20位:釈由美子(拒食症)
 
釈さんは、「釈ビューティー」というご自身の美容本の中で摂食障害のことを書かれていて、事実のようです。

 

4つの土性がすべて牽牛星に流れ込む

②自我薄

③入力なし

④律音と夏の準方三位

⑤日居天中殺

⑥南天運(星がすべて現実星)

 

「精神の貴人 現実の虚人」というのは、精神に見合った現実を作れないということです。東と西が欠けるというのは虚現実ということですが、本当にそうでしょうか?

 

「時間があって空間がない」という天中殺の定義は時間が動いているという古代の時空間定義からの思考です。

 

 

古代人は眼に見えるものから啓発されていたので、時間の移り変わりは顕著に事実だったと思います。そして、それは神の動く姿だと。

一方で目に見えない五行の空間は神の静の姿でした。

 

これが逆転したと書かれています。算命学だってこういう変遷があるってことです。

時間があって、空間がないという天中殺の定義は、存在の主役が空間に移ってからだったら、違っていただろうと思います。

個人的見解ですが、空間がない時間自体、ありえないと思えます。

列車(空間)が来ない駅(時間)はもはや駅ではありません。

 

算命学を学んでいる時は、なにもかも真理で正しい教えと思ってしまいますが、神の啓示を受けた古代人(人間)が自然から学んだことを元にしていることでもあるので、古典的、人間的ゆえに、曖昧さやその時の真実はあると思います。

 

時代によって変わるということではなく、人間的限界を神の言葉に置き換えてしまっている部分、あるいは、王室御用達であるがゆえに、王様に取り入るために作り上げた占技があっても不思議ではないと思っています。

算命学が長い間王室の中で守られて継承されてきたことは、決して誇るだけのことではなく、危惧すべきことでもあるように感じています。

一子相伝といえば貴重な学問なのでしょうが、秘密裏に受け継がれてきたということで、言い換えれば、検証されないまま、真理という箱に入れて受け継がれてきたってことでもあると思います。

 

それが日の目を見るようになった現在、それを学ぶものは本当に真理なのかを検証していくべきなんだろうと思います。

だって、実際、守られ続けてきた真理が解放されたら、そこから次々といろいろな流派?に分かれているという現実もあります。

一つの真理が確固たるものでもないってことのように思えます。

 

算命学だからといって盲目的に信じて、人々に伝えていくことには怖れを持った方がいいように思っています。

そのためには、真理として説かれているものを、できるだけ、本当にそうであるのか、現代でも通用するのかという検証を(科学でいえば実験を)繰り返して、見極めてから鑑定するという慎重さは必要でしょう。

 

また、教室ではないと叱られそうなので、結論だけにします。

空間がないことはありえないので、「既存空間がない」と置き換えるべきでしょう。

これなら、算命学の天中殺論、天中殺でしたことは既存現実には認められないということも説明が付きます。

日居天中殺も、日座天中殺も、自分で新しい空間を作るのだと思います。

それが許されている、または、それが役割でもある、と考えています。

 

既存とは違う現実空間を作るので、常識的現実からすれば野人にも見えるでしょう。

その作られる現実は南北の自分の精神から生まれるものです。

現実をあらかじめ与えられていないのですから、作るしかないでしょう。

 

釈さんが、自分を現実に当てはめようと努力するほど、それは自分を痛めることになり、もっと痩せて綺麗にならないと現実には適応できないという強迫観念めいた呪縛から抜けられなくなるのではと思います。

 

若い時に正直に語っていた、妖精がみえた話なんかは、病んでいたわけではなく、自分としては現実だったと思うのです。

 

女優が水を得た魚になるのは、その世界が虚構の世界であり、自分が演じることによって自分なりの時空間を成立させることができるからだと思います。

 

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