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 お気に入りを詰め込んだDAPから聴こえるのは90年代に放送されたアニメのサントラ第3弾のタイトル曲。荘厳な鐘の音を灯すような一曲は線をわたり彼女に届く。

 急造の本部屋上で数曲、それが日課だった。見上げるのも虚しい、なんと表現するのが正しいのかわからない空を見つめ何を思うこともない。

  

 「――班長!」

 

 いつもは丁寧に丸める長い線をくしゃくしゃに手に納め最上階の隊長室に走った。

 

 

 「外出します」

 

 「唐突だな。外出?どこに?」

 「藤野さんについて来てもらいますし、ちゃんと戻りますよ。」

 「ふん。まあいいよ。早めの帰還をね。」

 「はい。」

 

 夏の月が終わり、本来なら紅葉した樹々が山をおおう頃だった。

 前の勤務先である長野県の警察署から藤野に連絡が入った。

 その内容は、火凪奈緒《ひなぎなお》、彼女が真《まこと》の居場所を教えてほしいと連日署に来ているからなんとかするようにというもので、元上司である地原からの電話だ。それを受けた藤野はすぐに真に報告した。そして急ぎ津川の所に行った真を待つ間に班員に事態を説明し、車を本部入り口につけ真を待った。

 真らが東京に入ったのは半年程前。藤野の運転で警察庁に行き特殊戦闘機動部隊はできた。その時の高速道路はまだ引っかかり《﹅﹅﹅﹅﹅》のない道だったが、今では亀裂が入った場所もあり、スピードを上げると車体は大きく流動し走行を困難にする。それでも、心配する藤野に頼み速度を上げ、急ぎ長野県へと向かった。

 

 市の警察署に着き、地原とはあれ以来になる。出会った頃の面影はなく、かなりの低姿勢で二人は迎えられた。

 「お着きですかっ、すみません!光嶌《みつしま》さんまで来ていただいて」

 「いえ。わたしの事ですから。ご連絡ありがとうございます。」

 「いやいやっ!今日はまだ来てないんですがね、数日前から連日来てまして、時間はまちまちなんですよ」

 「そうですか。では駐車場で待たせていただきます。」

 「えっ!署内でお待ちください!」

 「いえ。皆さんの業務外ですし、ありがとうございます。」

 目を藤野に合わせ、戸惑う地原を背に二人は車内に戻った。

 

 「地原さん、今のが羽田さん左遷せた人ですか?」

 「ん?ああ、相変わらず愛想のねえ奴らだ…」

 「藤野さんは出世だよなあ~い~よなあ上手くやって」

 一年前よりもさらに澱んだ重い空気が充満する署内は、依然として世界の縮図のように荒れ果てていた。地原は元来粗暴な性格だが、時を経るごとにその気力も失われつつあった。以前よりも濃くなったクマは目を覆うほど幅がある。

 「どうやったんすかね!藤野さん!どうやったら長官に気に入られたのかな~ねえ!地原さん聞いてないんすか⁈」

 藤野が移動になる数週間前にこの警察署に配属になった佐木は年が二十、地原と離れている。都心部に比べて事件件数はかなり少なかった田舎の警察署も、ここ数年数が増えた事件と減る人員の影響で皆疲弊していた。なのに、やたら元気で礼儀もない若いこの刑事は四六時中相手を選ばず絡み、地原の苛立ちも増すばかりだった。

 「うるっ!、せぇ…いいから処理してろお前は…」

 「なんすかっ、ケチですね。」

 「チッ……はあ。」

 

 30分前、何も言わずに真は車を降りた。

 前に立ち、署入り口をじっと見つめている。車内から見える横顔には時間を経過するごとに涙がつたっていったが、その涙がないように真は無表情のままだった。

 

 ショルダーバックを下げたショートカットの女性が決意に堅い表情で警察署の門を大股にくぐっていく。一歩一歩、踏みしめる足跡が残るように力強いスピードの歩みは真の姿を見つけ急ブレーキをかける。一息、感情を数重にし駆けた奈緒は縋るように真の腕を取った。

 無言のまま、誘導するように開かれた後部扉に乗り込んだ二人を確認しシートベルトを改めた藤野は、市警察署の近隣にある公園に向かい車を動かした。円を描くように点在するサークルベンチに座る真と奈緒の向かいの、少し離れた椅子に腰を下ろし、二人の会話を静かに待っている。

 

 

 「ねえ、班長に、連絡したほうがいいんじゃない?」

 「ダメだ‼︎」

 真と藤野が不在の特部本部に緊急の出動連絡が各班室を鳴らしていた。

 それは都内に支部をもつ第1班からで、都外・国外の来客者に加え、消失した地下の交通網の立て直し工事が本格化されていつもの数倍混雑しているという新宿に、日本で確認されている事例にないほどの最大規模の空の群が襲来しているというものだった。

 真が班長を務める第9班は緊急時のみ派遣される本部に駐在した班の一つで、年齢もさまざま、計7名の異例小規模部隊。所属している彼らしか真が受け入れなかったためこの人数になっているが、異例の理由はまた別にある。

 最大規模とみられる交戦にまだ戦闘を知って日の浅い彼らは不安が拭えなかった。

 その不安の声を諌めたのは班長・副班不在を先導していた津田だった。みんなに不安があるのもわかる、自分にも不安がないわけではない、けれど藤野から聞いた粗方の説明でもその女性が真にとって不回避の大事なのがわかった。

 「藤野さん言ってただろ、班長の大切な人に会いに行くって。班長も、すごく焦ってた。」 「俺たちだけでやろう」

 付き合いは短くとも、ここに残った理由がある彼らは反対する気などなかった。

 不安はもちろん、寸分の経験が自分たちを支えるよう支度を整えていく。

 

 

 「ごめんなさい、私、どうしても話がしたくて」

 「ううん。あの時、連絡先交換しておけばよかったね。」

 再会の緊張はしだいに解け、穏やかに会話はつづけられた。

 「ピアノが届いた?」

 「‼︎――そう、それでっ!」

 「うん。何も言わずに勝手なことをしてごめんなさい。アップライトでお願いしたけどアパート入ったかな?」

 「手紙が、一緒だったから。」

 「うん」

 「二通入ってて」

 「二通?」

 「うん」

 奈緒は掛けているカバンからクリアファイルに挟まれた手紙を取り出した。

 真にいつ会ってもいいように持ち歩いていたらしい。自分がドイツで記入し頼んだ水色の封筒の他に、綺麗な栗色の封筒が見える。その二通目の封筒は、真がドイツで訪問したピアノ会社からだと言うが、真には聞き覚えがなかった。

 不思議そうにしている真を察し奈緒はファイルからその封筒を差し出した。栗色に映える金色の文字が丁寧に描かれている。

 《未来の調律師に素敵なピアノを、と依頼を受けました。

 創ることが失われていくなか、ピアノを愛してくれていることに感謝を込めて。

 最高のピアノと君に向けた工具を一緒に。ピアノ、音楽を、一緒に守ろう》

 最後に添えられた名前は真と話をした調律師と職人のものだった。

 「あと、これも。」

 「CD?」

 「ううん、DVD ROMなんです。」

 別のファイルに入れられていた2枚のDVDを奈緒は手紙と入れ違いに真に渡す。受け取ったDVDから視線を奈緒に戻すとその内容を教えてくれた。

 「観たら、調律の仕方が映ってて、メッセージも…頑張って翻訳したんですけどドイツ語だったから難しくって!……「依頼主が僕たちと話すときあまりに泣くからね、情が強くなって、君のためになればと思ってつくりました。日本語が出来なくてごめんね。」って言ってました。」

