◎文のトラウマ
「結局、文は楫取と再婚(明治十六年)するのですが、これは急に決まったものではなく、私の調べによりますと、わりと早い時期から、関東(熊谷・前橋)の楫取家に出入りしているのです」

「いつ頃からですか?」

「明治八年は確実ですね」

「再婚の八年前から・・・」

「特に明治九年頃からは、楫取の奥さんの寿さん(文の姉)の体調不良という事情があって、文さんはその看病や、楫取家の家政に介入していくのです」(註。当初の目的は、養子の久米次郎に会いに行くものだったと推察される)
「妹ですからね」

「わりと頻繁に行き、それが何年も続いたようですね。そういう関係ですから、寿さんの体調悪化に伴い、楫取の後添えは文、というのはある程度、暗黙の了解があったと思います」

「うんうん」

「県令という身分は、妻は絶対必要なのです。寿さんにとっても、自分の死後、見も知らぬ女性が入ってくるよりも、妹の文さんなら安心という想いがあったのではないですか。昔は、姉の死後に妹を娶る、というケースは珍しくありませんからね。(杉民治の前妻亀子と後妻幸子も姉妹)」

「そうなのですか」

「ということで私は、楫取と文の再婚は既定路線だったと思うのですが、伝わるところによりますと、いざ再婚という段になると、文さんはかなり頑強に抵抗したというのです。再婚だけはしたくないと」

「ほー」

「お母さんの滝さんが怒涛の説得をして、ついに承諾したというのが俗説(昭和十年代の各書)です」

「文さんは、久坂に一途だったのではないですか?」

「それも確かにあったでしょう。久坂からの手紙を一生大事にしていた人ですから。それと、松陰の教えですよ。再醮改適を許さず・・・という」

「なるほど」

◎分析。久坂玄瑞
「さて、徳田さんは久坂玄瑞という人物について、どういうイメージをお持ちですか?」

「イケメン!」

「あ・・・そっちですか(笑)ちなみに、あの久坂の肖像は絵ですからね」

「しかも、久坂本人ではないのでしょ」

「よく御存じで。久坂の子、秀次郎という人がモデルですね。文さんの子ではないですから、問題ですよ」

「隠し子・・・」

「その話は、いずれ詳しくやります」

「わかりました」

「えー、私はいつも久坂の事を良く言わないので(苦笑)、久坂ファンにはもうしわけありませんが・・・」

「久坂は、女性には人気があるようですよ」

「やはりイケメンイメージで(笑)」

「最期の散り際が悲劇的だから・・・というのもあるのでは」

「若くして亡くなった人に同情票が入るのは、人情として理解できますけどね。で、私がなぜ久坂に対して冷淡なのか、自分で分析してみました」

「アハハ」

「たとえば商人(岡本三右衛門)から強引にお金を融通させたとかありますが、ああいう行為は彼だけではありませんし・・・私が久坂に好意を持てない理由はほかにあるようなのです」

「ほー」

「彼の内面にある闇というか・・・さわやかではないところが気になっているのです」

「さわやかではないのですか?」

※註。文は慶応元年から「美和」を名乗っています。