『ジェーン・フォンダ(1937年12月21日 - )アメリカの女優、作家、政治活動家。父のヘンリー・フォンダ、弟のピーター・フォンダ、姪のブリジット・フォンダも俳優である。1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、主演女優賞を2度受賞している』(Wikipedia)

 

④日年干合害

この二重干合、自分(日年)が害で、他の自分(月年)が支合、と違うために、精神面では大きな葛藤や丁(夫、恋人)に従ってしまうどうにもならない自分があって、これがみえない大きなストレスになっているように思えます。

 

丁には夫や愛する人が入ります。ダイアナ妃にも似たような構造があったのですが、自分(日干壬)と恋人は遠い位置にあって、結実感薄く(害)、もう一人の自分(月干壬・恋人と自分の間に割って入る女)は恋人と親密な関係(支合)になっています。しかもその邪魔する女は自分とは正反対(納音)の女です。

 

恋をするといつも相手の浮気や邪魔されることが無意識に頭に上り、相手への感情を必要以上に強めて、その結果、干合害は相手の言うことを従順に聞く(受け入れる・染まる)ことで関係をつなげようとする無意識が発動します。

 

1965年に映画監督のロジェ・ヴァディムと結婚。⇒1973年に離婚。

 

直後に社会・政治活動家のトム・ヘイデンと再婚、1970年頃から1975年頃までベトナム戦争に対する反戦運動に傾倒し、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた。

⇒1989年にヘイデンと離婚。

 

1991年にCNNの創設者でケーブルテレビチャンネル・映画制作会社オーナーのテッド・ターナーと3度目の結婚。⇒2001年に離婚

 

ロジェ・ヴァディムとの間に1子、トム・ヘイデンとの間に2子があり、俳優として活躍中のトロイ・ギャリティはヘイデンとの間に生まれた長男。

(Wikipediaより)

 

関係が「害」というのは、決して悪いことではなく、ただ、多くの場合は、相手を無条件受け入れることになります。

日月害だと、結婚願望もそれほど強くはならないのですが、この場合は、彼に近く、支合している正反対の邪魔する女に対して、自分が優位性を得られるのは日干であることを示す必要があるためです(座下に彼を置く=結婚、同棲)。

 

『1971年にベトナム戦争復員軍人による反戦活動VVAW (ベトナム反戦帰還兵の会)の公聴会を支援し、資金集めのために全米各地で集会を開く。共に運動を行った政治活動家のトム・ヘイデンとは1973年に結婚している』(Wikipedia)

 

1965-1973は映画監督である最初の夫とまだ結婚していた時で、次の夫と反戦運動に熱中していた時は、不倫かどうかはわかりませんが、日干の壬を捨てて、月干の壬として外の丁と干合支合していたと想像できます。

 

日年の干合+害は、映画監督と恋に落ちれば監督の言いなりの女優を演じ、政治活動家と恋に落ちれば、反戦活動女優になります。

 

『私は、相手が求めるとおりの女になっていた。セクシーな若い女であり、物議をかもす活動家、そして大実業家に寄り添う貞淑な妻だった』

自伝でこのように語っているのは、まさに干合するたびに害が相手の描く妻になっていたことを示していると思います。

干合+害はどこかで自分ではない自分を感じながらも、その呪縛から抜けられないのだと思います。これも過食の大きな要因でしょう。

 

『私の摂食障害は完璧という不可能を求めていたことの裏返しで、食べ物を体に「入れる」ことで自分の中の空虚を埋めようとしていた。過食して吐くという行為は止めても、私自身は変わっていなかった。自分の体と本気で向きあい、自分の心を包んでしまった偽りのコントロールという頑丈な容器を打ち壊さなければならなかった。
 私は食べ物の代わりにセックスに逃げ場を求めた。浮気をしたのだ。それはすばらしかったが、同時に心の傷になって残るような経験だった。いつか、この背信の報いを受けるだろうという不安に絶えずつきまとわれながら、そのくせ心地よい解放感も感じていた。ただ楽しむために誰かと一緒にいる。妻でいなくてもいい相手と一緒にいることは、私のなかのずっと死んでいた部分を生き返らせてくれた』(ジェーン・フォンダ、わが半生より)

 

まったく矛盾する二人の自分を統合する納音は、それだけでも大変なことですが、日常生活の自分(日干としての自分・結婚している自分)よりは、外の自分(女優や浮気する自分)のほうがはるかに充実している(干合支合している)というところに最大の問題があるのだと思います。

 

最初に取り上げた松本侑子さんも、過食とsexの類似性について述べていたように、この二つは、空虚を満たすという共通点と肉体という生の現実を生きる行為という共通点があります。空虚の反対側に位置するのが肉体現実です。

 

日月の納音は、二人の自分が正反対の現実を作ります

結婚生活(妻・母)は干合害であり、社会生活(仕事・浮気)は干合支合であり、この正反対の自分を埋めるのりしろがないために、過食やsexを繰り返すことで、肉体を実感する(生きていることを実感する)作業が必要だったのかもしれません。

 

 

外に出ている時の自分(月干壬)は女優であったり、活動家であったり、なんらかの役柄を背負って、それが心と一体になって、完全に成し遂げることができます。

しかし、それ(月干壬の活動)はどこかで本来の自分ではないという葛藤が日干壬午には生じます。

そこで、外の自分を本来の自分に戻す、年干丁を座下の丁にする=結婚。

 

結婚したとたんに家庭は葛藤の場となり、そこは壬子が作っていた完璧さとは程遠い世界となり、納音=空の現実、となり、それを埋めるための過食だったのでしょう。

 

離婚を繰り返し浮気に走る姿は、壬午と壬子を行き来しているように思えてきます。

この宿命を調和させるには、壬子で生きることを本体として、壬午を黙らせる(結婚しない)ことかなと思えてきます。

 

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