先日に続き、またもや出撃します。

※数日前の出来事を遅れて記事にしています。


良い季節は短い。



今日は天気が微妙なのでカッパを積載するためにサイドバッグをセット。

サイドバッグの右半分はカッパ専用、というかカッパだけでいっぱいになってます笑



関越→嵐山小川IC→定峰→秩父市街を一気に駆け抜けて滝沢ダムまでひとっ飛び。

定峰峠のある県道11号の秩父側はかなり長い間、通行止めでこのルートが使えませんでした。
復旧したのはほんとにありがたい。


滝沢ダム下流側の駐車場はループ橋が見通せます。



今度はダムに移動。
晴れていてとても気持ち良い。



そしてここからが本日の目的。

滝沢ダムから140号を少し西進して県道210号に入ります。
向かうは中津峡、ではありません。


と言いつつ途中で道を間違えて中津峡を突っ切ってその先のダート区間をしばし爆走 笑

おかげで素掘りの荒々しいトンネルに出会えました。
ここは森林科学館のさらに少し先。



気を取り直して210号に復帰。
森林科学館方面との分岐からしばらく進むと魔界への入口みたいなトンネルに出くわします。



素掘りで照明もなし。
長さもそこそこあって違う世界へ繋がりそうな錯覚を覚えます。

ちなみに私が通ったとき、2名の作業者が懐中電灯1本で敷設されたケーブルの工事を行っていました。

工事中の案内でも出せよ、と思いますが場所が場所。
ここはごく一部の人しか通らない、私道みたいなものなのです。


トンネルを抜けて荒れた路面をしばらく進むと現れるのがニッチツの秩父鉱山。

プレスリリースでは22年に閉山したことになっていますが今も操業しています。
たぶん閉山作業かな。



ここより先は林道金山志賀坂線。
本来は299号まで通じていますが災害でこの鉱山の先でゲートが閉じています。



そう、さっきのトンネルは鉱山の関係者(と登山口があるので登山者)しか使わないのです。


後で調べてわかりましたが、林道金山志賀坂線は令和元年の台風被害で現在に至るまで通行止め、県道210号は土砂崩れで令和4年9月から令和5年8月まで通行止め。

県道210号が通行止めの期間は外界への通行手段が無くなるので孤立する集落の関係者のみ林道の通行を認めていたよう。

このゲートは210号が復旧して林道が完全に封鎖されるタイミングで新設されたんだと思われます。



ちょっと話が逸れました。

私がここを訪れた理由は一部界隈では有名な廃墟群を見るため。

鉱山周辺にはニッチツが用意した数多くの社宅と人々の生活に必要な小学校、売店、銭湯、病院などが存在し、当時はここに街があったんだそう。

今もいくつかの施設はそのまま廃屋が残っています。

↓これは売店跡。



何というか、現役で操業している鉱山の横で朽ち果てた廃屋が並ぶ姿は異質なものを感じます。

日本の鉱山の栄枯盛衰を凝縮したような風景かもしれません。



雰囲気に圧倒されたのか、写真はなぜかほとんど撮りませんでした。

廃墟にしても廃駅にしても来るたびに思うのは、そこにあったであろう人々の営みに想いを馳せるのがけっこう好きなんだと思います。
理系だけど歴史はすごい好きなんですよ、たぶん根っこは同じですね笑


ニッチツの廃墟群の話に戻ると、社宅は取り壊しが進んでいるのか数年前に訪れた人のブログで紹介されていた建物が見つけられなかったりしました。

また、いずれの廃屋も立ち入ることが出来なくなっています。
有名な小倉沢小中学校や丹岫寮(社員寮)などは敷地自体が封鎖されているので外から眺めるのもむずかしくなっています。


↓これは鉱山事故の慰霊碑。

カメラを構えている場所は石垣を登った先の平地。
ここもたぶん、社宅が立っていたんでしょう。



今回は走るというよりは廃墟を眺めるのがメインのツーリングでした。
こんなところもバイクならひとっ飛びで訪問出来るのが素晴らしい。

次はどこ行こうかなー。