7月9日

次元についてはいくつかの考え方があるのですが、これまでみてきた、自然の流れの中で燃焼するというのは、最有力です。

 

ただ人間は必ずしも自然に適応しやすいようにはできていないので、遠回りしながらの次元上昇になることが多いです。

 

もうひとつ問われるのは、燃焼の中身です。

例えば玉堂星の次元を上げるには、一生懸命勉強して知識を身に着け、それを活かして何かする、というような燃やし方を想像します。

 

それはそれなのですが、燃焼の仕方は一つではないですし、そこに玉堂星とは〇〇なりという定義をあてはめる必要はありません。

ほんとうに大切なことは「玉堂星」が燃えることではなくて、10干が最大燃焼することです。

 

大事なことは何を燃やして何が生まれたかではなくて、単純にどれだけ燃やしたかです。燃焼度の高さと質より量の問題です。

 

玉堂星主星で家庭をもって子だくさんとなり、勉強なんてする環境ではなかったとすれば、母性として玉堂星を最大燃焼させればいいわけです。

 

月干に玉堂星があって、資格取得をしたりいろいろ学んでも、ものにならず、結局実家で母の世話になっていたとして、それならそれでずっと母と歩むことで玉堂星を燃焼すればいいわけです。

 

車騎星→玉堂星→貫索星、という三位一体が理想形ですが、車騎星も貫索星もなければ、単独玉堂星を最大燃焼することで次元をあげることもできます。

 

一見簡単そうですが、次元が上がるような星の燃焼は持続することと、純粋にその道を歩むことが条件になります。

 

特に「その道を歩み続ける」ことは大事なことです。

成人後も母を頼って生きてきた人が、金持ちの娘に見初められて、逆玉婚をして、家庭を持ったり、資格取得がうまくいって、急に自立の道を歩んだり・・・

 

母を見捨てたわけではなかったとしても、そこまでの燃焼は消えて、現実的には成功したように見えても、次元の世界では低位を這っていることになり、その弊害はいつか現実を襲うことになります。

 

たぶん、神様は人間が成功するとか幸福になるとか、そんなこと眼中にないと思います。神様に目があればの話ですが(笑)

 

成功のために、幸福になるために、「努力していくこと」は神も望んでいることで、それはそれによって、気が燃焼して次元が上がるからだろうと思います。

もちろん結果的にその人は幸福になったりすることはあるでしょう。

それはそれ、副産物であり、人間の次元の燃焼には必要な目標でもあります。

 

自分の幸福のためでないとしたら、なんのために人間は次元を上げていかなければならないのか?

 

それは、宇宙のため、自然のため、神のため、、、、?

宇宙は人間が気を燃焼して次元を上げることで、宇宙自体の次元をあげているのでは、という妄想も働きます。

 

でもそれによって、自分の人生が力まなくても、望まななくても、老子のいうところの無為自然の生き方ができるようになる、そう思えるので、次元の話はもう少し探ってみたくなります。

 

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