◎悲劇の人。久坂玄瑞

「久坂が憎んだのは、長井雅楽ですね」

「ああ、やはり・・航海遠略策の人ですね」

「これは長い論文ですが、要するに、幕府の開港策を追認したものです。もう外国と約束したのだから、いまさら引き返す事はできないよと」

「うん」

「朝廷は攘夷と言っているけど、ここは朝廷に我慢していただこうと・・・これは幕府喜ぶんですね。嬉しいこと言うのが出てきたと」

「はい」

「で、長井は運動をしてくれと頼まれるのですね。これが久坂は許せないのです。同じ長州藩の中で、自分が攘夷と言っているのに、真逆のことを言われては、たまったもんじゃないと」
「そうでしょうね(苦笑)」

「でも、結局長井論が長州の藩論になります。藩主もokだして。でも久坂はこれを絶対に阻止しなくてはならないと、あの手この手、自ら暗殺も企てたり(註。本気ではなく、最初から自首することが目的の茶番。久坂にのせられた伊藤博文は、「バカバカしいから吾輩は自首しなかった」と言っている)、誹謗中傷の文書をばら撒いたりして、長井をひきずりおろそうとするのです」

「うえー・・・」

「あの辺の行動を見ていると、なんかもう・・・どうなんだって感じでね(苦笑)」

「うーん」

「久坂は、敵ができたら燃えるのですよ。憎しみが原動力というのは、この事をいうのです」

「なるほど」

「で、結局長井は失脚し、自分の思い通りになったと満足したのも束の間、一年も続きません」
「八月十八日の政変ですね」

「その前に、下関の対岸の小倉藩が攘夷に参加しないと、これまたプチ憎悪していますが・・・彼の憎しみの最後の対象が会津藩ですよ」

「あー」

「これを叩き潰すことに血道をあげて・・・逆に自分の人生が終わってしまったということになります」

「禁門の変で散ってしまうのですね。禁門の変のとき、久坂本人は行きたくなかったという説もありますよね」

「いや。上京する時は、はりきっていました」

「そうなのですか!」

「真木和泉・来島又兵衛と共にいきりたって行くのですよ。ところが行ってみると、どんどん包囲されてね」

「うまくいかなかったのですね」

「やるのだったら、さっさとやればよかったのですよ。長州人は理屈が多いじゃないですか」

「ははあ(苦笑)」

「同情ひこうと思って、あちこちに文書をまくことに時間を浪費しています。その間に禁裏守衛総督の一橋慶喜が準備を整えまして、どうにもならなくなってしまいました」

「あー」

「さすがにここまでくると、これはマズイと思ったのですよ。久坂、まだ若いですから、この時点で死にたくはなかったと思います」

「二十四、五歳でしたっけ」

「ええ、若くて健康で、まだ未来がある若者が死にたくないのは当たり前ですよ。来島・真木コンビは、もう十分生きて先がないのですから、ここで人生を擲っても後悔はありませんが、久坂はすごく未練があったと思いますよ」

「そうですねー」

「ですが、二人の老人に引きずられてしまって・・・実際戦闘が始まったら何もしないのです(『忠正公勤王事績』)」

「自尽という形でしたね」

「追い詰められて、公家の館で囲まれて逃げ場を失って・・命を絶つと。すごく未練があったと思います。そういうことで、彼の人生は、常に何者かに対する憎しみに取りつかれ、左右され、自滅したという感じがして、悲劇といえば・・・まあ悲劇の人といえるかも」

「なるほどですね・・・」