ASD+ADHD+知的の23歳の息子
母の想いいろいろ綴ってます
✳︎事業所、不通所なので…笑、
不登校のタグつけさせてもらっています。
去年の今頃、
息子は春から行き始めた事業所を辞めたくて、
荒れていた。
働く…というよりも、
パソコンの資格が取れます…というところが、
いいかもね…と選んだ。
事業所の大部屋の一角にパソコンがあって、
そこで検定用のプリントをもらって、
打ち込みをするとか、
簡単な問題に挑戦するとかをやっていた。
もしくは、ちょっと区切った小さな小部屋で
同じく…という環境だった。
最初の頃はまあよかった。
パソコンの勉強は楽しいよ…という感じだった。
しばらくすると、
「周りがうるさい」と言い出した。
でも、軽作業をしているときはみなさん黙々と手を動かしていたし、休憩中は多少騒がしくなることは当たり前なんじゃないかな…と思った。
出来ないこと、理解できないことが多くて、
何度も質問したり、
職員さんを呼んだりするのも、
負担だったようす。
息子が何に困っていて、
どういった支援や配慮が必要なのか、
事業所の方ならわかると思っていた。
勝手にどこか期待していた。
でも、学校じゃないし、
B型の事業所とはいえ、
働いて工賃をもらう場所。
事業所の問題ではなく、
こちらサイドの問題なんだと思うと、
改善することなんて出来ないんじゃないかと感じることが多くなった。
次第に、イライラすることが増えて、
「辞めたい、辞めたい」と言いながら、
騙し騙し通っては、
爆発するという…。
駅で、ゴミ箱を蹴っ飛ばしたり、
乗り物の中でマナー違反だよね…のような、
迷惑な行為もあったりした。
辞めていいよ…と言うのが難しかった。
嫌だとすぐに辞めて、
辞められないと荒れる。
こんなことばっか繰り返しちゃダメだと、
私の中に「ここは乗り越えるべき」みたいなものが生まれてしまった。
削られるように、いろいろ耐える。
耐えらなくてぶつかってもまた削られる。
何度も、「もう一緒に暮らしたくない」と思うし、言葉に出してしまう。
もっとひどい言葉もたくさん投げつけた。
思い出すのもまた辛すぎる💧
大きな他害に繋がるかもという怖さと、
もう、自分の心がギリギリだとなり、
結局は、負けてしまった。
何と戦っているのだろう…という虚しさ。
戦いたくなんてないし、
そんな必要もないのかもしれない。
でも、戦って負けたって言葉がいちばんしっくりくる。
あれから、一年経った。
一つ前の事業所に出戻りさせてもらった。
働く環境としてはいいと思う。
息子のペースを受け入れてくれている。
でも、今度はバスが嫌だと言っている。
辞めたい…とイライラしている。
だんだんと行けてない。
このひとは結局こうなんだと思うと、途方にくれる。
これが発達障害の生きづらさなのだと、
一番苦しいのは息子なのだと、
私はわかれない。
呑気になりたい。
楽しさを優先したい。
彼も変われない。
私も変われない。
彼は彼、
私は私…
それぞれなのに。
ほんとにほんとに癒されたい…
喧嘩なんかしたくないし、
優しくありたいのにな…