 津川たちと契約を結び、その後向かったドイツで真は奈緒のためのピアノを買っていた。薄い知識で向かったドイツの会社では廃れていく文化を残すために生きている人たち

がいた。言葉のできない真の話を正面から受け止め、彼らは奈緒のために「最高を用意する」と約束してくれた。

 急いで取り出したスマートフォンを操作し、奈緒が見せてくれた写真に映るピアノは、ここまでその不思議な音が聴こえてきそうなほど美しかった。

 「動画の最後に、情熱が勝つことがある。って言ってて、それだけはよくわからなくて」

 それを理解したのは真だった。

 二人が出会ったのは丁度一年前になる。各国の戦闘映像がテレビの主役となるほど、絶えるこのない争いが日常になってきた頃、もちろんその映像たちはSNSの主役でもあった、しかしその中に異質な動画がひっそりと流れたのだった。他国に比べ空戦は少なく、さらにその田舎の街が主役となる動画を気にかける者はいなかった。簡単に偽物が造れるようになった世の中でその異質さは誰かが空想を造り上げただろうとされたが、偽物と解っていても、アニメのワンシーンのような空気の漂う主役のいない《﹅﹅﹅﹅﹅﹅》その動画は火力を失うことなく下火のままSNS内を泳いでいた。段々に、多くの目にその動画は触れるようになり、それにより証言者が現れるようになっていったのだ。次々と現れる証言者、規模は小さくとも50近い証言者が現れたことで動画の信憑性が高まり、その一国で多くの注目を集めた。その舞台は、長野県の一市。県庁所在地や観光地からも離れた南部に位置する街での出来事だった。パート社員として働く一般人が主役の動画、今でもこの動画の主がありふれた一般人である事を知る者はいないだろう。

 

 

 必要最低限の施設が点在する、市と言っても自然が色濃い田舎町に真は住んでいた。

 家にいることを好み、滅多に外出をしない彼女が珍しく外に出たのは、隣街の映画館で子供の頃に放映された映画が上映されると聞いたからだった。

 古い設備のままの映画館は狭い路地を奥へと進んだ場所にあり、車は歩いてしばらくした先に停めなければならなかった。上映が終わったのは夜中の9時、映画館を出る時、真は映画の余韻も持てぬほどの感情でいた。

 

 不穏な初対面だった。

 

 地球が姿を変え、人が自身の制御を失い、、争いは他国からと空からもたらされるものだけではなくなった。恐ろしいニュースは絶えることなく、ただ、真がその場に居合わす事はなかった。理由のない焦燥感がつれた先には小さく体を丸めて、声を上げることもままならない女性に男が暴行を繰り返している惨劇があった。衝動のまま、真は肩にかけていた1メートル長の筒を手に握りしめ男を攻撃し、瞬く間に意識を途絶えさせ女性から離れた場所へと飛ばしていた。

 瞬間に沸騰した感情のまま自分の身体が知らぬ動きをしたことで、外には漏れずとも、速まる鼓動で息を切らした真の傍には体を丸めたまま震えている奈緒がいた。

 服は破れ、血が、服と皮膚に飛散している。その姿に自分に対する感情ばかりで泣きそうになった。自分が遭遇したことのない、フィクションの世界だけにあった現実は身体中を蒼然と駆け去った。

 詰まる喉で声をかける真を探す瞳は焦点を合わすこともままならず、ずっと空を泳いでいる。ゆっくりとその前にしゃがんで目を合わす。

 警察に通報しパトカーが着くのを待つ間に、少し、少しと話をした。

 とどめようともやっと流れる涙のようにこれまでが言葉になり少し、少しと溢れた。

 

 この頃にはもう日本各地でも人員不足が悪化していてそれはこの街も例外ではなかった。警察署も交番も近い場所で起きた事件に30分経ってもパトカーが来ない。奈緒の状況を考え苛立つ真は自分の車で彼女を病院にと連れて行く事を決め、車のある場所までゆっくりと歩き出した。そう行動して、やっとタイヤが擦れる音が聞こえてきた。ランプの明かりが建物や道路を忙しなく駆け鋭いブレーキ音が耳に刺さる。パトカーから息を切らし降りてきたのは長身の男性警察官、それとその後ろをのろのろともう一人中年の男性警察官が降りてきていた。これが、藤野との出逢いでもあった。

 パトカーから降りてきた姿勢のまま、藤野は二人の前に屈み真から粗方の説明を受けると要求に添い病院へと行動したが、もう一人の警察官、これがそれを阻んだ。大股でばたばたと足を揺らしながら真を指差し遅々とした喋りを繰り返している。この中年の警察官、藤野の先輩にあたる羽田が例の動画の投稿者であった。

 この時から羽田は真に執拗に絡んできていた。病院へと焦る真を遮るように遅延行為を繰り返し、無視しようとすれば憤慨し呂律の回らない口で怒鳴り出す。自分が世の中の道理の様に振る舞う男だった。苛立ちが怒りとなった真は羽田を攻撃してでも病院に向かおうと暴漢を倒した筒に力を込めたが、その真を奈緒は震えながら押し留めた。怒りを察知したように俊敏に動いた真の腕をグッと引き止め体勢を戻した。藤野に抑えられながら暴れていた羽田が自分の危機に気づかないほど静かに、真の怒りを奈緒は鎮めていた。

 

 到着した病院は夜中にも関わらず多くの人がいた。 

 忙しなく歩く看護師の姿が交差していくが、その人の数に合わず聞こえてくる音はひそやかだった。

 加害者の男性を背負った藤野を先頭に真と奈緒は病院に入り、その後ろを威圧感を刺すように主張した羽田がのろのろとついてきた。奈緒から預かった保険証を藤野に渡し指示を待っている間も、側で羽田は耳障りな雑音を垂れ流している。

 入り口を奥に、二つの角を曲がった先にある24番診察室で奈緒の治療を行うと伝えたあと、藤野は加害者男性の診察のため別の診察室へと向かい、それまでヤカラの様に真に絡んでいた羽田も、何を思ったか遅々とした足を速めて藤野の後を追った。

 

 診察室前に背合わせにいくつも並べられた長椅子に腰掛け、ひとつ息をはく。すると改めて病院の状況が目に写った。蛍光灯の光りが弱くなっているみたいに周囲は暗く、人は昼間かのように居て話す声も多数あるのに、そのどれもが存在しないかのようだった。今までに何度か訪れたことのある病院だが、その時に感じていた空気とは違うものが今は流れている。そのひそやかさを壊す音が奈緒を待つ真に近づいてきた。

 例のばたばたとした足音に嫌々視線を向けていると、羽田が真を見つけた瞬間場所も憚らずけたたましく叫びだした。その声に周りの患者たちが体を縮こませるのにも目もくれず羽田は真を指差しながら醜悪な罵声を病院中に響かせた。急いでその後を追ってきた藤野に抑えられ、そうしてやっとまともに羽田が何を言っているかがわかった。

 「だ、って聞いただろうが!あきらかに外的要因で気絶してるってよお!アイツが犯人だ‼︎」

 敵わない力になんとか足掻きながらも羽田は突き止めたネタを叫び続け、しかし、抑えようとする藤野の力で体が浮いた事で、悪態を吐きながらもおとなしくなっていった。

 

 沸騰した身体が一瞬で慣れた温度へと変わっていった。凍りつき鉄のような硬さに意識は尖り鮮明になる音が硬さに反し滑らかに動く自分をひろっていき、理解が追いつかない視線に答えを返した。

 「わかりました。取り調べ?ですか、着いて行きますよ。ただ、彼女を送ったあとです。あなたたちには任せられない。」

 揉める間も視線を外した覚えはない。自分の知覚が追いつかない速度で近づいてきた相手の挑発的な言葉を時間をかけ理解した羽田は再び激高し真に手を振りかざしたが、同時に起きた大音が全てを停止させた。

 

 振り返ると、奈緒が診察室から飛び出してきている。

 

 滑らかになった身体は固まっていき、自分の油断が全身に痺れをおこした。けれど、合った奈緒の瞳は恐怖ではなく、澄んだ色を真に向けていた。

 「私も行きます!」

 痛む身体で真の隣にやってきた奈緒は、その身体で真を支えるように警察官たちに対した。

 「助けてもらいました。どしても連れていくなら、私も行きます。」

 そこかしこに無惨な痕がある。どれだけの痛み苦しみを耐えたのか、それなのに、繋がれた身体を見せずに立って、かすれた声を凛とはり、奈緒は笑顔だった。

 

 頬を、ひとつつたっていく。

 

 泣き喚かないように口を子供のようにつむぎ、忘れていた感触が視界を蓋っていった。

 「…すてきなひと」

 微かな呟きに驚いたようにはにかみ、奈緒は力で閉じられていた真の手に少しふれた。

 

 

 

 羽田の駄々をかなえるために警察署に入るが、その光景は病院よりも酷かった。空気は澱み重く、罵声を飛び交わす人や呆けて停止した人が入り混じり世界の縮図の様に荒れ果てている。

