牽牛星。陽⇒剋され陰、陰⇒剋され陽の和剋関係の組み合わせで生まれる星です。
甲木性的な「心」(日干)の中を辛金性的な無形の気 (エネルギー)が通過すると、そこには融合関係が生まれ牽牛星という新たなエネルギーが生まれます。
十ある星の中でももっとも解釈が難しい星だと思います。
言い換えると、霊魂の姿とそれを表出する人間の姿がかなり違っていて、人間にとって使いにくい星の代表といってもいいでしょう。
車騎星と同じ構造ですが、陰陽和合するために、自然に身について、無意識に発動します。
文官の星といわれたり、プライドの星といわれたり、協調性、役割意識が強いなどなど様々な現れ方になるのが特徴です。
車騎星が単独行動であったのに対して、牽牛星は単独では燃えません。
総じて、客観星(貫索星鳳閣星禄存星車騎星龍高星)は単独行動向きです。
自意識の中で世界が作られます。
それに対して主観星(石門星調舒星司禄星牽牛星玉堂星)は人々の中で発動するエネルギーです。単独では星は喜べません。
人の中で燃える星は、そこで自然体に存在を誇示するのですが、牽牛星は内面が自然に外に出ることはなく、権力への志向、名誉、地位による無言の攻撃性みたいなものが内向します。
わかりやすい車騎星に比べると、牽牛星の自己表現は極めて間接的です。
車騎星が削がれるまでに段階があったように、牽牛星にも段階があります。
「なにげにアルマーニ」は道半ばの現象です。
車騎星の自我の空化にたいして、牽牛星の目標は真の自尊心の発揮です。
真の自尊心については、僕の表現力では適切にいえないので、原典のお言葉をお借りします。
『自己所有の自尊心ゆえに立場や地位や体面を保とうとする時は、「貧しき自尊心」であり「豊かな自尊心」はいつ如何なる状況の中でも臨機応変の変身が可能であります。それでいて回りに迎合するのではなく、自己の目的や信念は微動だにしないのであります。
そこに間接的攻撃力の真価があるわけで、表面に見えるものだけをみれば車騎星とは大きな違いがありプライドもなく弱い人間性に見える場合があるのです』
牽牛星というと、外の評価で満たされるように思いますが、それは人間世界の話しで、実際は霊魂(自分)にもともと備わっている自尊心を原動力にすることです。
だから、牽牛星がプライドを持ってかんばっている間は、真の自尊心に到達していないことを意味します。
霊魂と人間がどこかでつながれば、それが揺るぎない「自信」になります。
自分を信じるとは、霊魂との一体感に近いものでない限り、偽物です。
そこがつながっていれば、世間的にどんなにみっともない姿をさらしたとしても、微動だにしない自分があるってこです。
霊魂にとっては世間は仮象です。
牽牛星の特徴
・自尊心、自負心(評価によってつくられるものではなく自分に自信を持つこと)
・攻撃本能(直接は出ません。前向きな自己実現の姿)
・実直、正直、堅実(霊魂がシンプルに人間性に反映した姿)
==================================