2月21日

2月の運勢をコロッと忘れてました(ーー;)

今さらですが、ご指摘いただいて、あわてて本日アップしました。

 

 

 

+5を求めてたどりついた+5があったとして、それが宿命の目的だったとしても、それは人間のプラス5であって、宇宙(神・自然)の5ではありません。

 

「生」が必ず「死」を含んでいるのが陰陽の真理だとすれば、左のプラス5は生だけの人生を意味しています。

それは、ありえない(真理ではない)ってことです。崩れるってことです。

嫌でも-5を経験させられるってことです。

 

それが陰陽論であり、宇宙が人間に示す中庸の力です。

 

有願というのは、陶器の貯金箱にこつこつとお金をためて、目標額を達成した姿に似ています。

それは貯金箱であって、お金ではありません。

 

お金として使うためには貯金箱を壊さなくてはならず、トンカチで貯金箱を壊す作業がマイナス5ってことです。

死なないと完結しないのが人生です。

 

生死というのは大局観ですが、人生のいたるところで、貯金箱が壊れる経験を人はしてくるのだと思うのです。

 

その時に、消えてしまったと思うプラス5は、実は消えたのは「プラス」という符合で、その時のつらい経験はマイナス5で、その時には意味のない絶対値の5は本当の(宇宙の)貯金箱に貯められているのだと考えてみます。

 

「壊れた」貯金箱から出てきたプラス5(絶対値の5)こそ、人間に課せられた役割が生んだ意味ある5なのだと思うのです。

 

プラスもマイナスもない5は、〇〇のためにお金を貯めるという行為そのものではないかと思うのです。〇〇のためにが、消えるプラスです。

 

人が死ぬことで消える人生は「プラスマイナスの人生」で「絶対値人生」は宇宙に残っているのだと思うのです。

 

「生きるために食べる」は、「絶対値」食べる。

「おいしいものを食べる」は、「プラス」食べる。

 

「種族保存のためにsexする」は、「絶対値」sex。

「快楽のためにsexする」は、「プラス」sex。

 

「絶対値」を宇宙の食べる、宇宙のsexとするなら、後者は人間の、です。

人間のである以上、それはだめではないってことでもあります。

 

おいしいものを食べたい、気持ち良いsexをしたいというのは、極めて人間的な行為ではあるのですが、おいしくないもの、気持ち良くないもの、というマイナスも同時に生み出していることになります。それが陰陽論です。

 

「種族保存」と「生きるために」には、反対語(マイナス)がないんですよね。

あるとすれば存在できないという最終否定です。それゆえの絶対値。

 

陰陽論も中庸論も人生のプラスはマイナスを含んでいることを教えてくれているのだと思います。

 

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