◎憎しみの人。久坂玄瑞


「久坂は、すごくアクティブな人だったですよね」
「熱血漢のイメージがあります」

「突っ走って散ってしまったという・・・。休憩をしていないのです」

「休憩?」

「高杉晋作は、よく休憩しましたよね」

「姿をくらましたりね(笑)」

「ポンとね。やっぱり疲れるのですよ」

「アハハ」

「久坂は、見ている方が苦しくなるような感じでして。余裕がないというか、一心不乱というか、何かに取りつかれているような・・・」

「わかるような気がします」

「そのアクティブな行動の原動力は何かというと・・・憎しみの感情ではないかと私は思うのですよ。そこが何かね・・」

「憎しみ・・・だれに対しての?」

「最初に外国を憎みますよね」

「攘夷ですね」

「十四歳の時、ペリーが来ます。嘉永六年六月ですね。日本中が大騒ぎになりますが、久坂個人も大変でして。八月にお母さんが亡くなります」

「二か月後に・・・」

「翌年二月にお兄さんが亡くなり、三月にお父さんが亡くなります」

「不幸続きだったのですね・・・」

「この辛い経験が、まだ少年だった彼の中で、ペリー来航と渾然一体になったような気がするのですよ。ある意味」

「大変な年だったと・・・」

「理屈ではなく、外国に殺されたかのような・・・憎しみが生じたのではと」

「うーん」

「本人が意識する、しないに関わらず、根にあったのでは思うのです。それで外国を憎むと・・・」

「そこで攘夷と」

「彼の攘夷は、攘夷のための攘夷のような気がするのですよ。文久三年、長州藩は表向き攘夷といいながら、イギリスに秘密留学生を送っていますよね」

「長州ファイブ」

「要するに、ただ攘夷とか言っていても未来がないから、外国の研究、知識も身につけておかなければってことですよ」

「建設的ですね」

「伊藤博文の回顧談によりますと、伊藤は久坂に相談したところ、久坂が激怒して、何を言っているんだ。攘夷をやるのだと言われたというのです」

「えっ!そうなのですか」

「井上馨も、高杉と久坂に相談しました。高杉は大賛成でしたが、久坂はやはり反対したといいます。真反対の対応だったのです」

「松下村塾の双壁の意見が割れたのですね」

「伊藤はシュンとしてしまいましたが、井上は久坂より年齢も身分も上ですから、逆に説き伏せましたがね」

「聞多さんは強気ですね(笑)」

「このエピソードからも、久坂は何か先の見えない攘夷やっているなあ・・・と思うのですよ」

「うーん」

「第二の憎しみは幕府ですよ」

「討幕・・・」

「彼はだれよりも早く討幕にいきついた一人と思うのですが・・・」

「なぜですか?」

「松陰先生の仇だからです」

「あー、それは仕方ないかも」

「当時は、幕府を立て直してなんとかやっていこう、という考えも当然あるわけですが、久坂はNGなんですよ。幕府の存在が。で、幕府を困らせるために攘夷をやると。幕府を追い詰めるための攘夷。外国も幕府も彼の憎しみの対象ですから」

「なにか、辛くなってきますね・・・」

「まだ、続きますよ。藩内にも敵を求めるのです」

「だれですか」