◎文久二年の久坂玄瑞

「たとえば、岡本三右衛門に資金融通をゴリ押ししたのもこの時期ですし」

「岡本は、宮市の商人ですね」

「はい。義兄の杉梅太郎(民治)にも借金しています」

「あらー、そうですか」

「また、旧村塾門下生に一燈銭申合という企画を提案しまして」

「何ですか。それは?」

「いろんな本の写本をしましょうと。で、その写本代を積み立てて、活動資金にしましょうということです(久坂自身は一回やっただけで断念している)。とにかく、お金集めに一生懸命なのですよ」

「なるほど」

「文久二年(一八六二)の正月になると、今度はお客さんラッシュです」

「ほう」

「正月の、それも一日からですよ。薩摩人田中藤八(註。久坂が日記『江月斎日乗』に、田上藤七と書いたため、昭和四三年建立の松陰神社の石碑にもその名が刻まれてしまっているが、これは久坂の誤記で、田中藤八が本名)、土佐人坂本龍馬・吉村寅太郎・越後人本間精一郎、肥後人牟田大助・・・と、これでもかというくらい、久坂を訪問してきます」

「久坂に会いに」

「今や、天下の名士ですから。しかし、迎える文さんにとってはキツイと思いますよ。正月早々にね。で、難しい天下国家の話をするわけですよ。奥さんの立場としては、どうなのですかね?」

「面倒くさい!(笑)その当時の人の気持ちはわかりませんけどね」

「政治家の嫁というのは、今も昔も大変なものなのでしょう(笑)」

「そうなのでしょうねー(笑)」

「なぜこの時期、久坂家に来客があったかといえば、薩摩藩が動きだしたという情報が入ったからです」

「はい?」

「薩摩藩が、倒幕のため兵を率いて上京するというのです」

「へー。文久二年の段階で、ですか?」

「結局誤報だったことは後に判明するのですが、これは天下の一大事と・・・、討幕は久坂の夢ですからね。遅れをとってなるものかと。三月二十四日に萩を出発して上京します。で、久坂は二度と萩に帰ってきません」

「えー!」

「久坂が死ぬ元治元年七月十九日まで、あと二年半ありますが、一度も帰ってきません。文久二年三月二十四日が、文さんとの永別になりました」

「えー!もう終わりですか」

「この間、手紙は出していますけどね」

「どちらが・・・ですか?」

「ですから、遺っているのは久坂からのものだけですね(『涙袖帖』)」

「そうでしたー」

「愛の文書みたいに言われていますが、よく読むと久坂の態度が変わっていることがわかりますね」

「どういう事ですか?」

「文さん、お金はありませんので、よく服を送っています」

「はい」

「最初の頃は、久坂、すごく恐縮しています。無理しなくていいよ・・・みたいな。ところが、段々傲慢になって、絹物を送れとか注文をつけています」

「ん・・・?」

「結局、色んな人に会うのに、みすぼらしい格好では会えないというわけですよ」
「でも、文さんもお金がないのでしよう?」

「それを、何とかせい!って話ですよ」

「何ですか、それ(イラッ)」

「最後には、京都で別の女の人との間に子供作っていますしね」

「うーん・・・」