『1995年のBBCの番組のインタビューでダイアナは何年も過食症に苦しんでいることを明らかにした。ダイアナはインタビューの中で「プレッシャーに影響されました。公務で外出する日は胃も心も空虚になって帰宅するのが常でした。帰宅すると先ほどまでたくさんの人を慰めていたのに、自分自身をどう慰めたらいいか分からず、冷蔵庫の中の食べ物を胃の中に流し込むのが習慣になってしまったのです」「一日に4回か5回、時にはそれ以上お腹一杯に食べます。すると気分が楽になります。二本の腕で抱かれているような気分になるのです。でもそれは一時的なものです」とその苦しみを語っている』(Wikipedia)

 

ダイアナ妃の場合、人間関係で追い込まれた感があるので、今度は日常生活の人間関係をみてみます。

乙未は未の中に自分がいて、日常生活が大事な干支です。

 

その現実の自分は、子供(丁)へと気が流れ(乙→丁)、本元(己)は父でしたが、結婚すると義母に変わります。その義母(己)を激剋する日常の自分。

 

この形、義母が弱ければ面倒を見る剋になるのですが、義母が強いと反発にもなります。伝統ある英国皇室ですから、義母は絶対的に強いでしょう。

そうなると心の中にいる己と丁の支合が己と反発すると成り立たずに、乙剋己は日常生活の葛藤になり。支合は心のいら立ち要因になります。

 

この乙剋己は争える相手ならやり合えばそれはそれ。弱ってきたら面倒見ればいいわけです。そのどちらもできない特殊な環境が問題でした。

 

『ハネムーンから帰国した皇太子夫妻は8月から10月下旬まで女王が滞在中のスコットランド・バルモラル城で休暇生活に入った。しかしバルモラル城での女王との同居生活は全てを女王に合わせなければならないため、ダイアナにとっては息苦しかった』<Wikipedia> *以下『 』はすべてWikipediaからの引用。

 

たった三か月でしたが、生活にも夢を持ちたい午未支合にとって、己を激剋したくなる生活だったのでしょう。

心と日常生活が支合出来ない姿はまさに「息苦しい」という表現があってるように思います。

『ダイアナは皇太子とともにケンジントン宮殿で暮らすことになっていたが、同宮殿の改修工事が完了するまではバッキンガム宮殿で女王との同居を続けなければならなかった。ダイアナは早く女王から離れたがっており、改修工事を急がせ、1982年5月からそこで生活できるようになった』

 

その後も、二人で暮らすはずの宮殿が改修工事でまたまた義母と同居することを余儀なくされています。

宿命でぶつかり合いながらもくっついている嫁と姑ですから、できれば織り合う方向で努力すべきだったのでしょう。

 

それと、この日常生活(日支)にも心の中(月支)にも夫(辛)は姿が見えません。

夫は年干(晩年縁)と年支(仕事場)という離れた位置にいます。

 

『皇太子とともにケンジントン宮殿に移ったダイアナは今度こそ皇太子と二人っきりの生活を始められると思っていたが、皇太子には膨大な公務があり、また公務以外にも最低週一回はコーンウォール公領の統治業務にあたる必要があった。そのため皇太子とダイアナが私的に一緒にいられる時間はほとんどなく、寝る時だけ一緒という日もあった』

 

これも宿命通り。

そして、夫との間には邪魔(甲)が入りやすく、自分を激剋する(天剋地冲・本来なら面倒見てくれる)関係になっています。

 

こうなると、頼りは子供です。子供が生まれると、心と支合し、自分の日常生活でも義母に背を向けて、子供との暮らしで支合を成立させようとします。

こういうケースで、義母が子育てに干渉するようになると、アウトです。

 

『ウィリアム王子の出産後、皇太子は秘書官たちの反対を押し切って公務への出席を減らし、ダイアナと一緒に王子を育てることに専念した。この時期がダイアナにとって最も幸せな家族団欒の日々であったという』

 

これがダイアナ妃の望みの姿、というか、最後の絆でしょう。

ただ、夫は遠いし、間に「甲」が入る可能性は常に出てきます。

二番目の王子が生まれた時も、夫婦関係は良好で、一家団欒のひと時を過ごすことができました。

ここで「甲(義父)」が登場して、筋書き通り、邪魔をします。

 

『皇太子の父であるエディンバラ公フィリップは、皇太子が家族にかまけて公務をないがしろにしていることを批判した。その抗議の意味を込めてエディンバラ公はヘンリー生誕から5カ月に渡ってヘンリーの顔を見ようとしなかったが、ダイアナはそれに強く憤慨した。父とダイアナの板挟みになった皇太子はコーンウォール公領の農場に引きこもって領主の仕事に安らぎを見出すようになった』

 

甲に引き裂かれたあたりから、辛は定位置である遠くへ行き、乙は、子供以外に見方がいない孤立する生活へと追い込まれます。

 

『ダイアナによれば1984年に次男ヘンリーが生まれた時点で気持ちのうえでの二人の関係は終わっていたという。皇太子は1985年から1986年にかけてコーンウォール公領のハイグローヴ邸で暮らすことが増えた』

 

こうやってみていくと、宿命通りの人物設定になっていて、それが辛い生活だったということは、英国皇室はダイアナ妃の嫁ぎ先ではなかったのかもしれません。

 

=====================================

 

青龍館・青龍塾・エクセルクラブ