六師外道⑤サンジャヤ・ヴェーラッティプッタの教説 | 徒然草子

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サンジャヤ・ヴェーラッティプッタはマガダ国の首都ラージャグリハ(王舎城)で活躍していた思想家で、後に釈尊の高弟となったシャーリプトラ(舎利弗、舎利子)やマハーモッガラーナ(目連)も当初は彼の高弟であり、彼らが釈尊の弟子になった時、サンジャヤ・ヴェーラッティプッタは憤激して血を吐いたと伝えられている。
さて、サンジャヤ・ヴェーラッティプッタの教説は形而上学的問題に関する判断の停止である。例えば、来世は存在するか否かといった類の確証不能な問題について独断論的憶見を回避する立場を採った。
ところで、独断論的憶見の回避は仏教の開祖である釈尊やジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラも採っていた立場である。
それ故、ジャイナ教ではサンジャヤ・ヴェーラッティプッタの教説は批判の対象とされる一方で、彼は賢者としても評価されている。
一方、仏教では釈尊が類似の立場を採るにも関わらず、その相違を強調してサンジャヤ・ヴェーラッティプッタの議論をヴィッケーパ(錯乱)、アマラ・ヴィッケーパ(鰻の様な錯乱)と称して否定的評価に終始している。因みに、仏教における独断論的憶見の回避は、サンジャヤ・ヴェーラッティプッタの場合、単なる不可知を理由としていたのに対して、釈尊の場合は解脱や涅槃を得るのに資するか否かを以ってその理由としていたとされる。