◎楫取の次男久米次郎
「八月十八日の政変の後、久坂は養子をとります」
「養子?」
「文さんとの間に子供がいませんでしたから・・・それにしてもちょっと早いですよね」
「まだ二人とも二十代前半ですよね」
「久坂も、何か思う所があったのでしょう」
「自分も、いつどうなるかわからないという危機感ですか」
「なのでしょうけど、見切りが早いですね。文さんは、まだ二十歳を過ぎたばかりですよ。そう考えると、文さんは夫に従順な人だったと思います」
「この時代の女性は、皆そうだったのでしょうか?」
「そういう事はないでしょうけどね。文さんは強烈な個性の兄松陰や夫久坂の言葉に、従順ですね」
「良い奥さんということですか?」
「見方によっては、都合のいい女タイプという言い方ができるかも(笑)。」
「うーん・・・」
「で、その養子というのが、楫取素彦の次男、久米次郎です」
「ん・・・。えーと。楫取の子ということは、文さんにとって、お姉さんの子―甥になるわけですか」
「そうです。楫取には、すでに篤太郎・久米次郎の二人の男子がいましたから、その次男の久米次郎をもらったわけです。のち道明と名乗ります」
◎久坂の実子、秀次郎
「明治二年に、久坂の実子が登場してきます」
「はい」
「秀次郎という名前です。これは、久坂玄瑞の幼名が秀三郎だったことに由来するのでしょう」
「なるほど」
「この子が京都から長州藩にやって来まして、藩は久坂の実子と認めるのです」
「あらー」
「品川弥二郎や野村靖が、まちがいないといったようですね。容貌が似ていたともいいますが、彼等は京都での久坂の生活をよく知っていたのでしょうね」
「ははあ、そうですか」
「ところが、秀次郎の母親がよくわからないのです」
「ん・・・それも変な話ですね。母親が連れて来たのではないのですか?」
「秀次郎は、元治元年九月九日生まれで、まだ六歳ですから、そう思うのですが、はっきりしないのですよ・・」
「記録がないんだ」
「久坂のご子孫で、久坂恵一さんという方が書かれた『久坂家略伝』という本には、秀次郎の母親は、京都の花街島原『桔梗屋』の抱え芸者辰路、本名西村タツと書かれています」
「あら、わかっているのですか」
「ところが、『久坂玄瑞全集』には、母親のことを、タツ(佐々木ヒロとも)と書かれています」
「佐々木ヒロ・・・」
「で、久坂恵一さんは、タツとヒロを同一人物と解釈しました。これが、一応通説になっているようです・・・」
「はい」
「私は『久坂玄瑞全集』の佐々木ヒロという名が、どこから出てきたのかわからなかったのですが、最近わかりました」
「ほう」
「山口県立図書館に、『久坂家系統一覧』という本がありまして、久坂家系図が書いてあるのですが、これに秀次郎の母親は、佐々木ヒロと書かれているのです」
「これが『久坂玄瑞全集』の原典だったのですね」
「これを書いたのは、杉民治です」
「文のお兄さんですか」
「ええ、そして民治の原本を写したものが現存のものですが、写した人物が久坂秀次郎なのです」
「ということは、秀次郎自身は、自分のお母さんは佐々木ヒロと思っていたわけですか」
「八月十八日の政変の後、久坂は養子をとります」
「養子?」
「文さんとの間に子供がいませんでしたから・・・それにしてもちょっと早いですよね」
「まだ二人とも二十代前半ですよね」
「久坂も、何か思う所があったのでしょう」
「自分も、いつどうなるかわからないという危機感ですか」
「なのでしょうけど、見切りが早いですね。文さんは、まだ二十歳を過ぎたばかりですよ。そう考えると、文さんは夫に従順な人だったと思います」
「この時代の女性は、皆そうだったのでしょうか?」
「そういう事はないでしょうけどね。文さんは強烈な個性の兄松陰や夫久坂の言葉に、従順ですね」
「良い奥さんということですか?」
「見方によっては、都合のいい女タイプという言い方ができるかも(笑)。」
「うーん・・・」
「で、その養子というのが、楫取素彦の次男、久米次郎です」
「ん・・・。えーと。楫取の子ということは、文さんにとって、お姉さんの子―甥になるわけですか」
「そうです。楫取には、すでに篤太郎・久米次郎の二人の男子がいましたから、その次男の久米次郎をもらったわけです。のち道明と名乗ります」
◎久坂の実子、秀次郎
「明治二年に、久坂の実子が登場してきます」
「はい」
「秀次郎という名前です。これは、久坂玄瑞の幼名が秀三郎だったことに由来するのでしょう」
「なるほど」
「この子が京都から長州藩にやって来まして、藩は久坂の実子と認めるのです」
「あらー」
「品川弥二郎や野村靖が、まちがいないといったようですね。容貌が似ていたともいいますが、彼等は京都での久坂の生活をよく知っていたのでしょうね」
「ははあ、そうですか」
「ところが、秀次郎の母親がよくわからないのです」
「ん・・・それも変な話ですね。母親が連れて来たのではないのですか?」
「秀次郎は、元治元年九月九日生まれで、まだ六歳ですから、そう思うのですが、はっきりしないのですよ・・」
「記録がないんだ」
「久坂のご子孫で、久坂恵一さんという方が書かれた『久坂家略伝』という本には、秀次郎の母親は、京都の花街島原『桔梗屋』の抱え芸者辰路、本名西村タツと書かれています」
「あら、わかっているのですか」
「ところが、『久坂玄瑞全集』には、母親のことを、タツ(佐々木ヒロとも)と書かれています」
「佐々木ヒロ・・・」
「で、久坂恵一さんは、タツとヒロを同一人物と解釈しました。これが、一応通説になっているようです・・・」
「はい」
「私は『久坂玄瑞全集』の佐々木ヒロという名が、どこから出てきたのかわからなかったのですが、最近わかりました」
「ほう」
「山口県立図書館に、『久坂家系統一覧』という本がありまして、久坂家系図が書いてあるのですが、これに秀次郎の母親は、佐々木ヒロと書かれているのです」
「これが『久坂玄瑞全集』の原典だったのですね」
「これを書いたのは、杉民治です」
「文のお兄さんですか」
「ええ、そして民治の原本を写したものが現存のものですが、写した人物が久坂秀次郎なのです」
「ということは、秀次郎自身は、自分のお母さんは佐々木ヒロと思っていたわけですか」