□スサノオの子孫
古事記:
「故而(に)其の櫛名田比賣を以て、
久美度邇(くみどに:格子戸)起ち
生まれる所の神名八嶋士奴美神と謂う
又 大山津見神之女の名神大市比賣娶って生む子大年神、
次に宇迦之御魂神
兄八嶋士奴美神、大山津見神之女の名木花知流比賣
娶って子、布波能母遲久奴須奴神生む
此の神淤迦美神之女の名日河比賣娶って子、
深淵之水夜禮花神生む
此の神天之都度閇知泥神娶って子、淤美豆奴神生む
此の神布怒豆怒神之女の名布帝耳神娶って子、天之冬衣神生む
此の神刺國大神之女の名刺國若比賣娶って子、大國主神生む
亦名大穴牟遲神と謂う
亦名葦原色許男神と謂う
亦名八千矛神と謂う
亦名宇都志國玉神と謂う
幷(あわ)せて五名有り」
日本書紀一書第一:
「乃ち奇御戸(くみど:格子戸)に於いて起ちて為す
而(すなわ)ち兒が生まれて
號(よびな)淸之湯山主三名狹漏彦八嶋篠という
一つに淸之繋名坂輕彦八嶋手命と云う
又 淸之湯山主三名狹漏彦八嶋野と云う
此の神の五世孫、即ち大國主神という
篠、此れ小竹也、此れ斯奴(しぬ?)と云う」
一書第二:
「而(なんじ)長く養い然る後、素戔嗚尊、
妃の所而(に)生まれた兒を以て之(これ)六世孫と為す
是(これ)大己貴命と曰(い)う
大己貴、此れ於褒婀娜武智(おほあなむち)と云う」
一書第六:
「一書に曰く
大國主神、亦の名大物主神、亦の號(よびな)國作大己貴命
亦、葦原醜男と曰(い)う、亦、八千戈神と曰(い)う、
亦、大國玉神と曰(い)う、亦、顯國玉神と曰(い)う
其の子凡て一百八十一神有り」
▽家系
古事記:
櫛名田比賣
├─────八嶋士奴美神
スサノオ
├─────┬大年神
大山津見神───┬神大市比賣 │
│ └宇迦之御魂神
│
└木花知流比賣
├──────布波能母遲久奴須奴神
八嶋士奴美神
布波能母遲久奴須奴神
├───深淵之水夜禮花神
淤迦美神──日河比賣 ├───淤美豆奴神
天之都度閇知泥神
淤美豆奴神
├───天之冬衣神
布怒豆怒神──布帝耳神 │
├───大國主神
刺國大神──刺國若比賣
▽八嶋士奴美神
古事記では「八嶋士奴美神」と書くが、日本書紀では、
「號(よびな)淸之湯山主三名狹漏彦八嶋篠という
一つに淸之繋名坂輕彦八嶋手命と云う
又 淸之湯山主三名狹漏彦八嶋野と云う」とする。
「淸之湯山主三名狹漏彦八嶋篠」と「淸之湯山主三名狹漏彦八嶋野」
は共通性があるので良いですが、「淸之繋名坂輕彦八嶋手命」は
「淸」と「八嶋」しか共通性がありません。
どうも、別人ではないかと考えてしまいます。
あと、「八嶋士奴美神」は叔母である「木花知流比賣」と
本当に結婚したのだろうか?
古事記に書かれている「兄八嶋士奴美神」の「兄」が気になり
どうも、いまいち納得出来ません。
わざわざ、書く必要がないと考えています。
もしかしたら、別人の可能性もあるのかも知れません。
▽木花知流比賣
今後、解読する部分ですが、
古事記には「木花」にまつわる話が書かれています。
「於是 天津日高日子番能邇邇藝能命 於笠紗御前 遇麗美人
爾問「誰女」答白之「大山津見神之女名 神阿多都比賣
(此神名以音)亦名謂木花之佐久夜毘賣 此五字以音」
又問「有汝之兄弟乎」答白「我姉石長比賣在也」
爾詔「吾欲目合汝奈何」答白「僕不得白 僕父大山津見神將白」
故乞遣其父大山津見神之時 大歡喜而 副其姉石長比賣
令持百取机代之物 奉出 故爾 其姉者 因甚凶醜 見畏而返送
唯留其弟木花之佐久夜毘賣 以一宿爲婚」
簡単に書くと、当時の大山津見神の二人の姉妹を
天津日高日子番能邇邇藝能命は娶ろうと思ったが、
姉の石長比賣が醜かったので娶らずに送り返したと言う話です。
神阿多都比賣の亦の名に「木花之佐久夜毘賣」があり、
「石長比賣」=「木花知流比賣」と考える人もいるようです。
しかし、明らかに時代が異なるので別人でしょうが、
血縁関係は大いに在り得ると思います。
「神阿多都比賣」は「亦の名木花之佐久夜毘賣」と書いていますが、
「木花知流比賣」も本来は「亦の名」だったのだろうか?
他のサイトでも書いてありましたが、
「花」が「咲け」ば、必ず「散り」、「実」になります。
狩猟・採取を基本と稲作で補う生活をしていた紀元前750年頃は
実が早く出来れば収穫し食料とする事が出来るので、
「木花知流比賣」は良い名だったとも思われます。
もし、「木花知流比賣」が本来の名であるならば、
花が散る季節に産まれたからとも考える事が出来そうです。
▽布波能母遲久奴須奴神
兄弟姉妹が存在したかは不明ですが、
系図を書いていて「布怒豆怒神─布帝耳神」は、
布波能母遲久奴須奴神の一族なのではないかと考察しました。
「天之」や「淸之」等の規則性から考えると、
可能性は大いに在り得ると思います。
もし、そうであるならば、「布波家」もしくは「布家」は、
出雲須賀地方の有力一族だったのか、もしくは、
九州から移動する際に一緒に移動して来たかの
どちらかだと思われます。
スサノオの勢力下で須賀地方の運営に携わっていて、
信頼されていたとも考えられます。
大国主神の話の前にも「織り機」が登場するので、
主に「布波家」もしくは「布家」が
糸・布関連を管理していたのかも知れません。