十二大従星の陰転陽転を知るには位置法(流動法)という技術を使います。

名前は聞きなれないでしょうが、これまでにも、考え方は紹介してきました。

 

自然と人間の違いを示した五行図です。

位置法の基準は左の自然五行のほうで、これにいま「はてなブログ」でやっている「座気家庭論」というのを加えて、人間の五行との違いを観るものです。

 

よく自然界の五行の中心に「自分」をおいて考えている説明がありますが、これはだめなんですよね。人間を中心に置くときには、個人ではなく「人間」です。

 

自然の中の人間という意味では、「今現在の人間」が中央にきます。

これは個別的な自分(日干)ではありません。総称としての人間です。

 

でもこれがひーじょに大事です。

自然の中で人間が位置するとすれば、交点の中央しかないってことです。

これが時間の謎でもあると思います。

 

 

座気というのは、その人間としての役割です。

場所や役割に備わる霊魂のことで、宇宙的視点でみれば、ここには地位の上下や価値の高低はありません。

 

 

この宇宙(無限)と人間(有限)の差を混同すると、対比の意味が薄れてしまうのですが、人生で起こる問題のすべてがここに凝縮されているといってもいいでしょう。

 

運命の謎のひとつは「大宇宙の法則」対「小宇宙の法則(人間)」の間に生まれる何らかの違いが、大きな原因の一つではなかろうかと考えたわけであります

 

原典にある言葉です。

それはそうですよね。無限で中庸な宇宙と有限で偏りのある人間世界と同じであるはずはありません。

だから算命学は人間が宇宙的自然に生きられることが幸福への道であるかのように説くわけです。

 

だけど無限で中庸な宇宙と、有限で価値へと欲望する人間とは違うことが当たり前なのですから、占いの目指すところは違うのではと思うのです。

 

幸福になりたいという人間の欲望は、宇宙にはありません。つまり、それ自体、反自然(宇宙)的なことです。

もちろん、人間としてそれを否定はできませんが、算命学占術の話しです。

幸福を目指して算命学(自然の法則)を使うのは、すでに矛盾しているように思えるのです。

 

そもそも座気に宿る霊魂は自然の中にあっては宇宙的中庸と無限性を備えていたはずです。それが人間の歴史が増すほどに人間色に染まって、平等のはずの座気でさえも、価値の上下の範疇に捉われるようになりました。

 

これが人間なんですよね。

で、これまでは、ここ(人間は宇宙とは別のシステムと有限性の中を生きている)を肯定することで算命学を捉えてきたのですが、霊魂視点に目覚めてからは、人間が生きているのではない、と考えるようになり、そうするとこれまでの人間中心の算命学では生きられない部分が出て来ました。

 

まぁ、それで暗中模索しながら、スピリチュアル算命学をはじめたわけですが、見えない霊魂を相手にするのは、かなり大変なことではあります。

 

この位置法(流動法)は人間視点ではやってきたのですが、霊魂視点で使うことによって、十二大従星の陰転を霊魂エネルギーにできるかもしれないという期待を持って改めて見直してみようと思います。


 

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