独り言に答える必要もないのですが、いま語っていることはただの前置きではなくて、位置法と算命学の星について考えるための必要な前提ですから!そのつもりでしっかり学んでください。

 

 

位置法とか流動法というのは、自然の五行のありかたと、人間界の五行のあり方の違いを比べて、人間が自然に生きられるための技術です。

 

ここでいう「ある範囲内」とは、人間世界そのものといってもいいでしょう。

その範囲を抜けて、宇宙的視点でみると、アンバランスのバランスというものが浮かび上がって来て、これは『斜偏の中庸』と呼ばれています。

 

僕は長い間、人間世界の中庸なんてありえないと思ってきて、算命学も思い切り人間視点でみていました。

人間五行でいいじゃん、という、今思えば、長ーく不遜傲慢な態度でしたね。

|柱|ヽ(´・_`・。)反省… 塾生の方にも申し訳なかったと大いに反省して、こうしてブログで懺悔の気持ちを込めて、新たな視点からの算命学を書き綴っています。

 

この『斜偏の中庸』には二つの意味があるように思います。

一つは書かれているように、宇宙的視点では、地球のアンバランスも中庸される一つの要因に過ぎないということです。

 

でもこれだと、地球レベルではアンバランスを肯定することになって、ではどうするが生まれてきません。宇宙的に生きることは人間には難しいので。

 

そこでもう一つ思いつくことは、人間世界の当たり前のアンバランスも、実は常に宇宙の中庸の原理にさらされているってことです。

 

 

人生山あり谷あり、陰→陽、陽→陰という意向を繰り返しているという、一見当たり前の現象なのですが、人間は欲深い生き物ですから、陽をずっと望んで、陰は少しで、ありたい陽へと向かって生き続けることを望んでいるように思えます。

 

陽を欲望する人間 vs 陰に引きもどす自然の原理(実は霊魂の働き)という発想で位置法と星を観ていこうという仮説を思い描いているわけです。
 

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