安部公房、原点 | おもに読書記録

おもに読書記録

療養日記。

いま、ふと、ふとなんですが、久し振りに安部公房を読みたいような気がしました。安部公房は確か高校のときに『壁』、『箱男』、『砂の女』、『人間そっくり』の四冊を読んだきりですが、前々から再読したいと思っていたのです。どうしようかな、いつ読もう。まずは『箱男』を読もうか知らん。『壁』なんかは、高校二年のときに出会って、小説というものはこんなに面白いのか、と衝撃を受けました。それまで、小説、文学というものに指一本触れたことがなかったのですね。


まあ、あれはわかりやすいと言えばわかりやすいですね。意味を問うとなかなか難しい話ということになるんでしょうけど、その当時のぼくは、意味なんか考えずに、ただひたすら、シュールリアリスティックな、考えつかないような物語、文章に、身をまかせているだけで、知的興奮のようなものを得られました。


一種の曲芸のようなものなんですかね、あれは。誰が見ても、驚きはする。文学的な評価はどうかはわからないですが、驚きはする、というような小説ではないでしょうか。ぼくは『壁』が文学的に、内容的に深みのある偉大な作品であるのかどうかまではわかりませんが、とにかく前衛的で、もうめちゃくちゃで、とても面白いと思います。まあ、シュールリアリズムですよね。マックス・エルンストの作品を鑑賞するような。


なので、まずは『壁』、これは短編集なので、読みやすいということもあるので、まずは『壁』を読もうかと思います。『箱男』は、これも高校のときに図書館で単行本を借りて読んだのですが、とても面白く、知的好奇心を刺激されましたし、「自分はすごいものを読んでいる」という、この年代の人にありがちな、優越感のようなものも感じていました。周りの同世代の人間は、少なくともぼくの学校の同学年の連中は誰も読んでいないような本を読んでいる、というような、優越感です。ぼくの行っていた高校は進学校ではなかったので、本を習慣的に読んでいる人すら、数えるほどしかいなかったと思うので、安部公房、埴谷雄高なんて読んでいると、自分は周りとは違うというような、優越感を感じられたのですね。


で、話を戻すと、『箱男』については、そうした優越感を感じながら、予備校の行き帰りの電車のなかで読んでいたという印象しか残っていなくて、話の内容はまったく覚えていません。で、『箱男』は、なんでもとんでもない傑作だという話なので、前々から再読してみたいと思っていたのです。いまから二年くらい前に、高校のときに図書館から借りて読んだ、古い単行本と同じ版、同じ装丁のものを、わざわざヤフオクで入手したのです。なので、高校のときの、あの優越感、あれを思い出すためにも、『箱男』を再読したいな、と思っています。『砂の女』も一度だけ同じ時期に読んだはずなのですが、これも内容は少しも覚えていません。これも、古い単行本が手元にあります。


あともう一冊、『人間そっくり』は、三回くらい読み通しました。これは火星人を自称する男と話し合っているうちに、とうとう自分が気違いなんじゃないかと思いこんでしまう人の話です。この小説は、いわゆるSF的な仕掛け、例えばタイムマシンなど、が一切登場しないにもかかわらず、SF作品に仕上がっているという点が、特徴的なのだと、どこかで聞きました。


そういうわけで、村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読み終わったら、しばらく安部公房の小説を読んでみたいな、と思いました。ある意味、バック・トゥー・ザ・ベーシックですしね。ぼくにとって、小説体験の原点です。安部公房はもう十年くらい読んでいないかもしれません。