 咄嗟にかばう腕に、奈緒は手を添え微笑みを返した。

 真はその手が気になっていた。

 病院で自分を慰めるように触れられた時の違和感がまだある。

 その事で話をしたかったが、この現場ではそれよりも優先させることが多すぎた。

 「藤野‼︎」

 意気揚々と警察署の奥に進んで行った羽田ではなくスーツを着た男性警官が怒鳴りながら真たちの所にやってきた。

 手招きをされ藤野がそれに応える。

 隙間の距離で行われた説教は真たちに筒抜けだった。

 どうやら、羽田は問題児扱いをされているようで藤野はその監視役みたいなものらしい。被害者である奈緒の証言により、結局、警察署でも羽田の主張は駄々で終わり、真たちは早々に帰れることとなった。

 

 安堵したように助手席のシートに身体を預け、細まった瞼のまま奈緒は自身の話を溢した。母親と二人暮らしで、福祉施設に勤める母親は度々夜勤の勤務があり今日もその勤めに出掛けているという。高校を卒業しすぐに仕事を始め今日もその帰りであったと。

 その話を聞いて真は病院玄関口でのやり取りに合点がいった。家族への連絡を求める藤野に必死に抵抗していたのは母親を想ってのことだったのだ。

 「行きたい学校があるんです。母にはまだちゃんと言ってなくて、お金貯まったら言おうかなって…」

 「どこに行きたいのか、とか聞いても大丈夫?」

 「はい。ピアノの調律師になりたくて、その専門学校に」

 「へえ…」

 だんだんと変わる朦朧とした声には喜びの暖かさがある。

 「ウチにキーボードがあるんですけど、昔から母が弾いてくれて、その時に本当のピアノはもっと不思議な音がするんだって言うから、どんなのだろうって…学校で聴いたけど、まだわからなくて。CDも色々、聴いたんですけど…」

 「不思議な音か、なんかわかる気がするよ」

 「うん…逢えたらって…思うんです…」

 速度を落として進んだ車は思ったよりも速く奈緒の家に到着した。ゆっくりと動かない瞼を開き奈緒は真の声に応えた。体勢をなおし扉を開き車を降りていく。

 「無理をしないで――」

 「はい」

 深く下げた頭を上げ微笑むと、不思議と動いていたはずの身体を痛みが思い出したように引きずりながら家へと向かった。その後ろ姿を見送りながら、自分の勘違いであればと真は祈りを失われた空へ向ける。

 

   2

 

 あの一夜から数週間が経った。

 日常に戻った真だが、一つの違いが彼女にまとわりついていた。

  

 「待ってください‼︎」

 

 鼻息を荒くしばたばたと外に向かう羽田の腕をつかむ。

 「いってえな‼︎てめえが運転しないって言うから俺一人でもいってやろうってんじゃねえか!ちっ!この馬鹿力が‼︎」

 顔中に唾が飛んできそうな勢いで愚痴をたれた羽田の要求を藤野は断固として受けつけなかった。あの夜、自分の思い通りにならなかった事を今だに根に持っており、真を見張りに行くとイキリたっているのだ。

 「あの女はぜえったいにあやしい!証拠をつかんでやる‼︎」

 散々悶着をくりかえし、どれだけ言葉で抑えようとも思うままに行動しようとするので仕方なく藤野は同行することになった。

 

 

 もう翌日のことだ。

 奈緒との出逢いの翌日、自分を羽田たちがつけているのはわかっていた。煩わしく、不愉快であったけれど、何よりも関わる事が嫌で真は無視することを決めた。

 それから数週間、今だに飽きず羽田たちは自分の後をつけている。

 

 「ちっ!またか」

 パトカーのフロントに足を上げ腕をくんだ姿勢でお決まりの悪態をつく。

 「あの女他にやる事ねえのかよ」

 真の行動パターンは大きく二つしかなかった。

 仕事に出かける時以外は家を出ることはほぼなく、終われば家に帰るか、もう一つは奈緒のもとに行くかだった。といっても奈緒に直接会うわけではなく、家までの道のりをついていくだけ。勝手な自己満足のためにストーカーのような行為を度々行ってしまっている。ただ、その時の真を初めて目にした時羽田は目を輝かせた。

 車や徒歩で奈緒の後ろをついて行くのではなく、電柱や屋根を渡り真は奈緒を追っていた。人間ではありえない行動に、下卑た笑いを高め羽田もはじめは喜んでいたが、もうそれは珍しい光景ではなくなってしまった。

 めずらしく、ありえない行動をとることで余計に羽田を煽ってしまうことはわかっていたが、真にとってそれはどうでもいい事だった。奈緒の後ろを追い続けるのも、心配の気持ちだけではなく予感があったからだ。

 今まで、あの夜よりも前から感が鋭いほうではあった。けれど、それに過信することを真は嫌い、だから明らかな違いのあとの勘さえも信じてこなかった。それゆえに起きた後悔を繰り返さないために、今は予感に従っている。

 

 そして、あれから一月が経とうとした日、藤野たちの無線に声がとどいた。彼らの街から車で2時間程の同県内に空から奇襲があり負傷者が大多数でたと言い、さらにその手は地方に散ったように見え警戒せよ、と続けられた。都市での交戦はあれど、その他の地方に空から攻撃があるのは稀で、日本だと特にだった。渋滞がつづく車道で羽田はその無線に歓喜の声をあげパトカーを揺らした。

 「やあっとだ!おい!速くしろ!」

 仕事の帰り、相変わらず奈緒のところに行くであろう真をつけている途中だった。毎度癇癪を起こしている様な羽田に付き合い続けている藤野だが、それは良心からではなかった。

 はじめはそうだった。真たちに会った翌日から剣幕を行った羽田を抑えるため、職務でもあった、でも何より理由もないのにまとわりつかれる真を想った良心で付き合っていた。これだけの時間が経ち、熱は冷め、暇つぶしのためだけに真をつける羽田を止めることは出来た。それをしなかったのは藤野自身が真にこだわっていたからだ。ここ一月の真は電柱や屋根を渡り、かなりの距離をあけて奈緒を見守っていた。自分からすれば多分奈緒をだろうと思う距離を。そして、その動きは忍者やスーパーマンのような俊敏さではなくふわりふわりと速さを見せないスピードだった。藤野なりの予感なのか、頭の中に残る影が衝動を起こしていた。

 無線の声に癇癪をとりもどした羽田の声も殴られる腕もどうでもよかった。藤野の眼は真の車を追い、その車がいつもとは違う進路をとったのがわかった。バイパス車線の横にある薬局に車を停めた真は勢いよく車を降り姿を消した。滾《たぎ》り急く頭を数台の距離で回《めぐ》らした藤野の決断は“奈緒”だった。常識は消えサイレンを動かし次第に路をつくる車たちの間を抜け速度を増した。

 「なんだ、やる気になったか!」

 さんざん無視をされ続けたことも忘れ、藤野の勇む姿に羽田は満足気にふんぞりかえる。帰宅に走らせる渋滞がパトカーのために路をつくる。その間を突き抜けながら羽田は高笑いがとまらなかった。路ができ、速度を上げても狭さでなかなか距離がとどかない。ジリジリと汗が膜をつくる手に力を込め藤野はさらに速度をあげた。

 隣街への境界に近づくとそこにもう異変はあった。パトカーのサイレンなどとどかず詰まる車が我が先にとこちらへ走ってくる。重なる警報音が耳を狂わせるほど飽和している。異変の元凶は藤野の眼に見えてはいないがその先にあるのは確かだった。

 その先に、あの駐車場があり、奈緒の職場がある。

 どうにかして見つけた路を走り色のない空に黒い点が無数にあるのを捕らえた。距離を進めるごとに点は濃くなり、そして点は増減をくりかえしているようだった。鼓動が速まる、距離を縮めれば縮めるほどに動きはとれなくなり走り去る人も出てきた。指先まで聴こえる鼓動に従い藤野は車を降り、羽田の声も聞かずにその点へと走りだした。

 

 

 現場であろう空円には何もなかった。

 何かがいるであろう現像の影がそこにある気がするだけで正確に認めることが出来ない。空虚に向かい呆ける街の人とその空虚を歯を食いしばるように見つめる空の者たちがいなければ影が存在しているかも怪しいほどだった。

 ― これだけの数がここに…

 遠くから増減していた点の数は思っていたよりも多く、だが負傷者がいるようには見えない。未見の生き物は惑星に戻っていき残っているのは人型の者たちだけ。それが順に空虚へと向かいそして去っていく。彼らにとってもの異変に姿を寄せても何もせずに去っていく者もいる。それは今までテレビで流れた映像にはなかった光景だ。

