△表記について
古事記:高志之八俣遠呂智
日本書紀:八岐大蛇
「俣」と「岐」の違いを考えて行きます。
「俣」:「俟(まつ)-待つ、期待して待つの意味」の字形を変えて、
変化を待つ、すなわち、「分かれている所」を意味する」
「岐」:「「山」の象形と「竹や木の枝を手にする」象形
(「枝を払う・わける」の意味)から、「山のえだ道・分かれ道」」
参照1:「俣」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習
https://okjiten.jp/kanji2367.html
参照2:「岐」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習
https://okjiten.jp/kanji1423.html
上記から「俣」は「道や河川の様な大きな分かれ道」、
「岐」は「山道内の枝分かれした分かれ道」を指しているとすると、
「八俣遠呂智」は「遠くから並んで続く分かれ道」、
「八岐大蛇」は「山道の枝分かれした地域に蛇が生息していた」と
各々解釈する事が出来そうです。
ちなみに、「遠呂智」の当て字にも意味があると考えています。
「遠」:「「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と
「足跡の象形と玉の象形と身体にまつわる衣服のえりもとの
象形」(衣服の中に玉を入れ、旅立ちの安全を祈るさま(様)から
、「とおざかる」の意味)から、「とおくへ行く」を意味する」
※WIKIでは「白川説」として「死者の服の襟を開け玉を胸元に
置いた様で死出の旅立ち」を紹介しています。
どちらが正しいかは分かりません。
「呂」:「ならんで続く」
「智」:「2つの神器(矢・干)と祝詞(口)によって祝祷を行い、
神に認知されて神意を授かることを「智」」
上記から考察すると、
「神意を授かりたい集団が遠くにある目的地まで
ならんで歩いて続いている」事を指すようにも思えます。
そうであれば、開けた渓谷などを歩いていたか、
川を船で航行していたかの可能性が高そうです。
参照3:「遠」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習
https://okjiten.jp/kanji212.html
参照4:【文字】「智」と「知」の違い。: 古啓念慮 ~文字・書のはなし~
http://tenkokuya-kuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-277a.html
▽読み
古事記では「高志之八俣遠呂智【此三字以音】」と
「音読み指定」されています。
呉音:「おんろち」、漢音:「えんりょち」
しかし、日本書紀で読みの注記を探しても見つかりません。
日本書紀は古事記とは違って重要な言葉でも、
注記がある場合と無い場合があります。
「伊弉諾」や「素戔嗚」は注記がありませんが、
「大日孁貴」や「赤酸醤」には注記が記載されています。
この違いは何だろうか?
古事記を参考にして編纂されている日本書紀だからこそ、
書かなくても理解してくれると思ったからか、
それとも、違う読みの注記だから削除したのか。
もし、「八岐大蛇」が本来「やまたのおろち」と読まないのならば、
「大蛇」には別の意味が隠されている様に感じます。
▽大山津見神之子
古事記:足名椎、手名椎、櫛名田比賣
日本書紀第八段本文:脚摩乳、手摩乳、奇稻田姫
一書第一:稻田宮主簀狹之八箇耳、稻田媛
一書第二:脚摩手摩、稻田宮主簀狹之八箇耳
古事記の「足名椎(あしなつち)」、「手名椎(てなつち)」、
「櫛名田比賣(くしなだひめ)」と読めるのに対して、
日本書紀では「脚摩乳(あしまちち)」、「手摩乳(てまちち)」、
「奇稻田姫(くしいなだひめ)」と読みが一致しません。
なにより、一書第二の「脚摩手摩」は
本文の「脚摩乳」と「手摩乳」を繋げただけに見えます。
読みの注記は記紀共に書かれていないので、
上記に書いた読みが正しいかは不明です。
しかし、「名椎(なつち)」が「摩乳(まちち)」に、
「名田(なだ)」が「稻田(いなだ)」に変化したのは疑問が残ります。
他にも「櫛」と「奇」では意味が異なっています。
「なつ」が「まち」に変化した事から、江戸時代などで英語の発音を
聞き間違えて誤解釈した例に似ていると感じるので、
伝え聞きや古事記とは違う部族の情報だからなのかも知れません。
▽八稚女
古事記:「我の女者(は:短語)自ら八稚女(やちめ?)の本と在り」
日本書紀第八段本文:「吾の八箇有る少女の兒」
八稚女とは何だろうか?
漢字から推測すると、「稚(おさない)八人の女」と受け取れますが、
日本書紀本文では「八箇」とおかしな表記をしています。
「箇」を調べると「古くは竹を数える言葉として用いていた」ようです。
しかし、少女は「竹」ではありませんし、
人に「箇」を使用するのは不自然です。
また、古事記で「稚」の漢字を使用しているのも違和感があります。
原文を調べると「稚」を使用しているのは「二カ所」しかありません。
やはり、ここでも使い分けている可能性が高そうです。
あと、「八箇有る少女」としているのは、
もしかすると、「竹製品の少女像」ではないかと推測しています。
かぐや姫も竹から生まれたと言われていますが、
民芸品の様な「竹製品」として「少女」を形作ったとも考えられます。
どちらにしても情報不足となりそうです。
▽「毎年来るもの」と蛇
古事記と日本書紀第八段本文では「毎年」と記載しています。
「毎年」来て、住民が被害を受けると言う条件を考えると、
「土砂崩れ」、「雨などにより水害」を想像する事が出来ます。
そして、日本書紀が「蛇」と揶揄するのは、
「遠呂智」の当て字の解釈で仮定すると、
「巡礼者」もしくは「侵略者」の可能性があるように思えます。
特に日本書紀では「蛇」を殺すとの記載もあり、
古事記と日本書紀の情報源は違うと思いますが、
何かしらの問題になっていたのだと考えています。
もし、「侵略者」の様な存在を「蛇」と表現したのならば、
畑や農地を荒らされる事で泣くというのは納得出来ます。
しかし、自然災害でも同じような状況になるので、
どちらが正しいのかは不明ですが、
「酒を飲ます」の表現から「人間」相手なのかも知れません。
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