別に、願ったわけではないけど

やたらと共通点のある先生がいた。

わたしが中学生の頃の話。



まず、中学一年生の頃。

わたしの中学校は4階建てだった。

1番上の4階から、1年生、2年生、3年生と、

学年が上がるにつれて階が下がってゆく。


わたしが通っていた中学校は、とにかく

上下関係が厳しいことで有名だった。

挨拶から、靴下の長さ

ジャージのチャックの開け具合

カバンの持ち方すら

学年毎の決まりがあった。

そしてそれらを、高学年が監視している。

だからこそ、中学1年のわたしは

なるべく4階から下がりたくなかった。


朝、4階に行ったのであれば

移動教室がない以上、4階から動きたくなかった。


中学生になると、教科毎に

授業を先生が教えてくれる。


御用聞という係を決める時、

週に一度しかない、美術係に手を挙げた。

なぜなら、該当する授業がある前日、

授業の先生に、持ち物などの確認をする為

1階に降りる必要があったからだ。

どうしても下階を通過したくない私は

授業日数の少ない教科を選択した。

じゃんけんで決める中、

負け続け、その都度、

授業数の少ない教科を選んで立候補するも

どんどん負けていった。


そしてわたしは最終的に

国語係という、週5回、一階に降りていく必要のある教科の御用聞となった。


中学2年生

その先生は、経験がないと言う

わたしが配属していたテニス部の顧問になった


中学3年生

部活の顧問と、担任の先生となった



テニス部の部長を勤めたわたしは、

さすがにその先生と、何度も何度も衝突をした。

若気の至りもあったとおもう。


泣いたこともあった。

悪い態度もたくさんした。

言われた記憶はまったくないけれど、

酷い言葉はたくさん言った。

ほとんど記憶にないけれど、きっと、

想像以上に、言った。



卒業式

担任の先生だったから、卒業式のあと

卒業証書を教室で渡された。


わたしに卒業証書を渡す時、はじめて先生は泣き始めた。

こんなに良い子で、こんなに頑張っていて、

そんな子が、報われて欲しかった

先生はそう言った。


当時わたしは、第一志望の高校に落ちて、

第二希望の高校に進学することが決まっていた。


“若気の至り”

泣いてる先生にわたしは、

ありがとうもごめんねも言わず

怪訝な顔を見せて卒業証書を受け取った

若気の至りだった。


大人になっても、ずーっと、心残りだった。


わたしの結婚式

式中、突如現れた

友人が作ってくれたサプライズムービー。

そこに、先生が現れた。

わたしが過去に、あんな態度をしたことを帳消しにして、現れてくれた。

大人になると、

懐かしさと申し訳なさと愛おしさと

中学生当時の最大限の生き方の記憶で

涙が止まらなくなった。


あぁ、やっぱりこの先生は

わたしにとっての記憶に残る先生なんだなぁと思った


もちろん結婚式のあと、

大人になったわたしと態度で挨拶に伺った


先生って、素敵な職業だと思う。

そしてそれを、素直に伝えることができた。


メインブログをみてほしい




記憶に残ってる学校の先生

 

 

 

 

 

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