 眉間に力を込め空虚を見つめる藤野は甲高く下卑笑いに振り返った。知らぬうちにパトカーに残していた羽田が隣にきている。羽田はスマートフォンを手に、歓喜に満ち満ちた表情ですべてを嘲笑するような声をあげている。

 

 

 朝からあった予感にむけ、いつも通りに、着々と、真は自分を整えていった。車を走らせ現場に向かう頃には確信が聴こえていた。予想外の渋滞の距離には少し焦り、それでも間に合うことがわかり行動した。その近くでとはわかっていたけれど、居合わすことがわかった時、呼吸を整え速度をあげた。数分の余裕があったのに奈緒のいる場で戦闘を行ったのは眼を離さないためだった。万が一に距離をあけ、他の者がそちらに行くのを抑える必要を削ぐために。その数分で呼吸を整え肩にかけていた筒から黒い刃を引き抜く。

 月が消えたあの日、真はこの剣と出逢った。

 清涼な快晴の空に現れた煌々と輝く異質の月、その月を分断するように、濃い青の光が差し込み月を呑み込んだ。残光に示された先に、剣というには無骨な金属の切れ端はあった。夢物語の原物を手に取ることはないと、その決意は今消え入った。

 

 

 どんなに集中しても未だに姿を捕らえることが出来ない。

 音はこんなにもするのに何がどうなっているかがわからない。

 相変わらずつづく羽田の高笑の中、藤野は茫然と立ち止まる奈緒を見つけた。自分の勘が核心になり一つ息を呑み込み奈緒に駆け寄った。すぐ近くに寄っても気づかず、声をかけた事で奈緒はやっと藤野の存在に気がついた。

 「あのっ、これ…」

 会話もままならない矢先、耳鳴りのような悲鳴が聴こえてその出所を探すため視線を外したが、それは、探す必要などなく顕然な影をうつした。

 

 架空の世界だ。妄想や空想の世界に在るだろう存在、その影が色を連れて此処にやってくる。悲鳴は耳に痛みを起こすほどになり呆然と立ち尽くしていた人々も被害がないことで有頂天になっていた人々も皆足を速めた。地鳴りとなるその剛声《ごうせい》は人々を怯えさせ速める足を止めてしまう。今までに感じたことのない震えが人々の身体を這っていく。だがその存在は動きをとめ一向に動く気配がない。

 逃げ惑う人々の声の中、続いていた闘いの音が消え一筋の金属音が耳に入った。一瞬の間だった。一瞬の間を、その音とやっと影になったものが街灯を連れ人の間を縫っていった。

 ― 睨み合っているんだ

 動物たちがお互いの力量を測り合うように、そう思えた。

 あそこにいるのは真だろう。戦い続けていたのも。だが、それがたとえ可能でもあれだけの大きさの生き物をどうして止めることが出来る。街灯を振り回す体格もないのに。

 

 「ねえ‼︎聞いてるの‼︎」

 服を捕まれ体を揺さぶられてやっと藤野は意識を戻した。気づかぬ間に自分の周りに多くの人が集まっている。

 「警察でしょ‼︎どうすればいいのよ!あれが来たら‼︎自衛隊を呼んであるんでしょうね‼︎」

 体を揺さぶられ続け四方八方からの怒声で意識を確かにしていくと奈緒がいなくなっているのに気づく。逃げたのか、とも思うが視線を避け姿を探すと奈緒は宙を見つめたまま戦闘の行われていた場所へと歩いていた。

 サイレンが複数に重なりパトカーがやって来ると藤野の周りに居た者たちは一様にそちらに走って行き、そうしてやっと奈緒に駆け寄ると、怒声があふれるなか奈緒は小さな声をもらした。宙に向けられたままの目線を追い見上げると、あの巨大な生物も空の者たちも惑星に戻って行くようだった。騒然としつづける街を置き去りに空は色のない静けさを取り戻していく。長いようで一瞬であったその時間。目に留めた全てが幻想のように一刹那が頭の中を共鳴し、空の状況に気づかない騒音を膜に、奈緒は何かを藤野に聞きかけたが、二人は会話もなく、何かを含むように別れた。

 

 ゆっくりと、停めたままにしたパトカーに歩むと助手席には羽田の姿があり、上がりきった口角と鼻歌で迎えられた。

 「来たか!動かせっ」

 困惑する頭を宥め、妙に衰弱した身体に呼吸を戻し藤野は交番に戻ることにした。

 

   

   3

 

 珍しくもない呼出が交番の電話を鳴らした。

 ただそれはいつもの雑用の呼び出しではなく、羽田を連れて来るように、という初めての内容だった。嫌疑をかかえる藤野に変わり満足気な表情で隣に座っている羽田を連れ藤野は市の警察署に向かった。

 

 電話口とは違い呼び出した地原刑事は不穏な表情だった。

 「羽田…これお前だな」

 差し出されたノートパソコンには無料動画サイトでの動画が流れている。そこには逃げ惑う人々と停止する空の者、それとあの甲高い笑いが流れている。

 「はっはっは‼︎人気なんですよそれ!最初は伸び悩んでたけど現場にいた奴らもSNSにあげてたからな、おかげでこの数ですよ!」

 「笑ってんじゃねえ‼︎勝手に面倒なことしやがって‼︎」

 凝視しその動画に真の姿がないかを騒音のなか藤野は探した。あの時自分の眼では確認出来なかったがカメラはそれを捕らえたのか、しかし、見る限り真だとわかる姿は映像にもない。

 「だから!その動画がなんだっていうんですかっ‼︎違法だって⁉︎あんたらが相手しなかったから見せてやったんですよ‼︎」

 怒鳴りたい言葉を押しころし地原は小さく声をもらした。

 「…誰かわかるんだな」

 「はあ⁉︎なんすかぁ⁉︎」

 「チッ!だから!空の奴らと戦ってるヤツをを知ってるんだなって言ってるんだ‼︎」

 「まってください‼︎」

 上機嫌に地原を見下ろし鼻を膨らませる羽田を藤野が遮った。

 「自分もあの場所に居ましたが、誰が応戦しているか眼で捕らえることは出来ませんでした。映像にも、映っていません。羽田さんが思っている相手がそうだと決めることはできません。」

 優越感を損なわれ羽田は怒りを藤野にむけたが、それよりも苛立っている地原が怒鳴りでそれをとどめた。

 「んなことどうだっていいんだよ‼︎」

 「連れて来いって命令なんだよ!本部からな‼︎」

 怒りのまま立ち上がり上着を手にした地原は大股に先導を切り、上機嫌に戻った羽田と、二人を止めることが出来ないまま藤野はその後を追い走った。

  

 国道沿いのガソリンスタンド、そこが真の職場だった。

 さんざんつけ回したことで真のシフトを把握していた羽田はガソリンスタンドに向かうよう地原に指示《﹅﹅》をした。羽田の態度に不満と怒りで破裂しそうな地原はそれを藤野にむけ藤野はガソリンスタンドへと車を動かす。一時期は減っていた車も慣れが休日のスタンドに相変わらずの列をつくっている。混み合い通る場所などないスタンドを見つけると地原は舌打ちをしサイレンの音を最大にした。入り口に無理やりパトカーを停めさせ乱暴に扉を閉める。煙たげに羽田を促し、意気揚々と歩く羽田の後を付き真の前にやってきた。チンピラのように真に絡もうとする羽田を抑えるようにして警察手帳を差し出す。

 「えーーとっミツシマさんでしたか、署までご同行願いたいのですが」面倒くさくていい加減、そんな地原がやっと視線を合わすと女は冷え切った眼で自分を見据えるように睨んでいた。

 「名前も確かでない相手に何の用ですか。」

 自分を軽視する態度に腹を立てるが、本部の指示は「機嫌を損ねず、協力的に、確実に」だったため合わせたくもない歯と口を合わせた。横で主張をくりかえす羽田を藤野に抑えさせテイネイに話を続ける。

 「ご協力をお願いしたい事がありまして、ここではなんですし、署まで来ていただけませんかっ」

 「仕事中です。理由もないのに来られて迷惑なんですけど、仕事を奪う気ですか?」

 テイネイにテイネイに、と考えながらも自分を敬わない女の態度に怒鳴り散らしたい気持ちをどうにか抑え「ではまた参ります」と去ろうとしたがそれを止められ、説明をしていくように、との女の要求に仕方なく従いガソリンスタンドを一度後にした。

