『ジェーン・フォンダ(1937年12月21日 - )アメリカの女優、作家、政治活動家。父のヘンリー・フォンダ、弟のピーター・フォンダ、姪のブリジット・フォンダも俳優である。1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、主演女優賞を2度受賞している』(Wikipedia)

 

「過食すること自分の中の空虚を埋めようとしていた」というあたり、客観性はあって、自己分析的な見方をしています。

「空虚」がどこからきて、何を意味するのかがわかれば、過食という行為になんらかの因果を見出せるかもしれません。

 

「完璧という不可能を求めていた」というのは、少々美化された言い方に聞こえますが、女優という視られる仕事も背景にはあるのかもしれません。

 

①表現の星がない女優

②日月納音

③月年北支合

④日年干合害

⑤主観85%

 

かなりメリハリのある宿命で、矛盾もあって、位相法を観ているだけでも、生き難さを感じるところはあります。

 

①表現の星がない=表現力がない・表現しない・できない、ではありません。

ない五行には、ないことの意味があって、ないことの特徴がある働きをします。

 

四柱推命では調舒星のことを「傷官」と呼びます。

算命学的にいえば、調舒星激剋牽牛星。これがないのが出力ナシの一つの意味です。

自分が出力する感情がないので、金性(役割意識)に対して、感情的な拘泥がなくなります(火剋金がない)。やるべきことに忠実。闘争心を感情が制御することがないので、純粋な闘争本能が生まれます。

 

日干→表現という構造がなくてする表現→個人感情が混じらない表現ができます。

ある意味では純粋な表現者です。女優なら、自分の気持ちが邪魔しないので、役柄をそのまま表現できます。作家でもミュージシャンでも同じです。

表現したいことというよりも、表現すべきことを自然に発するようになります。

だから、きついことも当然のように語ります。自分のことも客観的に語ります。

 

芸能界にはたくさんいます。誰でも知ってそうな人だけを並べても、書ききれないくらいです。

 

ジェーン・フォンダさんが、自分の過食について、苦しかった心情を吐露するのではなく、「空虚を埋めようとしていた」「完璧という不可能を求めていた」というような、客観的、理性的な表現で告白しているのは、そして、そもそも隠したくなるようなことも普通に告白できるのも、人事(ひとごと)のように自分を語れる、出力ナシの特徴だと思えます。

 

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