東を使わないで、南からスタートすれば、一時期なら人生は思い通りに行っているかのように思えます。

どんな方法でも、人生は思い込みで動く部分はありますよね。

南へのアクセスの理由はいくらでもつきます。

見えない世界の話しですから。

 

スピ算では思い通りに行くことはあまり意味のないことだと語っています。

善が良くて悪が悪いというのも、人間世界の話しです。

 

『悪事というものは社会生活における秩序の問題であり、宇宙的視野で観れば、善も悪も同次元なのであります』<原典3巻>

 

だから何をしてもいいということではありません。

そこには天の因果の法則というものがあって、人間の計り知れないところで、運命の算数は計算されています。

自分は無事でも、家族が見えないところでその影響を引き受けていたりします。

 

連請論のいわんとしているところはそういうことで、例えば、Aさんに何かしたりされたりして、それは必ずしもAさんと自分とのやり取りの中で因果がおさまるということではありません。

 

間が空いちゃったので、前回までの復習です。

例えば自分が結婚して家庭を持ったとします。

自然の法則通り、妻が両親孝行をし、自分も親を律する形で支えます。

でもその恩徳は東へ流れ、自分の兄弟姉妹が良い思いをします。そして、自分にはつらく当たるので、まったく面白くないのは中心に位置する親としての自分です。

 

そのぶん、兄弟姉妹は自分の子供によくしてくれて、子供は自分を押し上げてくれるようになります。

そして自分は感謝の気持ちで妻を助け支えます。

 

これはわかりやすい比喩で、会社なら社長やリーダーを中心に置きます。

人間が中心に座ると起こる自然現象と理解します。

 

親が東(仕事社会・行動を起こす)で行ったことは子供にその因果が来ます。

 

昔から「親の因果を子が背負う」という諺がありますが、まさに至言であります東方で行った親のあり方はそのまま子どもへ伝わるシステムになっているのであります

 

人間の運命は物を売ったり買ったりするような型ではなく、A氏を助けたからA氏から助けてもらえるということはまず少なく、A氏を助けたことの見返りはB氏なりC氏なりからやって来るものであります。そこには神の意思が働いており、自然界の摂理なのであります』<原典3巻>


安直な言い方をすれば、座で生きること。

自分がやったことにとらわれないこと。

単純なことですが、これができるようになると、自分以外の必然性の中で生きることが少しできるようになります。

 

どんなことでもそうですが、「わかる」ということは実感することです。

個人的な意味での自分を離れた視点を持つことができると、人生は自分以外の法則で動いているとわかることがあるものです。

 

座気連請論の意味は、こうした自然の法則(因果の法則)を身近な流れの中でまず知ることにあります。

 

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