 

 「ほんっとうにあの女なんだろうな‼︎クッソ生意気なっ!…」

 狭いパトカーの中は羽田がもう一人増えた様に五月蝿い癇癪が反響している。真の退店時間までの間この中で時間を過ごさないといけないことにうんざりしつつ、その間で何とか真を連れて行くことを止められないかと藤野は考えていた。地原の様子から絶対に決行しなければならない事なのがわかる。自分の立場では止めることは不可能だろう、しかし証拠としてある動画に真は映っていない。真自身がしらを切りつづけるしか方法はないかもしれないがそれで収まるのか。

 

 

 店を出て自分の車のある駐車場に向かうが、いつもなら早く帰るために速まる足もそれを進めるのが重い。片付けるためにと進んだ真を迎えたのは嫌味な笑顔だった。

 

 「この動画、ご存知ですかっ?」

 地原に見せられた動画に自分の姿がある。他人では見ることができないが真には映っていないものがはっきりと見えている。

 「いえ。どうしてわたしに?わたしが投稿したとでも?」

 「いやいや。投稿したのはうちの者なんですがね。うちの本部、警察庁からこの動画に関係する方に来ていただくよう言われまして。」

 「それでどうしてわたしなんですか?」

 その言葉に言い返すことは出来なかった。地原にとって、真に会うのはこれが初めてだったから応戦していたのが真だと知るわけもない。

 「いや。この動画撮ったのがですね、あなただと」

 「映ってないのに?わたし映ってますか?」

 あくまで冷静に対処する真に歪めていた顔を崩しパトカーから羽田を下ろす。

 「おいっ!……この方なんだよな?」

 「そうですよ‼︎なに誤魔化してんだよおまっ!」

 事情もわからず相変わらず横暴な態度をとる羽田を急ぎ制し、何とか協力を仰ごうとするがその地原に真は一切譲らない。

 すると業をにやした羽田が地原を遮り声を上げた。

 「わーかった‼︎あの女だ!あん時やられてた女呼んでくりゃ証拠になるだろ‼︎」

 自信満々の閃きを広げる羽田だが、その軽率さは辺りを凍えさせた。何んの変化もない駐車場で過度に鈍感な羽田をおいて地原は冷えて震える自分が恐怖に怯えているのを感じていた。

 「女?」

 「だから!あん時の女だよ!」

 凍える空気を掻くようにジリジリとした音が耳を患う。震え、視線を上げることも拒む身体を懸命に動かし地原は羽田を抑えた。

 

 「刑事さん」

 「は、はい」

 「その人を拘束するかして決して一人にしないと約束してくれるなら話を聞きにいきます。だけど、その人を野放しにしておくなら絶対に協力しません。」

 「っ、わかりました…」

 自分でも理解できない恐怖感に困惑しながらも勘に従い地原は行動することにした。喚く羽田をパトカーに押し込み、藤野を真の車に同行させ警察署へと向かった。

 

 

 

 警察署に到着し、自分の要求をかなえるため地原が羽田を拘束するのを確認したあと、真は警察からの要求を聞いた。

 地原にも詳しい話がおりてきているわけではないと言う。今までテレビで流れていた戦闘映像とは異なるその動画に、はじめは喰いつく人は少なく、造り物であろうとされていた。だが、あの時スマートフォンを手にしていたのは羽田だけでなく、被害がないことでお祭り気分になっていた人々も同じ行動をとっていたのだ。小さな街の少ない投稿は広まることはなかったが、動画がSNSを、SNSが動画を結び、動画にはっきりと人物が映っていないのがリアルであると話題になっていった。警察本部の人間が投稿者を追い、それが警察官とわかり事実ならばとある計画が持ち上がっていた。そのため、羽田たちの上司である地原に命令が下ったと言う。

 「空の者たちに対抗できる人物なら話をしたいから本部へ連れて来い」と言われたが、本当に真がそうなのかは地原にはわからない。けれど、先ほど感じた恐ろしさでただの人間ではないように思えてきていた。

 真はその話を聞いても「自分ではない」と話すが、ではどうして羽田と知り合ったのかを出会った時とは随分違うおとなしさで地原は問い続けた。その問いに真は素直に返した。あの日あったことを、そしてあの日地原とも顔を合わせていることを。そうして素直に話し、自分は関係ないと去ろうと思っていた。現場にいた藤野は口を挟むことなくおとなしく地原の横にいるだけで羽田の様に自分を犯人にしようとしない。だからこれで済むだろうと。しかし、話しながら真の中で不安が消えなかった。羽田はもちろん、おとなしくなる前の地原を思い、したくはない決断をした。

 

 「あの、いなかったでは済まされないんですか?」

 「えっ?」

 「わたしではない、その後どうされるんですか?」

 予想外の答えに地原は強張っていた顔を少し緩ませる。

 「どうって、どうするんですかね。」

 その緩みを真の視線で正し言葉をつづける。

 「いやっ、正直心当たりはあなたしかいません。だから見当違いだと報告するしかないですが、その後どうなるかは本部次第なので…」

 曖昧な答えを受け、思考を廻した真は決断を堅めた。

 「今、本部の方と電話を繋げますか?どういう考えでこれを行なっているのか話をしたいのですが」

 予想外だった。真は必ず自分ではないと押し通すと藤野は思っていたし、真が無理に警察に従わされる必要はないと思っていた。だから自分は口を開かず、それがせめて真に出来ることであるとしていた。だが、そう言った真の眼は力強さを放っている。

 

 いそいそと電話を準備し本部に電話を繋げる地原に真はもうひとつ声を足した。

 「あの。なるべく、というか必ず、上の人に繋いでもらってください。命令した人に」

 

 

 頭を下げながら繋げる電話をまち、しばらくして渡された受話器に声をかける。

 「はい。ええ、聞きたいことがあります。応戦出来るのがわたしとしてどうしたいのですか?」

 「はい………………わかりました。」

 「条件があります。それを確実に聞いていただきたい。でなければお断りします。」

 

 電話に応える真の姿を静かに見つめる。すると不意に自分に視線を向けられ何を言われるわけでもなく、電話を切った真は地原に向き直り話しをはじめた。

 「明日警察庁に行くことになりました。その時こちらの警察の方を同行させるように言われたのでそちらの方にお願いしたいのですが」

 改めて向けられた視線を受け、藤野はそれに応じた。

 「藤野ですか?私が行きましょうか。上司ですし」

 焦る地原の言葉を真は「いえ」と断ち切る。

 「ただ刑事さんにはお願いがあります。」

 「なん、でしょうか?」

 「聞こえたと思うのですが、招集に応じる代わりにわたしは条件をいくつか受け入れてもらうつもりでいます。その一つが今拘束してもらっている警察官の地方への異動です。駐車場であの人が口にした女性は先程話した事件の被害者です。その女性を自分の欲のために乱暴に軽視する人が居ては彼女がまた苦しむかもしれません。それは絶対に許せません。だから遠ざけてもらいます。なのでそれまでの間刑事さんにあの人を見張ってほしい。上司の刑事さんなら抑止力になってくださると思うからです。お願いできますでしょうか。」

 落ち着いて言葉を話す姿に圧倒された。はい、と小さく答えた地原に、真は見せたことのない笑顔で「お願いします」と頭を下げた。

 そして、翌日、藤野の運転で東京に向かい、真は警察庁へと到着した。

 形式の古事が三方に掲げられた部屋に通され、警察庁長官と自衛隊の将官二人がそこにはいた。悠々とした笑顔に迎えられ、彼らから数メートル離れた位置の椅子へと腰かける。

 「あの連中を抑える力が本当にあるなら君を主体とした部隊をつくりたいと思っている。確かではないがあの動画が広まってから似た様な現象が数件確認されていてね。事実かは未確認だけど。」

 そうにこやかに話す長官の話を静かに、真は聞いていた。

 「まあ!本当にあるかわわからないがな‼︎」

 契約書を提示したあと、自分たちが呼びつけたにも関わらず威圧的に挑発するような会話が続けられた。その態度に焦れる藤野とかわり、真はひどく落ち着いた姿勢をくずさなかった。

 「どうしろと?ここで証明しろということですか?」

 長官と将官は目を合わせ、そして「それでもいい」と相変わらず挑発的だった。

 

