裁判官「前回の公判では、算命学が思想学であるにも関わらず、思想は大虚構の上に成り立ち、現実と思想がまったく別個のものであるという原典算命学大系に書かれていることの問題が議論になりました。
これがすべての問題の鍵になるという心さんのお話を伺うことにします」
心「もし、思想が現実化されれば、それは思想ではなく、常識になってしまうと書かれています。
通常なら、常識になるってことは、思想が受け入れられたってことですから悪いことではありません。
例えば、古代では長い間、地球(人間)が宇宙の中心にあって、その周りを天が動いていたことになっていました。
天動説が常識の時代から、地動説が常識の時代になったってことは、地動説という思想が大衆化したことになります(受け入れられた)。
算命学が浸透して、常識になれば、こんなすばらしいことはないのですが、原典算命学大系ではそれはありえない(大虚構)といっているわけです。
また、もし、算命思想を確立して生きられる人になったとしたら、その人は社会の一員から外れた孤独の道を歩むことになるとも書かれています。
『大衆ではなくなる』ということは、現代なら、一般社会人としては生きられないってことです。
それどころか、精神がおかしくなったんじゃないのといわれるくらい、それ(算命思想)は現実とはかけ離れているってことです。
算命学の思想部門は、そのままでは人々に受けいれられるものではなく、またそれを現実世界で実践できることではないと明言されています。
だから、算命学の思想はすばらしくて、その通りに生きられれば幸福になるとか人生が充実するとか成功できるとか、ありえないってことです。
なぜ? と考えると答えは一つ。それは「宇宙(自然)の」真理 思想だから。
それゆえに・・・算命思想は「占い」という形をとることによって、大衆化し、現実を生きるツールとなったということです。
で、問題は、そうだろうかってことです。
その現実化できない思想を占いの技術はちゃんと現実化してるだろうか?という疑問。
そもそも、占いを操る人たちが、現実化できない思想を現実化しようとしているという意識もないでしょう。
さも算命学思想部門が真理で、それを占術部門が具現していると勘違いしていないかってことです。
宿主も先月まで、ながーい間、知りませんでした(-_-;)
占いは思想部門を具現化するためのアドバイザーだと思っていました。でも違う?!
それが正しいかどうかもわかりませんが、違うような気がするという文章に気が付いてしまったため、ここは無視できなくなりました、ということです」
心「思想としては大虚構なものを占いとして現実化する。そもそも無理難題が占いにはあって、それを庶民レベルで占いにするのは、簡単なことではないはずです」
心「占いをやっている人が、とりあえず、宇宙の真理を背景に占っていると思いこむことはできなくはないですが、「善も悪も、昼も夜も、男も女も同次元に座することができる世界」を背景に占っているとは思えないでしょう。
なにゆえに、古代中国思想は思想として現実を作れないのか、それが虚構になってしまうのか、これが問題です」
心「占いを学ぶと、とにかく量が多いので、答えを覚えたり記録するだけで大変な作業になり、占技がどうやって出来上がったのかなんて、質問もできないですし、疑問さえもわきません。答えを理解するだけでいっぱいいっぱいです。
問題は今の占いが、高尾先生のおっしゃるように、「どうしてできあがったのか」という視点を持って作られているのかどうか、です。
答えだけが継承されてきて、我々もそれを学んでいるとしたら・・・先生がおっしゃるように「思想部門」は忘れ去られて、形骸化した占いの答えだけが横行することになります。
原理が見えてこないのは、思想といってもそこいらの思想ではなくて^^真理思想ってことだからでしょう。真理は宇宙の真理であって、地球の真理ではない、でも占いは人間の世界を占っています。
地球上の占いに、宇宙の真理はいらないとはいいませんが、知らなくても答えが分かれば十分となっているのが実情でしょう。
裁判官「イントロが長くてどこで切ろうかと思ったのですが、やっと結論らしきことが出てきたので、次回詳しくお聞きします。休廷! コン!」
*『 』内、「本+画像の言葉」は、すべて「原典算命学大系」からの引用です。
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