「花燃ゆ」予習編19

◎楫取素彦の伝記発見

「六月七日の新聞等で、楫取素彦の伝記が発見されたよという報道がありました」

「見ました、見ました」

「これまで楫取には、まとまった伝記というものが一つもありませんでした」

「はい」

「ですが、実は村田峰次郎という人が伝記を書いていたのです。それが、刊行されずに草稿のまま、昭和の戦争で焼けてしまったと言われていました」

「残念。幻の伝記ですね」

「ところが、二年前ですかね、例の『楫取素彦の生涯』という本を防府の顕彰会が編集していた時期に、萩博物館の道迫真吾学芸員が東京の楫取家を訪問した際、この伝記の草稿を発見したというのです」

「えー、焼けてなかったのですか!」

「そうなのです。で、道迫さんが今回それを活字化したということらしいですよ」

「すごいですね」

「大河ドラマの年には、こうした発見ってよくありますよね」

「日頃気にしてないけど・・・ってことですか」

「そうでしょうね。無価値と思われていたものが急にお宝になるのです。さて、村田峰次郎という人は何者?という話です」

「どこの人ですか」

「長州人です。徳田さん、村田清風という名を聞いたことはありませんか」

「ありますよー。長州藩の財政を立て直した人・・・」

「その清風の孫です」

「え、そうなのですか」


◎村田峰次郎と久坂(楫取)道明は友人だった

「へー。村田清風の孫・・・ということは、いつ頃に生きた人ですか・・・」

「安政五年生まれです。松陰の死が安政六年ですから、その時代の人とイメージしてください」

「はい。では、幕末期はまだ子供だったということですね」

「昭和ニ十年まで生きています。八十八歳没ですね」

「え!昭和・・・それは結構長生きというか、最近の人というイメージが・・・」

「村田峰次郎は歴史家で、高杉晋作や大村益次郎の伝記も書いています。高杉とか大村とかは、メジャーな人物ですわ。楫取素彦とか、こう言っては何ですが、マイナーな人物ですよ」

「ええ・・・まあ、そうですね(苦笑)」

「なぜ村田が、そんなマイナーな人物の伝記を書いたのでしょうか」


「たしかに」
「ひとつには、村田峰次郎の父、村田次郎三郎(大津唯雪)が楫取と友人だったことが挙げられます」

「あ、そうなのですか」

「もう一つ。楫取素彦の次男の楫取道明と村田峰次郎は、一歳違いの幼馴染の友人だったのです」

「えーと、道明という人は、久坂玄瑞と文さんの養子になって久坂家を嗣いだ人ですね」
「そうそう。幼名は久米次郎、のち道明です。で、道明と峰次郎は子供の頃からの友人で、お互い吉田松陰と村田清風という偉大な親族を持った者同士で、そういう英雄談で盛り上がっていたようですよ」

「なるほど。そういう関係があったのですね」
「実は道明は、父の素彦より先に亡くなりまして、村田峰次郎は道明の伝記も書いているのです」

「へー」

◎楫取と美和(文)の三つの涙

「ということで、今日は楫取と美和さんの三つの涙、というお話です」

「まあ、なんとロマンチックな・・・」

「徳田さん、『涙松集』って聞いたことありますか?」

「るいしょうしゅう・・ですか」

「あのー、松陰が江戸に護送されるとき、詠んだという・・・」

「はいはい、何か聞いたことあります」

「もともと萩往還に涙松というのがありまして、萩の街が最後に見える場所にある松で、そこで松陰が詠んだ『帰らじと思ひさだめし旅なればひとしほぬるる涙松かな』という歌からとった歌集です」

「そうでしたー」

「これが、一つ目の涙です」

「はい」

「で、二つめが、例の『涙袖帖』ですよ」

「るいしゅうちょう・・・久坂から文(美和)さんへの書簡集ですね」

「楫取がつけた名前ですが、実は、このタイトルには元ネタがありまして」

「ほう」

「これ以前に『涙襟集』―るいきんしゅう・・・涙の襟の集という書簡集があったのです」
「そうなのですか」

「これは、古く赤穂浪士の一人、小野寺十内という人からその妻に送った書簡集です」
「赤穂浪士・・・とは、これまた昔の話ですねー」

「幕末の時代には、これがよく知られていまして、楫取はそれをもじったわけです」

「はー、そうだったんだ」

「で、三つめは『催涙集』です」

「さいるいしゅう・・・ですか」

「聞いたことないでしょ」

「ありません」

「これは、楫取道明を偲んだ歌集なのです」

「え!」