一通のメールが届いたのは、おとといの事。
「blue、制作に興味ないか?」
私は役者。
彼とは、芝居を学ぶ為に入った学び舎で、どっぷりと2年間をともに過ごした仲間でした。
その学び舎を発って、この冬でもうすぐ2年になります。
その学び舎で踏んだ舞台では、役者がある程度のスタッフも兼任します。
そして私は、制作という役所で、檄を飛ばしておりました。
今まで幾つかの劇団や団体やイベントで、当日制作を仰せつかった経験、
というにはあまりに拙い経験でしたが、
とにかくにも経験を持っていたからです。
「6月に芝居をやるんだ。その制作をやってほしいんだ。どう?」
芝居を作る。
私たちは2年前まで、がむしゃらにそこに邁進していました。
そしてその最後に、残酷なくらい
その内実を問われました。
内実とは、
社会の中の芸術と現実。
「お前たちはどう向き合っていく?」
その問いかけに、
ある者は諦念をかかえながら
ある者は怒りをかかえながら
ある者は目をつぶりながら
私たちはそれぞれの道を選んで別れていきましたが、
それでも私が思うのは
私たちの誰しもが、現実に打ちひしがれながらも
この苦い種を捨てることなく、
引き出しにしまって歩いている、ということ。
そして2年。
私たちは息も絶え絶えに生きてきて、
そして彼が、
のろしを上げたのです。
正直に言って、私は軽く怒りを覚えていました。
なぜ役者として呼ばない?
その言葉を彼に向かって投げなかったのは
単に私の意地以外の何者でありません。
私はしれっとした風を装って
彼の電話に出たのでした。
「詳しく話、聞かせて?」
「俺ら同期が集まれば、劇団くらい出来ると思うんだ」
言葉にしてしまえば、それだけのこと。
まったく同じ衝動の元に数多の劇団が立ち上がってきたことも
もちろん私たちも知っています。
でも、私たちには私たちの時間と音がある。
私は彼の発したよくある言葉に
かすかにフォースが蠢くのを感じたのです。
パワーでもなく、エネルギーでもなく、
フォース。
同じ種を抱えるものたちの反逆ののろし。
「制作って何をすればいいの?」
票券管理とそれに関するお金の管理、そして当日制作。
引き受けるつもりでした。
ところが。
「いや、営業もやってほしい」
営業!?
劇場のキャパは100席。
5日間で8ステージ。
キャストは12名。
「営業って、何枚売るの?」
「150枚」
150!?
意地になっていた私は
とりあえず、会って具体的な打ち合わせをしたい
という彼の申し出に同意しました。
でも現実的じゃない。
私と同じくスタッフとして声を掛けられた同期と連絡を取り
情報を共有。
私と彼女の見解は一致、
虫が良すぎる。
断ろう。
そう思ったのでした。