想い出は、誰かと共有する事があるかもしれない。
でも記憶は、たった1人のものかもしれない。
たとえ誰かと一緒に共有していたとしても、その中身はまったく違うものかもしれない。
古い想い出を誰かと話し合った時も、きっとそれぞれに記憶しているものは違って当然の事なのかもしれない。
ただそれが分かっていたとしても、何処かで同じ記憶を持っていて欲しいと思うのは、少し欲張りな願いなのだろうか??
顔でニッコリ笑いながら、まるで遠い過去と繋いだ手が離れていくような淋しさをぬぐえない。
でもそうして覚えていた記憶もやがて、誰の目にも見えない日がやって来るのだろう。
過去に戻ってやり直したいと思う事もたまにはあるけれど、それよりもあの時の気持ちにもう一度包まれてみたい。
それは、久しぶりに味わうお菓子のように、甘く切ないのだろうか。
それとも悩ましく惑わせるのだろうか。
年末を迎えて、お歳暮の挨拶をしたり、街の様子を眺めていると、過去がまるで絵本の中の話のように思えてしまいます。
私がまだ10代の頃、年末は本当に大変な時期でした。
私は親の仕事関係の方々に出す年賀状を代筆していました。
その数は、自分の分も合わせて300枚になりました。
今では考えられない事です。(今、20枚書いても疲れるのに………)
そしてそれを、あいうえお順に紙に書き出します。
(というか、書き出した一覧にチェックしていきます。というのも、お正月に来た葉書をまたチェックして、出し忘れなどを書く為)
母は、お正月の御節を作る為に、日々買い出しからてんてこ舞いです。
そしてそれに並行して、大掃除が始まります。
昔の我が家には、立派な木彫りの飾りを施した神棚があり(粋狂な父親が大工に作らせたそうです)、おサカキ立てや仏壇のロウソク立てを磨かなくてはなりません!!
真鍮磨きの粉を使って磨くのですが、年賀状書きをする私にとっては、あまり有り難くない仕事でした。
母は毎年父親が買って来る鮭一匹を解体して、粕漬けにしたり、黒豆を煮たり、チャーシューを作ったリと、テンヤワンヤです。
そしてもう1つ手伝わなければならないのが、栗きんとんのサツマイモの裏ごしです。
カズノコよりもイクラ☺️☺️
クワイよりも栗きんとん☺️☺️
今思い出しても、ホントあの頃の生活って、大変だったなぁ〜
松飾りをしたり、お清めしたり、のし餅を切ったり…………
でもそれが当たり前だった。
そんな生活が変化するなんて、思いもしなかった。
1つずつ、便利になったと喜びながら、慣習を忘れてしまった。
そして1人になると、何も無くなった事に気がついた。
賑やかな団らんも、決まりセリフの挨拶も、大好きな手作りの御節も…………
年末年始、体調に気をつけて過ごしましょうね!!
そんな会話をしても、まるで遠い過去とは同じ気持ちにはなれません。
数少ない恋愛も、何故か家族の問題がネックになって、いつも失っていました。
でもそうして辿り着いた今が正解なのか、愚痴る相手もいない夜は、深々と寒く感じます。
♬想い出は、心の片隅に火を灯してくれます
コレは、映画【追憶】の主題歌で、バーバラ・ストレイザンド(バーバラ・ストライサンド)が歌ったTHE…WAY…WE…WEREという曲の歌詞です。
なんと共演したロバート・レッドフォードが今年の秋に他界したそうです。
あの方の顔をスクリーンで見るのが好きだったなぁ〜
スティング、華麗なるギャツビーなど、一時期輝いていたけど、想い出の中に眠ってしまいました。
あゝ、あなたの心の片隅に火を灯してくれる想い出は、今も暖かくあなたを温めてくれますか?