渡来人からいろいろ学んだ飛鳥の社会見学 | 世の中の真実を知った上で良い未来を作るブログ

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いろいろ知った人が未来に不安を抱いていますが、知った上で
自分でより良い未来を作る為に明るい所にも目を向けていこうという
趣旨のブログです。

 

最近、TOLAND VLOGさんの動画を

見まくる、という作業をしてたのですが、

「渡来系」というキーワードが

随所に出てくるのが心に引っかかって

ました。

 

 

そんな中で奈良の飛鳥に行って

きました。

 

 

 

ここは、檜隈寺跡地であり

おみあし神社、という所です。

 

渡来系の東漢氏(やまとのあやうじ)の

祖である「あちのおみ夫妻」を

祀っています。

 

 

石塔婆(重要文化財)

7世紀頃からあるなんて凄い。

 

 

次に、キトラ古墳の内壁見学に

行ってきました。

 

 

こちらは現物ではなく、キトラ古墳の

横に隣接する「四神の館」にある

レプリカです。

 

 

実際に見て来たものは写真撮影禁止

だったのですがこんな感じ↓

 

内壁の見学は、古墳の石室に

入って見るのではなく、壁画を

石室から外して保管されてるのを見る、

というスタイルです。

 

 

壁画は状態が良くなかったので

すごく大変な作業を長い年月をかけて

保存できる状態にしたそうです。

 

頑張ってくださった方々に感謝。

 

 

image

 

冒頭で「渡来人の祖」の神社を

紹介しましたが、飛鳥という地は

もはや「渡来の地域」と言っても

過言ではないほど渡来人が活躍した地

であったと知りました。

 

 

東漢氏(やまとのあやうじ)だけで

なく、その他にも多くの渡来系の

有力者が住んでいて、重要な国の

お仕事をしていたのだとか。

 

飛鳥には渡来系(百済など)が

住んでいた痕跡が多く遺されてて

オンドル(韓国式床暖房)の

設備もあったそうです。

 

奈良は韓国ほど寒くないけど

渡来人はオンドルを奈良でも

使ってたんですね。

 

 

ちなみに、西漢氏(かわちのあやうじ)

という氏族もいました。

 

関西の方ならピンと来るでしょうが

西の大阪は「かわち」で

東の奈良は「やまと」なんですね。

 

東漢氏・西漢氏共に、文筆などの

仕事の偉い人だった模様。

 

 

 

 

キトラ古墳

 

 

橘寺↓

image

 

ご本尊は聖徳太子です。

 

橘寺、という名前は垂仁天皇が

不老不死の実を取りに行った

田道間守が垂仁天皇の死後に

持ち帰った橘の実を植えた事に

由来するそう。

 

神紋は「橘」ですが、こうなると

近くに住んでた藤原不比等の

年上の妻的な橘美千代

(県犬養美千代)も頭に浮かんで

きてしまいます。

 

犬養姓は「シリウス系」とも

言われてて、それを不比等が

知ってたから無理やり前の夫と

別れさせて自分の妻にした。

という説を聞いた事があります。

あるお坊さんが言ってた。

 

知らんけど。と、強く言っておく。

 

 

 

二面石

 

手塚治虫氏の「三つ目が通る」にも

この二面石について描かれている

シーンがあるようです。

 

手塚治虫氏、なんか知ってたん

だろうなぁ。

 

 

 

川原寺↓

 

橘寺の前にあるのが川原寺跡。

600年代の書物にはこちらの

お寺の事が記されているそう。

 

このお寺の地面に敷かれている

「めのう」の礎石は1400年前

からあるもので、プラスチックで

保護されてない貴重な石です。

触ってもOK!

 

 

こちらの石像には雷で損傷して

しまったのもあるそうです。

※後に「雷」についても書きます。

 

 

 

 

岡えびす神社

(髙市御縣坐鴨事代主神社)

 

TOLAND VLOGのサムさんは

事代主と鴨氏とアジスキタカヒコネと

八咫烏の関連性についてお話されて

ましたが、まさにそれを伝えているような

神社の名前です。

 

 

 

次は酒船石↓

 

これ、右側がノミで削られてると

分かりました。ガタガタになってる。

 

ボランティアさん曰く、

「後の世で、お城づくりなどで石が

必要だったから切り出したのでは?」

だそうです。

 

この丸い穴は5cmぐらいで浅いです。

この石は畳四つぐらいの大きさかな。

 

酒造り用だったとしたら私1人分

ぐらいしか作れなさそうですが、

神事に使う御神酒などであれば

そうかも知れんね。

 

でも分からん、本当に何かは。

 

 

酒船石の少し下の斜面にあるもの↓

 

斉明女帝がわざわざ15kmぐらい

離れた天理から運河まで作って

万単位の人に引いて持って来させた

石だそうです。

 

なんでそんな事をさせるのか当時から

あまりにも謎だったので人々から

「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」

現代的には「頭おかしいやろ、これ」

みたいに呼ばれていたそうです。

 

 

酒船石の下の亀形の石↓

 

湧き水を高い所から低い所へ

濾過しながら流す装置。

おそらく宮中儀式で使っただろう、

との事。

 

 

これは2000年に道路整備の為に

奈良県民お馴染みの「発掘調査」を

したら出てきたのだそう。

 

それまでは埋もれてたんだって!!!

 

 

 

飛鳥寺↓

 

鞍作鳥くらつくりのとり(止利)

という渡来系の仏師が渡来スタイル

(デザイン)で作ったレアな大仏です。

 

 

大化の改新以降バーンと入ってきた

仏教を当時は非常に批判されてて

疫病や災害がある度に「八百万の

神様が仏教に怒ってるせいだ」

と批判してたんだって。

 

 

ちなみに、こちらのお寺でも

「雷」で両サイドにおられた仏像が

燃えてしまったそうです。

 

 

飛鳥は「落雷からの火災」の

被害がよく起こったようで

「雷(イカヅチ)」という名前の

交差点や住所まであります。

 

 

 

飛鳥坐神社↓

 

男性は左手、女性は右手で持ち上げ
られたら幸せが掴めるそうです。
 
私はできてホッとした(笑)
 
こちらの神社も伊勢の神様が祀って
あり、たくさんの陰陽石もある
とても壮大な神社でした。
 
 
 
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こうやって過去が残る場所に行き、
過去に起こった事件などを
学ぶ事で現在と未来を読み解けて
いけるんじゃないかと思ってます。
 
 
当時の飛鳥の民は激動の時代を
生きたんだろうな。
 
宗教が変わったり渡来人が
いっぱい来て有力政治家に
なったりね。
 
でも、飛鳥の自然や寺社が溜息が
出るほど美しいまま1400年も
遺してもらえてる、という現実を見ると
 
『なんだかんだあっても大丈夫』
 
という事なんだろう、というのが
今日の社会見学の感想です。
 
 
 
今日もありがとうございました。