神皇記を見ての感想+勝手な戯言 | 記紀以前の日本史を探す

記紀以前の日本史を探す

古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

昨日の夜、適当にYouTubeの動画を見ていたら、

「神皇記」について紹介しているチャンネルがあったので、

原文を探してみました。


すると、国立国会図書館デジタルコレクションに、

神皇正統記というタイトルの、昭和9年出版した本がありました。


以前から気になっていたのですが、実際に内容を見ての、

感想として、「日本書紀」と表記が、ほとんど同じだなと感じました。


それとともに、大きな疑問が現れました。


「神皇記」は「宮下文書」をまとめた本らしいですが、

「神皇正統記」を読んでも、「富士王朝」についてではなく、

古事記や日本書紀と同じ内容しかありません。


「富士王朝」の人々などについての記載が無いのかと、

色々と探しましたら、どうやら、「第二編〜第四編」、「附録系譜」、

「附録図面」が他にあるとの事。


「神皇正統記」は、「第一編」のみの様です。


全文を記載しているのは無いかと調べると、

嬉しい事に、国立国会図書館デジタルコレクションにあるようです。


今後は少しずつ調べていきたいなと思っています。


ここで関連性が出てくるのが、秋田県で見つかった「和田文書」で、

「東日流外三郡誌」も含まれます。


「神皇記」の「第一編」にあるのは、

基本的に「日本書紀」で使われた「尊」という地位を利用しています。


そして、「和田文書」で登場する「耶摩堆国」は、

「ヤマト」に繋がるかもしれません。


その様に考えると、「神皇記」と「和田文書」は、

もっと詳細に調べれば、歴史的に見て、面白い事が分かると思います。


個人的には、古事記は「九州」が舞台ですが、

日本書紀は「近畿」が舞台だと考えると、

後世に「神武」と名付けられた人物は、近畿に行ったのではなく、

別の人々が、住み着き、発展させたと考えています。


理由として、1つに、九州から「イネ」が各地に伝播していますが、

九州内の伝播は速いですが、逆に東に行くにしたがって、

ゆっくりした速さになっているという研究もあります。


以前、運営しているサイトで調べましたが、

その時は、近畿地方で一番古い「イネ」の痕跡は、

確か、「紀元前2世紀頃」だったと思います。


3年経過しているので、新しい情報があるかも知れません。


これが、本当であれば、九州で安定した「イネ」の食生活していたのに、

仮に「紀元前660年頃」、近畿に行き王朝を開く事があるのでしょうか?


「紀元前660年頃」〜「紀元前2世紀頃」の約4世紀程、

何を食べて生きていたんでしょうか?


「稲作」中心の生活から、狩猟採集生活に移ったのでしょうか?


このあたりは、まだまだ、不明な点が多く存在しています。