 静かに、そっと立ち上がった真は確認するように言う。

 「電話で話した通り、契約するならわたしの条件を受け入れてもらいます。それはいいですね?」

 飄々と自分達の挑発をかわし言う姿が癪にさわる。生意気な態度に威圧を返そうとするが、すぐにその余裕を長官たちは失うことになった。

 

 「証明を、とおっしゃるので。これでよろしいですか」

 喉元にボールペンを突きつけられた将官はニヤけた顔を硬らせ息を呑んだ。気にも留めない芯先が激しく鋭利な刃物に感じる。冷たさとジクジクとした熱が数ミリの空間に漂っていく。そして、その光景に呆気にとられている長官を真が指差した。すると自分の喉元にボールペンで書かれた線が存在しているのに気づく。漸《ようや》くの熱はその線に沿って高くなり飲み込む唾液の感触に痛みを覚えるようだ。

 将官のもとを離れ元居たソファへと真が腰掛けると、そうしてやっと意識を確かにしたトップ二人は再び目を合わせた。

 「いーいじゃないか‼︎」

 大きな笑い声と手を三度叩き将官が声高に声を張りあげた。

 「他国にはない力だ。これで一つ差がつくれる」

 満足気な将官に長官は息を漏らし、改めた言葉で真に問いかけた。

 「それで。条件とは何かな?」

 「いくつかあります。いいですか」

 「聞こう。」

 羽田の異動を含め、契約に関わるいくつかの条件を淡々と告げる。それに顔を顰めながらも二人はそれを受け入れ、喉元をえぐったボールペンで追記された契約書にサインを改めた。確かに確認した真は最後にもう一つ、条件を提示した。

 「ドイツに行かせてください。このあと少しの期間。それもお給料として資金をお願いします。」

 「ドイツ?亡命でもする気か?」

 「ちがいます。買い物に。」

 「買い物…」

 凝固した緊迫の綻びを強いられ呆れる長官を横で笑い転げる将官が宥め、真の要求は全て受け入れられた。そして契約が完了しようとした時藤野が声をあげた。

 自分も部隊に入れてほしい、と深く頭を下げ続け譲らない藤野の姿に、トップ二人も「お守り役が必要だろう」とそれを受け入れ藤野も部隊への異動が決定した。

 一ヶ月後、契約のまま藤野と共に真はドイツに旅立った。

 そして、そのさらに数週間後〈特殊戦闘機動部隊〉が発足され、部隊は秘密裏にその活動を開始した。東京都の山間地域に造られた急造の施設には警察と自衛隊の精鋭が集められ、その中に一般の志願者《﹅﹅﹅》を多数加えて計六班に振り分けられた。東京都内の二ヶ所と都下に一ヶ所の派遣支部を構え、都内には1班と2班が、都下には5班が駐在することになり、3班と4班、そして9班は本部に駐在し、事件の規模に合わせてそこに出動となる。班外の人員の大方は部隊本部に駐在し各班の補助を業務とする。真と藤野が帰国から部隊本部に連れられてから次第に進められた本部建造は浮たった塀に添う様《さま》になってきている。4ヶ月前に突如送られてきたピアノの送り手とどうにか連絡を取りたくてもその術はなく、共通の顔見知りの警察官さえも見かけなくなり、関わりたくもない警察署に懇願しやっとのことで真と繋がることができた。その期間に添付された映像を解読した、けれど何度調べ直してもその部分を読み解くことが出来なかった。

 

 

 「奈緒さんには感謝してるんです。本当に、出逢えて嬉しかった」

 突然変わった話に少し戸惑いながらも真剣な眼差しをそらさないように奈緒は応えた。

 「出逢うまで、もう全部、どうでもよかった。出来る力を手にしたってどうする気もなかったし、もう全部忘れてた。」

 長い睫毛をふせながら真はまっすぐに話を続けた。

 「でも、奈緒さんに逢って。忘れてたものを、また持つ勇気をもらいました。わたしにはまだ、守らなきゃいけないものがあって、それが出来るはずだからって。その決意ができました。おかげで逢いたい人たちにも会えてるんですよ。奈緒さんもそうだけど、守りたい人たち。だから、お礼がしたかった。」

 「一番望んでいるものではないかもしれない。けれど、あなたの夢の手伝いがしたかった。予想を超えて、ドイツの、皆さんが声を添えてくれて。本当に嬉しい。本当に、驚いた。」

 真は、奈緒の左手に手を添えた。

 「試練は乗り越えられる人にって言うけど、試練は優しい人にばっかり訪れる、そう思う。それは、優しさを持つ人は試練を暴力にしないから。苦しみや痛みを知る優しい人は、試練を優しさに変えれるからだと思う。だから、奈緒さんは大丈夫。乗り越えられる。」 

 「情熱が、勝つことがある。」

 あどけない微笑みをひとすじが煌めく。

 「…知ってたんですか?」

 「うん。あの時からだね。」

 「うん……力が上手く使えないんです。」

 出逢いの日。あの時の苦しみは、奈緒の体に哀しくも確かな跡を残していた。真の感じていた違和感のまま、奈緒の左手は麻痺し力のコントロールが出来なくなっている。左手は、調律師にとって微細な調整を行う手だ。

 「もっと、はやく気づけたはずなのに、ごめんなさい。」

 涙を流す奈緒に、真は頭を下げ、車内には沈黙の音だけがある。

 

 

 「あの時、赤い線だけが視えたんです」

 

 奈緒の言葉に顔を上げる。

 「線、かな?ただの光ではなかったんだけど。」

 「殴られるの、止まって、少し上見たら、赤とか青とかの線、みたいのが視えて。それで、声がする方探したら、この人泣いてるんだって思って」

 「ずっと、ごめんなさい。ごめんなさいって聴こえて。」

 「そのあと支えてもらってる手もずっと震えてて。この人は大丈夫だって。だから、あの時止めたんですよ。」

 涙の跡は淡く頬を染め、奈緒は笑顔で真に向き合った。

 「嬉しかった。本当に。こんなに想ってもらえるんだって」

 「ピアノは、本当に驚きました。」

 

 

 

 「――ありがとう」

 

 今度は、涙を止められなかった。

 自分に会うために必死でいてくれた奈緒に、奈緒との出逢いに、感謝しかなかった。

 

 真にとって、他人と関わることほどの不幸はない。

 そう思うほど、彼女は人を好きになれなかった。

 関わる苦しみは、誰の想像の中だろう。

 その経験が、真にその感情を抱かせていた。

 力があろうと、全てを忘れ、時を過ごすだけ

 奈緒が真に与えた希望は、真に大切なものを思い出させた。

 

 「わたしが強いの、知ってるでしょう?だから、苦しかったら、怖かったらわたしを呼んで。お母様とふたりで耐えないで。すぐに飛んでくるから、呼んで。助けになるよ。」

 「はい。私も!」

 「うん?」

 泣きじゃくる真の両手を持ち上げる。

 「真さん、本当は泣き虫でしょ?いつでも話、聴くからね!」

 

 快活な奈緒の声は、また一つ、真に大切なものの姿を想い出させた。ふわりとあたたかな風が顔を撫で、彼女を想う花がエールをくれる、そんな姿を想い出した。

 

 

 

 

   4

 

 奈緒と別れてすぐ、真たちは本部に戻るため高速を走った。

 二人の余韻は静かな鈴の音のように車内を満たしている。助手席に座り外を眺めたままの真は、走行し一時間をすぎた頃、姿勢を正して藤野に話しかけた。

 「藤野さん。ありがとうございました。ずっと、待っててくれて」

 反射が写す真は、ガラス越しに藤野を見つめ小さく頭を下げた。

 その表情には明るさがあり、藤野は「はい」と目線をガラス越しに合せた。

 車道が鳴らす騒音がないように、静かに、静かに、車は東京へ向かう。

 

 

 走行し、二時間が経った頃、部隊本部に繋がるインターチェンジまで後少しの距離を街灯の乏しいなか走っていた。一年中変わらない気温が少し温かに変わるように、オレンジの目印が灯され穏やかなままそれを眼にしていると急激に恐ろしいほどの寒気が真を襲った。恐怖に戸惑う真の姿に困惑し車を走らせる藤野。瞬間、二人の携帯が同時に鳴り響き、その音は車内を耳鳴りのように飛び交った。

