31位:小島慶子(過食嘔吐)
「10代半ばから30歳頃まで摂食障害で過食嘔吐を繰り返していた。40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)」とコメントしています。
小島さんは、元アナウンサー、タレント、エッセイスト、ラジオパーソナリティ。
東京大学大学院情報学環客員研究員、という経歴を持っています。
子供時代~20代中ごろまで、自分(茶)と習得・目上・母(赤)の2強です。
10代中ごろくらいまでは自分の気持ち(黄)は表に出ないので、母(赤)のプレッシャーが強いと、気持ちのはけ口がない状態に見えます。
10代中ごろから摂食障害となったと書かれていました。
稼働場所は南の龍高星が動きやすいので、学習能力は高かったと思います。
父親の仕事の関係でオーストラリアで生まれ、一時帰国後に、シンガポール、香港で暮らし、小学校3年から日本の学校で教育を受けるようになりました。
馴染めないながらも、なんとか中学受験を突破して学習院女子中・高等科に入学。
「そこには、自分よりはるかに勉強のできる子がたくさんいて、とんでもないお金持ちの子もいる。自分は井の中の蛙なんだと気づきました。友達との関係にも悩み、若い男性教師にも反抗する問題生徒でどんどん孤立していきました」
<週刊女性PRIME インタビュー> 以下、「 」はインタビュー記事より。
2旬目からは龍高星主体で動くことになって、この星は目的が定まらないと、散漫な言動が多くなるのですが、おとなしく収まれない、制御の難しさがあります。
この時期の南の稼働は霊魂主導で、能力面では力を出せるのですが、現実面での協調性や既存性は薄く、浮き上がってしまう可能性もありました。
3旬も龍高星主体なのですが、2旬までは子供時代用のコメントで3旬からは大人用のコメントに変わります(龍高星の稼働意味はずっと同じです)。
3旬南稼働意味『自分が動きやすい個人的仕事環境で能力を最大限に発揮する。組織にいると伸びない。精神性が高く、単独で才能を発揮する分野が開花する』
南も龍高星も精神(霊魂)と考えると、組織に属して窮屈な思いをしていた時代になります。
産休以外はずっと仕事を続けていて、ここでも不安障害だったと述懐しています。
霊魂としては、結婚→退職→フリー、がシナリオだったのかもしれません。
4旬中ごろでは、精神科で軽いADHDと診断されて、子供のころから言われた、「変な子」の原因が分かったと書いています。
「授業中に誰かのシャープペンをカチカチする音が聞こえると「誰だろう?」と思って気になってキョロキョロしたり、喋っている人が何かの小動物に似ていると気がつくと誰かに言いたくてしかたなくなったり……。周囲から“変な子”と煙たがられていた」
前回書きましたが、害の感度の良さだと思います。
「言いたくてしかたなく」というのは、月年害の出入り自由か、日月比和か、このあたりはよくわかりません。
ただ、「EDHD(発達障害)」と診断され、本人は納得したようです。
3旬(27歳)から赤と茶色の旺地が終わり、木性(役割意識・闘争心)の旺地に。
でも、ここで結婚を選択するんですよね。
子供運(黄)は強くなかったのですが、子供が生まれたのでそれはそれでしょう。
ただ、精神的な不安定さは継続されていました。
2005年あたりから2023年くらいまで、グラフが中央に集まっている流れが続いています。
これは、人生のメリハリがつかない時で、現実の流れ(環境の影響)の中で自分の生き方が定まっていく時で、結婚生活も仕事も大変だった時です。
ある意味、現実に翻弄される時ですが、それでも、このグラフの形は、綱渡り的になんとか対応できる良さもあります。
2013年には、夫が急に仕事をやめると言い出して、小島さんも2010年にTBSを退社したところでしたから、寝耳に水だったでしょう。
「長年テレビ制作会社に勤務していた夫が「充電したい」と会社を辞めてしまう。長男が9歳、次男はまだ6歳だった。「“なにぃ─!?”と思いましたよ。1度も想定したことのなかった事態でしたからね。ただ彼も1年間悩みに悩んで決めた結論でした。そんな人に“また就職しなよ”と言うのもかわいそうだった。私も会社を辞めていますからね」 それでも、小島さんはしばしパニックに陥ったという」
日月の比和は、こうした環境の変化(現実の非比和・ズレ)への対応力はないので、パニックはそうだと思います。
通常は、夫に働けと詰め寄るところか、逃げるために離婚を選択するか、になるのですが、よくしのげたと思います。
ここでは唯一東の禄存星が比和の稼働で、仕事面が動きやすい時でした。
役割に向かっての前進力が強まる時で、運勢と比和の時は、ダメージは受けるのですが、そこから計画的に人生を設計し直せると、仕事の道が開けて行きます。
まさに、「周囲が動いて、大きな役割を与えられた」時でした。
大きな変化に寛大でいられたのは、禄存星比和の奉仕的な愛情が稼働しやすかったのも良かったのだと思います。
前述したように、ここから、2011年3冊、2012年2冊、2013年3冊とつぎつぎと出版し、2016年までは毎年本を書き続けていました。
夫が主夫で小島さんがメインに働くという時期もあったようです。
自分の精神的な問題も、エッセーとして連載して(40過ぎてADHDと診断され自分知った | 小島慶子のDUALな本音 | 日経DUAL)、正面から向き合いながら、折り合いをつけてきました。
客観87%+天南星×2は、常に、前向きに現実を生きる中で、自分の欠陥部分からも目を背けることなく、手の内に入れてきたという歩み方は、誰にでもできることではないでしょうが、参考になる生き方だと思います。
=====================================