国生み~大国の存在の記紀総括40-イザナギの退避3ー | 記紀以前の日本史を探す

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古事記や日本書紀、俗に偽書とされる歴史書、古代アジア各国の歴史書などから古代(紀元前1000年頃~)日本列島の真実の歴史を考えて行くブログです。

□千五百之黄泉軍

 

「且後者 於其八雷神 副千五百之黄泉軍令追」

 

(且つ後ろ者(は:短語)其の八雷神に於いて
千五百之黄泉軍を副えて追う令(せしむ:追わせる))

 

雷の「音」が大きく「1500」もの大軍勢が来たと

思ったのだと考えています。

 

しかし、なぜ、「1500」と言う数字が出て来るのかが疑問です。

 

一度でも「1500」の軍勢と戦った事があるのでしょうか?

 

ちなみに日本書紀には、この記事は掲載されていません。

 

□意富加牟豆美命

 

「爾伊邪那岐命告桃子 汝如助吾 於葦原中國所有宇都志伎

 【此四字以音】青人草之落苦瀬而 患惚時 可助告

 賜名號意富加牟豆美命【自意至美以音】」

 

(爾(なんじ)伊邪那岐命、桃の子に告げて

 

 汝、吾を助ける如く

 

 葦原中國に於いて有る宇都志伎(うつしき)所

 

 青い草之(これ)人が瀬而(に)落ちて苦しみ
 患って惚(ぼ)ける時助ける可(べ)きと告げる

 

 號意富加牟豆美命(おおかむづみ)の名を賜る)

 

上記は古事記の記事で、

日本書紀には「意富加牟豆美命」の名は登場しません。

 

「意富加牟豆美命」を別の漢字で書くと「大神津見命」

になるのではないかと考えています。

 

「葦原中國」の名が出ているので、「黄泉國」にある「桃の木」を

舟で「葦原中國」まで運び移植した可能性を考える事が出来ます。

 

あと、この文章だけでは「意富加牟豆美命」がどんな人物なのかを

推測出来る情報が不足しています。

 

「意富加牟豆美命」は「桃の木」の移植を成功させた功績により、

名を賜ったと推測出来ます。

 

「黄泉國」に「桃の木」があったという事は、

別の場所から「桃の木」を輸入し黄泉(温泉街)に移植した人物が

存在した筈で、その技術者の家系の一人ではないかと考えます。

 

□日本書紀一書第六補足

 

一書第六:

 

「後則伊奘冉尊 亦自來追 是時 伊奘諾尊 已到泉津平坂

 一云 伊奘諾尊 乃向大樹放 此即化成巨川 泉津日狹女

 將渡其水之間 伊奘諾尊 已至泉津平坂」

 

(則(すなわ)ち伊弉冉尊が後に亦自らを追って来る是(この)時

 伊弉諾尊已(すでに)泉津平坂に到る

 

 一つに伊弉諾尊、乃ち大樹に向けて尿を放ち、
 此れ即ち巨(おお)きい川に化けて成る

 

 泉津日狹女、その水の間(あいだ)を将に渡る

 

 伊弉諾尊と伊弉諾尊已(すでに)泉津平坂に到る)

 

一書第六の補足として上記の記事を考えます。

 

古事記にも下記の文があります。

 

「最後其妹伊邪那美命 身自追來焉 爾千引石 引塞其黄泉比良坂」

 

(最後は其妹伊邪那美命自らの身で焉(これ)追って来て

 

 爾(なんじ)千引石(ちびきいし)を引いて
 其の黄泉比良坂を塞ぐ)

 

上記の文により、古事記と日本書紀の内容は一致しているので、

「イザナギ」を先に逃がし、次に護衛?を逃がし、

最後に「イザナミ」が坂を逃げて来て、最後に「イザナギ」と

合流するという推測を考える事が出来ます。

 

ここで言う「イザナミ」は「妹伊邪那美命」の事であって、

亡くなった「伊邪那美神」ではありません。

 

気になる点として、日本書紀にある「巨(おお)きい川」があります。

 

普通であれば「大」を使いますが「巨」を使う事で、

どのように変化するのか気になる所です。

 

字源を調べると「巨」は「取っての付いた定規・さしがね」と、

書かれていますが、どう関係しているのでしょうか。

 

「一つに伊弉諾尊、乃ち大樹に向けて尿を放ち、
 此れ即ち巨(おお)きい川に化けて成る」

 

この文章自体、黄泉國での行動なのか疑問がありますが、

同じと考えると少し、状況が分かって来ます。

 

多分に上流では狭い川だったのが、下流に行くにつれて、

川幅が大きくなっていった事を指ししていると思われます。

 

であれば「巨(おお)きい川」は下流と解釈する事が出来そうです。

 

しかし、「定規・さしがね」との関係性がまだ、謎です。

 

もしかして、「イザナギ」が下流において「定規・さしがね」を

使って川を造らせたのだろうか?

 

火山噴火の関係で「土石流」を考えましたが、

「泉津日狹女、その水の間(あいだ)を将に渡る」とあり、

「土石流」の中を渡るのは無理と思われる事から、

深さは浅く、きれいな水の流れる川と考えられます。

 

一書第九、一書第十の検証で参考になる箇所があれば、

その時に再検証したいと思います。