 真が電話に出ると、聞こえた一声は双木の叫びだった。

 「班長っ‼︎出た!ごめんなさい!」

 叫んだあと双木はすぐ泣きはじめ、その後ろに怒声と悲鳴があるのがわかる。

 「双木さん!どこにいるの⁉︎」

 「今!新宿で!バスターミナルのある!――急襲があって!」

 「新宿⁉︎バスターミナルだね⁉︎」

 会話に反応し、藤野は急速に速度を増した。

 「混雑がすごくて!戦ってたんですけど!津田君が!」

 「わかった!近いから!行くから!」

 「一回切るから!周りに注意して!逃げていいから、みんなに言って!」 

 返事が聞こえないほど双木の言葉は悲鳴に呑まれていった。

 幸い、なのか、場所は高速を走らせた先だ。けれども、新宿にたどり着くにはあと一時間半は最低でもかかる距離にいる。広狭するマンション群に付けられた照明の点滅を確認する事も叶わないほど速度を上げても、その距離に焦れるばかりだった。声を交わすことなく揺れを激しくする車内で真は後部座席に身を乗りあげ刃の入ったケースを取り上げた。ルームミラーを通しなんとかそれを確認する藤野が寸分の間眼を離すと、目の前に渋滞の列ができており、急速に押し込んだブレーキは30センチととどかない距離を残し車体を停止させた。その衝撃がないように開いた扉に片手を残し降車した真が藤野に指示を伝える。

 「先に行きます。藤野さんはなんとか車を現場まで運んでください。班用の車であそこでは小回りが効きにくいと思うのでみんなを運んでください。」

 「待っ――!」

 藤野の静止はとどかず視線の影を残し真はその場から消えていた。すぐに体勢を戻しルーフに上げただけになっていたサイレンを最大に鳴らし強引に車を進めていくが、詰められた車体を超えて行くための速さまでなかなか到達できない。そうして強引に進めた距離の先に影を捕らえた。広域に拡がる影は濃厚な積雲となって新宿の上空に鎮座している。

 

 停滞する先に起きている事実を知らず、鈍足になった鬱屈さに苛立つ人々はその残像に気づくわけもなく、真は渋滞に詰める車たちを神速に駆け抜けていった。車では速くて一時間半を割も経たずに過ぎ去る眼下には、現場に寄るごとに、壊乱する人々が交錯して行くのを写し目的の混迷さを際立たせている。

 上空の影が集中する西口ロータリーを射程に抑えた時、真を刺した鈍痛は、真にとって、最も悲惨な状況としてそこに拡がった。醜行に酔った空の者に相対し血に塗れる仲間の壮絶さが一瞬の足止めを起こす。

 

 「「津田君‼︎」」

 

 相対しながら放たれた仲間の叫びは上空に残り抗戦していた一人に向かった。逃げる人と野次馬に化した人の輪の中に落下するように津田が攻撃を受け力尽きていく。その身体を受け止めようと動く9班メンバーだが、彼らの跳力では津田には届かない。それでも足掻く彼らの横を高速にすぎさった光が火の玉のように津田を受け止めた。

 火の玉の炎端はその先を広げ、巨大な赫い翼のようになり、その中央には真の姿がある。津田の身体を抱き止めた真は、津田の姿に耐えれらなくなった。切られた傷、噛まれた傷、そこら中から血が溢れ彼の体のほぼが赤に染まっている。

 「津田くん。ごめん、ごめんね、ごめん」

 意識もなく戦っていた津田は、真の涙に応えるよう目を開いたが、発する声は真に届かず意識を閉じた。

 

 用意された狭い通路から煽れ出した人混みを弩級のサイレンが割り込み、捩れ渦巻くまま圧縮されたロータリー横に停止させられた車体は跳び出す運転手の動きに飛び退いた。急ぎ上空を仰いだ藤野の元に、津田の身体を抱えたまま真がゆっくりと降下してきた。そして、双木・山中・大窪・深津と、9班に属するメンバーも次々と集合した。彼らの体にも血がつたっており、止めることの出来ない呼吸が漏れている。 

 「みんな、津田君を連れて帰って。医療班に」

 「班長!」

 「大丈夫。ごめんね。」

 「藤野さんお願いします」

 皆の話も聞かず、真は空の者が構える場所へと歩いた。

 空にいるのは五十を超える人型の者たちだけではなく、巨鳥が4体に爬虫類に似た鳥が18体いる。それが扇のように地球の人々を見下しこの上空を覆っている。西口だけではなく、多くの高速バスが行き交う南口にもその雲は拡がり、5名の班員では間に合わない被害の悲鳴が聞こえてきている。

 「山中さん、運転は?」

 「ああ、大丈夫」

 「頼みます」

 「藤野!お前が残っても…」

 「残ります。」

 「――わかった」

 

 9班の面々が去り、動き出したのは鎮座していただけの戦闘機達だった。街中で、人と建物が密集しているここで、それは発射の準備を始め、空で停止している機体も戦闘の初動をかまえた。操縦者は号令を待ち手に力を込めている。堅牢な見た目のままそこにあるだけの機体の手は号令の先にいるのは津川の指示を待っている。特殊戦闘機動部隊の発起人であり部隊長を務める津川は、特部本部の椅子から動くことなく、戦況を見ている。予め設置されていたように新宿の各低層ビルの上にある大型のカメラを通し、出動させるだけの機体を残し、他の部隊員は東口に向かわせ最も敵の多い西口・南口には9班だけを置き帯同した他班には待機の指示を下した。

 「どう、されますか?」

 「まだだ。真君が来たんだろ?手を出すな。」

 「しかし!9班の連中もあの有様です。彼女が来たところで――」

 「だから、それを見るんだろ?待て。」

 「……了解、しました。」

 

 戦闘機が空の者たちの脅しになることはない。

 それと戦えるだけの能力を持つ彼らは、その機械がいくら臨戦体制に入ろうと姿勢を変えることはなかった。動かせば、被害が出るのはこちらのみ。

 故に、彼らが姿勢を崩すことはないがこちらは違った。

 新しく設立された部隊で、その中の精鋭、その9班が苦しんでいるのを見続けていた機手は怯えきっていた。9班は確かに特異で自分達とは全く違う生き物に見えた。彼らは戦闘機とも渡り合う空の者と戦えていた。負傷し去った今も彼ら以外があれらと対峙できる気がしない。職務に対する責任よりも生存本能が勝ち、悲鳴を喚く野次馬のようにこの場から逃げ出したい震えを皆必死に隠していた。そして、その震えはきっかけになった。

 津川の合図をまちジラつく機体の中、数人が理性を無くした。震える苦悩は暴走をはじめ取り押さえられる力を解き、この一帯を焼ける弾丸の放つスイッチを押し込んだ。

 「バカが」

 コントロールの効かない数機が活動を始め、蠢く人波は悲鳴を上げながら他人を押しつぶしている。機体に搭乗している者も周りで待機している者達も一斉にその場を離れていき、雑踏に隙間をつくってできていた戦場は混沌の雲霞となった。 

 

 誰もが混乱し逃げ惑ったが、周知させる事なく、どの機体も強制された活動を停止させている。異変に気づいた尾澤第3班長、堀田第4班長は自班班員を集め再び開かれた戦場に目を向けた。

 逃げる人々に逆行する人がいる。その人物は視界で捕らえる間もなく宙へと歩み空の者たちの足元に近づいていく。すると、戦車の動きで何の変化もみせなかった惑星の生物が怯声《きょうせい》を発し、首にかけられた縄を引きちぎり乱心した羽で空に帰っていった。残されたのは縄を喰い込まされ逃げることを赦されなかった巨鳥が一体と数十の空の人々。それを好機と、尾澤ら特部と自衛隊数名が緊迫する戦場に乗り込もうと発走する。だが、その彼らの行動は混乱を悪化させるだけで開かれた戦場を混ぜ返していくだけ、それでも戦闘に、と興奮し現状を見ず駆けずる彼らの着地点に、残った戦車の砲身が突き刺さった。

 見上げた先には見たこともない怒気を下す真がいる。

 無言の警告。

 感度に優れた生物ならば先の鳥のように足を進めることはないだろう。興奮し煮崩れた頭ではその感度はないにも等しい。警告を彼らは敵意と判断し、躍起になった剣を振りかざし惑う事なく前進する。

 

 「死にたがりは放っておけばいい」

 背後からだった。

 

