至り、其処において霊魂はその本質を完全に回復して絶対的な安楽の境地に住するとされるのである。
尤もマハーヴィーラは自身の教法を奉じる者全てに出家を要求していた訳ではない。出家をすることができない者に関しては在家信者たることを認めており、在家信者の場合、因果律を信じ、在家者が遵守すべき戒律を守り、道徳的に正しい生活を送れば、解脱はできないが、来世において神々の住む天界に転生することができると説いている。

2.戒律
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マハーヴィーラは解脱を目指す行者の為に数多くの戒律を定め、その厳守を求めたが、特に重要な五つの戒律を五大戒(パンチャマハーヴラタ)と呼ぶ。その内訳は以下の通りである。
①不殺生戒
②真実語戒
③不盗戒
④不婬戒
⑤無所有戒
上記の五つの大戒の内、特に重要視されたのが、不殺生戒(アヒンサー)である。マハーヴィーラによると、およそ全ての衆生は自身の生命を愛するから、如何なる生き物であれ、その生命を損なうことはおろか、傷つけたりすることは極めて重大な罪悪とされる。又、上述の不殺生戒(アヒンサー)は身体的な外的行為を意味する身業によって積極的に人間を含む生き物を害することのみならず、上述の形而上学的立場より、口業、意業のレベルにおいても要求される為、誹謗や悪口等の類や心中に留まる害意すらも厳禁されることになる。従って、行者は不殺生戒(アヒンサー)を厳守する為には身、口、意の三業に亘る最大限の注意が要求されることになる。従って、食事に関しても厳格な戒律が要求されるから、彼らは決して肉食はしないし、又、菜食に関しても植物の殺生に繋がると見られるものは口にしない。この辺りの規定は後代の同教の学者によって整理された。
又、無所有戒(アパリグラハ)も重要視されたが、それは所有が霊魂の清浄性の顕現を妨げると考えられたからである。それ故、開祖マハーヴィーラをはじめ、初期のジャイナ教の行者は衣服を全く着用しないで全裸で修行し、仮令、身体を虫に曝すことになっても、不殺生戒(アヒンサー)の見地から殺すことはせず、払子によって追い払う程度であった。
その後、1世紀になると、ジャイナ教内部において行者の白衣の着用を認める白衣派(シュヴェターンバラ)が登場し、全裸を厳守する保守的な裸行派(ディガンバラ)とともにジャイナ教を大きく二分することになった。とは言え、白衣派の登場によってジャイナ教においても女性も出家して修行することが可能となり、今日、全体的には白衣派の方が多数派である。
さて、在家信者の場合、上述の五大戒をそのまま厳守することは不可能であるという見地から五小戒の遵守が求められている。
五小戒の内訳に関しては以下の通りである。
①不殺生戒
②不虚言戒
③不盗戒
④不婬戒
⑤無所有戒
在家信者にも不殺生戒(アヒンサー)の厳守が求められる為、ジャイナ教の在家信者は農業などの殺生の可能性のある職業に従事することは好まず、主に商業などに従事する傾向にある。
又、不虚言戒についても厳守が求められているから、彼らは商取引においても信用があり、それ故、在家信者は裕福であることが多いと言われている。
不婬戒は、在家信者の場合、正妻以外の女性と交わらないことを意味する。
無所有戒に関しては、一定量以上の財産を有しないことを意味し、余剰財産は教団や教団が行う慈善事業等の運営費に寄付される。

3.まとめ
以上、主に原始ジャイナ教の教説を概観してきたが、ジャイナ教の教説は、その後、輩出される数多くの同教の学者の手によって教学的にも洗練されてゆき、緻密な体系が構築されていった。
その一方で同教の内部において様々な宗派も発生し、今日に到っているが、教学体系に関しては概ね共有されていて、仏教の様に大きく立場が異なる分派や宗派が発生することは無かった。