国生み~大国の存在の記紀総括113-大国主神と亦の名1- | 記紀以前の日本史を探す

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古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

□大国主神

 

古事記:

 

 「此の神刺國大神之女の名刺國若比賣娶って子、大國主神生む

  亦名大穴牟遲神と謂う
  亦名葦原色許男神と謂う
  亦名八千矛神と謂う
  亦名宇都志國玉神と謂う

  幷(あわ)せて五名有り」

 

日本書紀一書第二:

 

「而(なんじ)長く養い然る後、素戔嗚尊、
 妃の所而(に)生まれた兒を以て之(これ)六世孫と為す

 是(これ)大己貴命と曰(い)う

 大己貴、此れ於褒婀娜武智(おほあなむち)と云う」

 

一書第六:

 

「一書に曰く

 大國主神、亦の名大物主神、亦の號(よびな)國作大己貴命
 亦、葦原醜男と曰(い)う、亦、八千戈神と曰(い)う、
 亦、大國玉神と曰(い)う、亦、顯國玉神と曰(い)う

 其の子凡て一百八十一神有り」

 

▽刺国

 

色々と検索して調べて見ましたが、

古事記に書かれている以外は情報がありませんでした。

 

しかし、「刺國大神」に「国」が付いていると言う事は

「国王」とも考えられます。

 

大國主神を産んだと言われる「刺國若比賣」は

一大勢力の国王の娘として嫁いで来たのかも知れません。

 

長野県に「宮木諏訪神社」があり、
ここには「刺国若比売命御縁起」と言う石碑があるようです。
 
以前にも書きましたが、「科野國之州羽海」は、
現在の「長野県」ではなく別な地域だと考えています。
 
現長野県には「海」は過去にも存在しないからです。
 
wikiには「諏訪湖」の事を下記の様に書いています。
 
「新生代第三紀の終わり頃からの中央高地の隆起活動と
 糸魚川静岡構造線の断層運動によって、
 地殻が引き裂かれて生じた構造湖(断層湖)」
 
この事から、「科野國之州羽海」は信濃国(現長野県)ではなく、
出雲國から近い地域だったのが、時代とともに移動して
最終的に「現長野県」に落ち着いたと思われます。
 
そもそも、出雲國(現島根県)から「信濃国(現長野県)」まで
水路で移動したとしても何日、何か月掛かるのだろうか。
 
追う方もそこまで追いかけるだろうか?
 
閑話休題、結局、ヒントらしき記述は見つかりませんでしたが、
スサノオの一族にとっては「刺国一族」の存在は大きかった為に、
「大国主神」はここまでの偉業を達成する事が出来たのだと思います。
 
それも「刺国一族」のバックアップがあってこそだと思われます。
 
何の功績を挙げていない人物が
「神」の地位までに上がれるほど当時も生易しくはなかったでしょうし。
 
▽亦の名
 
古事記:
 
大國主神、大穴牟遲神、葦原色許男神、八千矛神、宇都志國玉神
 
日本書紀:
 
一書第二:大己貴命
 
一書第六:大物主神
 
       亦の號(よびな):國作大己貴命、葦原醜男、八千戈神、
                  大國玉神、顯國玉神
 
出雲國風土記:天の下所造らしし大神大穴持命
 
播磨国風土記:大汝命、大汝少日子根命、葦原志許乎、伊和大神
 
※1:餝磨郡伊和里の項に「大汝命之子火明命」とあり、
    大国主神と同一視するのは疑問
 
※2:伊和大神に関しても「大国主神=伊和大神」と
   するだけの確証が「播磨国風土記」の記載にない
 
大国神甲子祝詞:地津主大己貴神、国作大己貴神、葦原醜男、
            八千戈神、顯國玉神
 
幽冥神語:幽世大神
 
その他:大名持神(確認出来ず)、幽冥主宰大神、杵築大神
 
〇大國主神
 
この神名の由来を今まで考えて来ました。
 
以前は、「「大國」が存在したのでは?」と言う観点から
考察していましたが、現在は少し変わって来ました。
 
「多くの國の建国に携わり、それらは大きな国家へと成長し、
その功績により「大国主神」と言う名を贈った」
 
のではないかと考えるようになりました。
 
大国主神は、建国アドバイザー的な立ち位置で、
色々な地域に顔を出していたから、関係のある国々では、
感謝の気持ちも含めて奉ったりしたのだと思われます。
 
しかし、「大国主神」は何も一人だけではなく、
継承もしくは功績によって与えられたのだと思います。
 
亦の名が多いのもその為で、
亦の名は同一人物を指しているのではなく、
歴代の「大国主神」を指している可能性が高いと思っています。
 
ちなみに記紀には「大国主命」は登場せず、
登場するのは「大国主神」です。
 
亦の名などと混同していると思われます。
 
存在した場合、後継者は「命」の地位であり、
「神」の地位に昇格する以前の名が「大国主命」だったのでしょう。
 
ただ、「神」の地位に無い者に「大国主」の尊称を与えただろうか?
と疑問が残ってしまいますが。
 
〇大穴牟遲神
 
「大国主神」が初代とするならば
「大穴牟遲神」は二代目と考える事が出来そうです。
 
詳しい事は今後しますが、古事記の「大国主神」と「八十神」との話で
不可解な文章があります。
 
故此大國主神之兄弟八十神坐 然皆國者避於大國主神
所以避者其八十神各有下欲婚 稻羽之八上比賣之心
 
共行稻羽時於大穴牟遲神負袋 爲從者率往
於是到氣多之前時 裸菟伏也
 
故、此(こ)の大国主神之(の)兄弟八十(やそ)神坐(ざ)し、
然(しか)るに皆(みな)国の者は大国主神於(お)避(さ)ける
 
各(おのおの)の者が避ける所以(ゆえ)は、其の八十神
稲羽之八上比売と婚(こん)を欲(ほっ)する下心有り。
 
共に袋負(おい)稲羽に行く時、大穴牟遅神於(お)從(したが)う者と
爲(な)して率(ひき)いて往く。
気多(けた)之前に到りし時、是於(これお)裸の菟伏(ふ)しき也。 
 
前半部分は「「八十神」が「稲羽之八上比売」に恋慕し、
「大国主神」と「稲羽之八上比売」との仲を切り裂こうと画策した」
と受け取れる内容となっています。
 
この時点で「大国主神」と表記されているので、
わざわざ、「大穴牟遅神」にする必要性が感じられません。
 
そして、後半部分はいきなり話が飛んで、何かを背負って
「稲羽」に行く話になっていて中間部分が抜け落ちています。
 
なぜ、「稲羽」に行く事になったのか?
共に背負う袋には何が入っていたのか?など疑問があります。
 
そもそも、「大国主神」の名を貰った前後どちらの話なのか?
の判断も難しいです。
 
あと、後半部分の「共に袋負(おい)稲羽に行く時、
大穴牟遅神於(お)從(したが)う者と爲(な)して率(ひき)いて往く。」の
文章だけを見ると、「「八上比売」の本当の心を知る為に、
わざと従者として「稲羽」に行った」とも受け取れます。
 
この話の前の状況がどうだったのか?によっては、
話の中身の重要度が大きく変化する事になりそうです。