 真が振り返った先、巨鳥を従えた男、その顔に見覚えがあった。9班としての初陣、10名に満たない空の者が都下に現れたが戦闘意欲のない彼らに野次馬が大量に発生したことで派遣され、交戦の予定のないはずの初陣だった。空中で遊に構えながら突如攻撃をはじめ双木と対戦した男だ。双木に手も足も出なかった男が今回の主犯のようで、どうにか形を護っている扇の中央に堂々とのけぞっている。

 「覚えてるみたいだな。」

 「あの時もお前を狙ったんだよ!私は、ミチェレ・マルシアノ。ここのすべてを――!」

 高揚とした口上は遮られ、捕らえていた真は姿を消していた。

 

 

 『―何してるの―』

 

 声を探すと、自分が従えた鳥の首元に真はいた。刃を鳥の首にあて、自分ではなく鳥に話しかけている。

 『―こんな奴に従う必要はないはずでしょ―』

 『――どっちがいい、そいつを振り落とすのと、これが首を落とすのと―』

 

 震駭する巨鳥は拘束でできた傷をさらに剔り奇声を放ちながら男を喰うよう身悶えその手を離れた。方翼5メートルの暴風は奮起し駆けずっていた特部隊員や一向に進まない逃走で怒《いか》る群衆の足を止めその身を揺らがした。困惑がつくる数秒の沈黙。

 そして、巨鳥を震撼させた真の狂気は男達にもとどき、それまで醜行に酔ったままの彼らの表情は曇り、滴る汗は後退りを無意識に行わせた。ジリつき、黙ったままミチェレを睨んでいる真の出方をじっと待つ間もその全身を汗が巡っているのがわかる。辿り着いた拳に溜まり、その許容をゆうに超え隙間から滴っているのに気づいたのはこの奇襲が終わったあとだった。

 恐怖に固まるのは体だけでなく必死に集中を行っていた脳も同じだった。外さずに睨んでいた視線も固まり機能していない。視界を手に入れたのは鈍い音が鋭く耳に刺さったからだ。そう自分たちの状態を理解させた噪音はそれまでの戦いで鋭く抉られたゴミまみれのコンクリートにミチェレが叩きつけられたものだった。細いミチェレの体を跨ぐようにし、叩きつけた真は傾きのない頭のままそれを見下ろしている。

 

 現実を引摺る、堆積するベース音だけが聞こえてきている。軽蔑の視線が一瞬で距離を詰めてきたのも、優越感で鈍った感度が正常に作動し体が地についていたのに気がついたときも、軽やかに現実を連れた低音が自分の中を擦っていった。

 重力を受けた様に体が離れない。振り続ける重さを拭うことなど考えられないほどに強力な怒りがそれに重なってくる。震えることも汗をかくこともなく身体が冷え機能を停止させようと働く。喰い込んだ刃の痛みもわからない。血の熱もない。

 

 『――――――――――――――』

 

 

 呟きでしかない声の重みで、硬直した瞳を残し、ミチェレの意識は消え去った。誰よりも美しいと、自負の白い翼が自分の体から剥がれていくよう、つかむことの出来ないメロディーをスローに歪ませながら、たゆたう低音が、脳内を更なる混沌と化していった。

 夢幻に囚われ意識のないミチェレは服の背を中心にぶら下がった体のままその状況を見ているだけの仲間の元に差し出された。無言の言葉を理解した彼らは恐る恐る真の手から主犯を受け取り、そして無言のまま自分たちの惑星《ほし》へと帰っていった。

 

 

 日本最大規模の奇襲は各主要テレビ局によって全国に放送されており、混乱の最中映された異種に見えた戦闘員と、一人の戦闘員によって収められたこの戦いを、束の間で静けさを取り戻した空中を置いて、アナウンサーの実況の叫びは未だにテレビを鳴らしている。

 「真さん?」

 数時間前に再会した人物がその中心にいることはすぐにわかった。彼女に仲間がいて、その仲間が傷に塗れ、怒り、そこに一人残ったのは。

 それから瞬間で戦いが終わり、空の者たちは惑星《ほし》に帰った。

 まだ荒れるテレビと地上に群れる人たち、その中で、空に、背のまま右側を見つめる真がいる。それも束の間だったが、彼女を知り、案じる奈緒にはその隙間がささった。

 

 その束の間の後、真は再び出来ていた戦場の空間に着けられた車に乗り込みテレビから姿を消した。全貌を映すためにビル屋上に設置されたカメラは真を追いたくても間に合わず、地上に割り込んだカメラマンは人波にのまれ、しばらくどのテレビ局もまともな実況が出来ず、焦る声だけが無数に聞こえてくるだけだった。

 

 「奈緒?」

 久しぶりに、一緒に夕食を摂った日だった。

 ピアノの送り主のことは聞いていた。

 怪我を負った姿を隠すことはできず、奈緒の母にとってもあの事件の衝撃は愕然と抉られるものばかりであった。けれど、騒ぎ立てなかったのは、あんなにも傷ついていたのに娘から嘘のない笑顔があったから。テレビを凝視し、突然下を向き泣き出した娘はあの日だって見せなかった姿だった。肩を取り寄り添いかける声にも「大丈夫」と悲しみだけでなくて強さがあるように見える。

 

 

 本部へと急ぐ道中に藤野から班員の状態報告を受けた。皆、命に関わる傷はなく、津田も意識を戻してはいないが眠っているだけだと言う。

 

 「歓迎されたよ」

 深津からの報告の電話を代わった山中からだった。

 彼らが本部に着いた頃には戦場での決着が見えていた。豪勢な机を強く鳴らし立ち上がった津川は彼らのいる医療班班室に降りた。

 「よくやってくれた、だと。怪我人お構いなしの大声でさっ」

 

 報告に安堵し、ようやく姿勢を緩められた。

 「戻ったら、班長と話をしたいと言っているようです。」

 「そう、ですか。わかりました。」

 ケースに納めた刃を抱きかかえ、走る車は進むにつれ騒音を切り離していった。

 

 

 津田の回復までは一ヶ月かかったが、どの班員も、その能力で深傷を避けたためその後の身体《しんたい》に問題を残さなかった。

 第9班の働きに気を大きくした津川は、彼らを中心に特殊戦闘機動部隊の更なるパワーアップを図ろうとしたが、それはあっさりと真に拒否され、相変わらず津川指揮の五班と9班は別のものとして行動した。訓練を積む特部隊員たちの声は演習場を毎日締め、その煩さに嫌気を覚えながら第9班班員は彼らとはまた別の形で個々の能力に向き合っていた。

 津川から受け取った《﹅﹅﹅﹅﹅》あの日の戦闘映像を観た真は、それぞれと話をしてそれぞれの武器を改めた。そして、それぞれの戦闘能力向上のため他特部隊員とは違う形で演習《﹅﹅》を行うことにした。「まるで少年漫画の主人公になった気分」と笑い合う彼らは、その演習を選ばれた武器との相性を高めながらこなし、さながら少年漫画の主人公のようにレベルアップを完了させた。その後の出動をより迅速に行い、半数に分かれても問題なく事を収められるようになり、あの大規模な奇襲のあとは特殊が日常となる穏やかさがあった。

 「先に帰ってて」

 

 「また、ですか?」

 「うん。ちょっとね、寄り道」

 穏やかさ、が出来てから、たまに、真は班員と一緒に撤収せず一人後から帰ってくることがある。東京都内を移動することは真には造作もないことだったが、元々の身体が弱く、負荷がかかるため滅多にはしないが、練習にもなる、とそれをやめずにいた。

 手に沈む重さに愛用のイヤホンを繋ぐ。クリップで固定した長い紐を揺らしながら東京の街を渡った。愛しい音楽たちが彼女の世界になっていく。

 こうして耳を閉ざし、視界で想いめぐらすことが真には欠かせない。

 

 降り立った真の視線の先にあるのは東京タワー。

 漫画やアニメを好んでいる真は東京タワーにちょっとした思い入れがあった。訓練の中、班員のみんなが言っていた「少年漫画みたい」のように、東京タワーというと、力を持った主人公がその塔の先端《さき》に立っている印象があった。

 あの奇襲の日、憤怒に狂いながら、東京タワーが視界に入った。

 なんだか虚しく、空洞を抉られるような、自分の能力に対して不思議な感情を持った。  未だに言葉にすることを恐れる感情を。

 

 こうして、登れる塔の先端《さき》には登らず、周辺のビルの上から東京タワーを眺めるのが、今の、ちょっとした習慣になっている。