ここからエネルギーは最大値圏内に入って来て、「身強」と呼ばれるパワーが発揮されます。
時代としては青年(青春)時代。社会人として第一歩を踏み出す大人の入口です。
大人の意味は、自分の力で現実を作り、運命を切り開いて行くエネルギーです。
天恍星が夢を求めてここではないどこかを目指したときに、大きな壁として立ちはだかるのが「社会」という集団を単位とする既存現実です。
続く天南星時代は、大人=社会人という常識の壁に向かって、ありたい自分とあるべき自分の違いを思い知らされる時でもあります。
自分が求めているどこかを探しに向かったところが、場所は概ね決められていて、形もスタイルも価値観さえも決められていて、青年の主張は、定められた場所(社会)からは、批判と受け止められ、「若い」と揶揄され、「未熟」というレッテルを張られ、多くは入り口での挫折を経験することになります。
天南星の本性を算命学では「怒り」と定義します。
内的世界を霊魂界とすれば、外的世界が人間界です。
「持たなければならない」と言い換えているところに、本質的な段差を感じます。
この段差こそ、霊魂と人間の乖離といってもいいでしょう。
そして、多くの場合、接点を見つけることは出来ずに終わります。
それは瞬間的には怒りに変わり、外への批判として表出。
ところが、怒りも批判も社会の壁を超えることは難しく、結局、天南星の純粋なエネルギーは外から内へと方向を変えることで折り合いをつけることになります。
内向したエネルギーの行き着く先として、イメージするのがサファリパークの動物たちです。
動物園では野性が檻に入れられますが、ここでは、人間界(社会)が檻に入っています。これが天南星が人間社会で居場所を持つ、一つの姿かなと思います。
外へ向かい続ける限り、天南星の野性は社会(人間)には受け入れられず、そのまま進めば、天南星が動物園の檻に入ることになります。
野性を失わず、しかしながら一定の条件のもとに自分の生きる世界を見出せる機会を得るためには、社会を檻に閉じ込める(エネルギーを内向させる)必要があります。
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