この家庭論では、女性が中央に来ることは原則ありません。

結婚して入るのは西の補佐役の場所です。

夫を支えるのですが、あくまでも補佐的な支え方をわきまえることが大切です。

 

二人三脚のように横並びになったり、もっと積極的に自分(妻)が中心になって夫を助けると、自然の形に反することになります。

それでいながら、当たり前の家族関係を望むと、夫婦間とは限らずに、どこかに亀裂が生じて、それが家族の危機になることもあります。

 

ただ、自分が主役になって、共働きで夫を助け、義理の両親にあれこれ指図し、子供の教育もしっかりとやり、という家庭をつくれば、それはそれで成り立たせることはできます。

 

その場合は、夫の位置に自分がきて、自分が中央に位置するという座気になります。

本来剋されるはずの子供から生じられ、夫を助けて、義理の両親をコントロールすることができる位置です。

その場合、図のような形にならないからといって、それに不満や文句を言うことはできません。

妻主体の家庭が悪いというのではなく、そうなったら、夫から生じてもらえなくなることを受け入れ、子供が生じてくれる形になるまでは、耐えなければならず、いわば、四面楚歌のような状態になる可能性もあるということで、それに耐えられないと、運命はバランスを崩すと書かれています。

 

あるいは、妻が補佐役の場所にいても、姑を剋するような生活になると、夫が両親を生じるようになったり、矢印が自然と違う形になります。

逆に親離れしていない夫が妻を剋する(批判する)ようなことをすれば、これもまた自然の形が崩れて、家庭は崩壊の道へと向かうでしょう。

 

以前は、これが現実の姿だから、人間の形として肯定すればいいと思っていました。

天からすれば、傲慢な考えを持っていたわけです。

今でも、たぶん、天からにらまれているところはあると思いますが、試行錯誤中として大目に見てください(^^)

 

なぜ、座気家庭論や座気連請論が必要なのかというと、人間が作る家庭は、どれも問題を含んでいるからです。

その時に「人間だから」という肯定の仕方は、問題の解決にはならなかったのですよね。|柱|ヽ(´・_`・。)反省…

 

問題を解決するためには、それを判定する「基準」が必要になります。

模範解答があれば、どこが間違っているのか、正すことができるでしょう。

ここにたどり着くまでにどんだけの時間を要したか(T_T)

傲慢、独善がいかに罪深きことか、今頃気が付いています(ノ_-;)ハア…

 

「中庸」というのは、人間世界でバランスをとることではなく、宇宙基準でものを考えましょうということです。

それをものさしにして、長すぎる足りなすぎるを判定して、バランスを取りましょうということが中庸の本意です。

 

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