総選挙が近いですが、創世記の宮脇咲良さんの原点を振り返ってみます。
名取市の被災地訪問 MJの抜粋
亡くなった息子さんが、その当時の私と同じ年だったんですよ。
一日 毎日毎日を 生きてこれなかった人の分 精一杯生きて
そしていつでもたくさんの人に 感動や元気を与えられるような
アイドルグループにしていきたいです。
これが、咲良さんが叶えたい夢です。
去年の総選挙直後に、週刊プレイボーイで下記のグラビアが掲載されました。
みなさん覚えていますでしょうか?今の時期なので再度見てもらいたいです。
みなさん、はじめまして
HKT48チームKⅣと、AKB48チームAのメンバーを兼任している、宮脇咲良です。
ついに、私が週刊プレイボーイの表紙を飾らせていただけることになりました!
しかも、この文章は自分自身で書いています。プレッシャーで、書く手が少し震えています・・・・・・。
実は私は、文章を書くことが大好き!週プレさんで「毎日にっちょく!」というコラムも連載させていただいているんです。
そんな私が、未熟ながら、自分自身のことを書いてみたいと思います。
私は、生まれも育ちも鹿児島県。小さな頃から、自然に囲まれて育ってきました。お家でゲームするよりも、外でドッジボールをするのが好きなタイプで、よくけがをして帰ってきていました。
そんな活発な私ですが、小学校に入ると、両親の影響で本が好きになりました。小説も好きだし、歴史上の人物を描いた伝記もよく読んでいました。
私が伝記をよんで感動した人物は、ヘレン・ケラーとナイチンゲールとアンネ・フランクです。3人とも女性なのに、たくましく常に希望をもって生きている姿に、子供ながら感銘を受けました。
特に、人々のために働き続けたナイチンゲール。彼女の様に、私も人々を助ける看護師やお医者さんになりたい。そう思い、小学生時代は女医さんを目指していました。
それとともに、言葉で人を感動させることができる、作家さんにも憧れていました。日々、いろんなものに触れるたびに、夢が増えていきました。
でも、あるとき、人生をかけて叶えたいことが出来ました。それが、芸能界です。
私が初めて触れた芸能の世界は、舞台の上にありました。劇団四季のミュージカル。それは、今まで生きた中で一番、私の心に響きました。ドラマや映画とは違う、生の迫力。心に響く歌、ダンス、演技・・・・・・。あの日を境に、私の人生は180度変わりました。
「私もこの舞台の上で、輝きたい」
そう思いました。その日から、ミュージカル教室に通い、いろんなオーディションを受けました。いつも最終審査までは行くのに最後の最後で落ちてしまう・・・・・・。そんななかで、悔しさをポジティブに受け止める方法も学びました。
そして、小学6年生のときに、ついに夢の舞台に立つことができました。それは、あの劇団四季の舞台でした。
劇団四季では、小学生でも、プロとして大人たちと同じハイレベルなパフォーマンスが求められます。客席から見ていたときはあんなにキラキラしていたけれど、その舞台裏は壮絶でした。
「慣れは去れ」
私が、劇団四季で学んだ言葉です。
舞台は、常に新鮮じゃなきゃいけない。私たちにとっては何百回の中の1回でも、見てくださった方にとっては最初で最後の1回かもしれない。プロならば、舞台上で慣れを出してはいけない。
「人生の中で経験したもの、努力したことに、無駄なんてない」
私は、そう思っています。その後、HKT48に加入してからも、劇団四季で学んだことは役に立っています。あのときの経験がなければ、今の私はいないと思っています。
よく、私はファンの方から「プロすぎる」といわれるんです(笑)。でも、私にとってそれは、褒め言葉です。プロを目指して頑張ってきたからこそ、プロだと言ってもらえるなんて、本当にうれしいんです。
今の私の夢は、「女優」になることです。
人に元気や感動を与え、世界で通用する女優を目指して、
昨日より今日、今日より明日、と成長していきたいと思います。
さくら咲け!
宮脇咲良
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去年の総選挙が終わってから、充実した一年を駆け抜けてきました。
※エヴァ走りと言われても(ボソボソ)
今回の総選挙は、48グループの世代交代の旗手になるため、絶対に負けられない総選挙です。
総選挙の運命の日までもう少しです。宮脇咲良さんが「本物」になるために、力を貸してください。
よろしくお願いします。
※普段は、グラビアは発売期間中の掲載は控えています。今回は文章の紹介の目的で掲載させてもらいました。