海辺の小さい町で育った。潮風に慣れすぎて、当時はよくわからなかったけれど、洗濯竿は錆びることが当たり前だと思っていた。
 小さい町だった。バスに乗るためにバス停に向かうと、会う人全てに挨拶をするような、そんな町だった。
 嫌いではなかった。むしろ、好きな町だった。
 同級生は、みんな良い子だった。喧嘩は何度もしたけど、歳を重ねてもわたしたちは交流を続けた。
 大人になって、結婚をして、町を離れることになった。引っ越す前日、お風呂場でたくさん泣いた。このお風呂に当たり前に入ることもなくなるんだな、ここでみんなとお風呂に入ったな、花火の時は響いてうるさいんだよなぁ。いろんなことを思い出して、たくさん泣いた。
 結婚してしばらくして、子供を産んだ。それはそれは可愛い男の子で、何度も子供を連れて海辺の実家に帰省した。
 そんな日々が続くと思っていた7月のある日。わたしの家は流された。突然の出来事だった。
 幸いにも両親は生きていた。しかし、近所の人はたくさん亡くなった。
 疎遠になっていた友人知人からたくさんの連絡が来た。ありがたかった。
 でも、そこからが本当の災害だった。
 たくさんの物を失った両親は落ち込んだ。立ち直ったと思っては、落ち込んだ。
 新しい家は、海の見えない山の中だった。この家を買うと言う両親の提案を、わたしはまったく喜べなかった。
 このまま、この山の家を買ったら、あの海の町に帰れなくなると思ったからだ。わたしだったら、またあの海辺で家を買って住みたい。もっと便利なところに引っ越せるチャンスって思おうよ。そんなことを思ったけど、わたしが口出すことではないのかなと、その思いを強要することはしなかった。
 山の家を買っても、好転はしなかった。多くの物を失って未来に不安を抱えた代償は大きかった。あまりにも大きくて、今でも悩みの種となっている。
 流された日がくるとわたしは、海辺の街へ足を運ぶ。帰るのはその日だけ。その日しか、帰ることができなくなってしまった。
 その数日後、海辺の町ではお祭りが開催される。昔は必ず行っていた。そこで同級生と会ってお酒を飲んでまた仕事を頑張る、夏の始まりだった。
 でもあの日依頼、参加することはなくなった。拠点がなくなったわたしは、気分も億劫になり、実家と言う拠点もないことから、参加しなくなってしまった。
 ここであんな災害があったことが忘れ去られるように、祭りは行われる。とても大切なことだと思う。けれど、当事者にはキツイものがあると思い知った。
 それでも、まわりは変わらない日常が続いていて、SNSには懐かしい太鼓の音と鐘の音が鳴る。7月が苦手になってしまった。
 あの日からわたしは、海辺の町から疎外されてしまった。
 今年も7月は来た。早く終わってくれないかなぁと思っている。
 それでも変わらず、7月は訪れる。来年も、再来年も。これからの人生、どうにか乗り越える方法を探していきたい。