心「大運天中殺ではフレームレスゆえに時に飛躍的な運勢上昇があることもあるとされていますが、年運天中殺は、現実の世界ということと2年という短い期間であるがゆえに行き過ぎ注意の方が強調されています。

 

大運天中殺では終わり五年に運勢の急降下の可能性が説かれています。

これにもいくつかのパターンがあって、均一ではないのですが、考え方としては通常の運勢に戻るための下降現象です。

 

『大運天中殺が二十年間の後に終りを告げれば、またもとのワクの中へ戻らなければならないのであります。上昇している場合も下降している場合も、もとのワクヘ戻る時は宇宙へ旅したロケットが地球上へ帰還するようなもので、運命的な「摩擦度」は最大となるのであります。
それによる諸々の影響と現象が人生上に現われることになり、運命の特殊性をつくり出すことになるのであります』<原典算命学大系第9巻>

 

『元のワク』から外れる(フレームレスとなる)のが天中殺という定義は年運で使ってもいい定義だと思います。

 


大運の場合は月干支が移動するので精神世界で天中殺=「無」の時間帯が生まれて、それがある条件下では、中央と南に強い引力を引き起こし強運になることがあるという原理です。

 

原理だけを年運に当てはめます。

そうすると、年運天中殺は年干支の移動で生まれてくる、現実世界で枠が外れた空間の時間帯となります。

 

年運天中殺を既存空間(年運ベースの運命のワク)が消えて、フレームレスの自由空間で現実を作る時と定義してみます。

 

問題はここからです。これをどう使うのか。

この定義だとしても、フレームのない時間帯を自由に生きたら、既存から外れていいことはないから、おとなしく過ごすべしという今の天中殺論も当てはまります。

 

しかし、なぜ、神は2年間も休息の時間を与える必要があるのでしょう。

必要があると思う人が多いから、天中殺は受け身でよけいなことはしないということが簡単に信じられているのだと思います。

 

 

数千年の時の流れの中で、時代はドラマチックに変化し続けています。

この変化を起こしているのは、人間です。神ではありません。

もし、天中殺がなくて、ずっと同じ運命ワクの中を人が生きていたとしたら、変化の速度はもっとゆっくりだったと思います。

 

天中殺を12年に2年と考えると、大した影響のようには思えないでしょうが、これは一人の人の年運勢で、今現在を考えれば、世界の1/6の人は年運勢をフレームなしで生きていることになり、大運天中殺や宿命天中殺を加えれば、それ以上の天中殺現象が地球上で起こっていることになります。

 

現実に人間生活が、人間時間的には速い速度で変化していることを思うと、そしてそれが必然だとするなら、天中殺はその変化に重要な役割を果たしていると考えるのはそれほど突飛な発想とは言えないと思うのです。

 

天中殺という時間帯があるからこそ、人類は速い速度で変化を成し遂げていると考えてはどうだろうと、、、、宿主は提案し続けているわけです」

 

裁判官「検察側、反対尋問をどうぞ」

 

検察側「これを持ち帰りまして、原告側と協議して後日また」

 

裁判官「わかりました。天中殺問題の議論はこれにておさめて、判決はすべての議論が終わったのちにすることになるので、検察側は次回公判に、天中殺の反対尋問と、被告人の次の改ざんの問題を提示してください」

 

検察側「わかりました」

 

裁判官「次回公判は、11月2日の12時から本法廷で開催します」

 

 

*『 』内、「本+画像の言葉」は、すべて「原典算命学大系」からの引用です。

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