ASD+ADHD+知的の23歳の息子

支援学校の高等部を卒業して、
「働く」がなかなか難しいと
思い知っている現在

母の想いいろいろ綴ってます。

✳︎事業所、不通所なので…笑

不登校タグ付けさせてもらってます。



 音楽の才能に恵まれた自閉症の兄。

自身も音楽の道を望んでいる弟。

でも、母はいつもずっと兄ばかり。

そりゃ、自分のことは出来る、兄は助けが必要、

わかっている、でもでも…。

弟はだんだんと兄と母に嫌気がさしてくる。

距離を置き、どこか満たされない心…。

弟の未来に兄との時間はあるのか…。



ムスメは大学での研究テーマを

「きょうだいじ」にした。


正直驚いた。


研究者として俯瞰して捉える目線に、

当事者としての想いはどんな風に在るのだろう…と、思った。


彼女は高校2年生の時に半年間、留学をした。

これから大学進学の勉強が本格的に始まる時に、

「帰国したら大変だよ、わかってる?」

と聞いた。


高校生の今、いろんなひとに会いたい…

いろんな考えや価値観を知ってみたい…

と言っていた。


その根っこには、

兄というひとはどんなひとなのだろうと

いう気持ちがあった。

自分とはいろんなことが違う兄と、

さまざまな国籍のひとがどこか繋がって見えたのかもしれない。


大学に行く前に、

必要な時間なのかもと送り出した。


オトナになって、

自分の価値観がほぼ決まっているときに私は息子と出会った。

障害のあるひと…

自分の知っている世界のなかに、

息子を理解するものがほとんどなかった…笑

身構えた。

いつも、

「障害があるから…」と息子を見てしまう。


けれど、妹であるムスメは、

産まれた時にすでに兄がいた。

物心ついたときから、兄はあんな感じで、

そんなものだろうと、立ち止まって考えたりも

しなかったと思う。


彼女が小学3年生の時に、

息子が支援級に移籍することになった。

いつかそうなると思い、

学校側とは早い段階からゆっくりと準備を

してきた。

息子にとっても支援級は通常級に

いながらも近い場所だった。


なので、どちらかというとムスメのほうが

心配だった。


兄の障害のことをちゃんと伝えた。

…だから、支援級に変わるんだよ…

びっくりする?…と聞いた。


「障害があるって知っていたよ。」と、

特に戸惑う様子もなく言っていた。


「支援級にお兄ちゃんがいるとかで、

何か嫌なこといってくる子がいたら、

その子が全部悪いから。

あなたもお兄ちゃんも何にも悪くないからね。」

と言ったら、


「そんなことあるかな。

あったら言うね。」と。


変に構えた自分が恥ずかしくなった。


支援級の生徒と「きょうだいじ」の交流会にも、「行く、行く!」と、友達と楽しそうに参加していた。


いつも、

彼女のほうがお姉ちゃんみたいだった。

必要以上にしっかりさせた感は否めない。

そのことに申し訳なく思ったこともある。

多感な頃にはいろいろと思うこともあったと思う。


でも、

そんないろいろも今は彼女の糧となっている。


大学に行く時、

うちを離れることが決まり、


「ほんとに自由にしていいの?」と

聞かれた。


何の迷いもなく、

「いいに決まってる。」と言った。


兄のいない暮らしをすることはとても大切だと思っていた。

それは私の経験から…

タイミングを逃すと出られなくなる。

もちろん、私と彼女は違うけれど。


この先、どこかで兄と妹の時間は交差する。

どんな風に関わっていくかはわからない。


彼女が未来にどんな選択をしていくのか、

空から見守る感じになるんだろうなあ…笑