1月30日
[ご連絡] パソコンの調子が悪くて、塾ブログ、メールのご返信等遅くなって申し訳ありません。なんとか復旧はしたのですが、心もとなく、また滞ることがあるかもしれません。
別のパソコンから、アメブロ作成はできるので、不具合の時はこの日記にてお知らせします。よろしくお願いします。
自分が作っている人生なんだから、好きなように生きられれば、次元が低かろうが高かろうが何が問題なんだ? って思いますよね。
そこに登場するのが神様です。
時間が切り取った空間によって人間は存在者となり得たわけですが、もともとの空間は無限の神のものです。
最初に神の土地を借りて存在しているということを書きましたが、そこには神の意志があると、算命学では考えています。
「意志」というのは人間的すぎる言葉で、誤解を招くと思います。
本来は、「自然の法則」というところですが、そうするとわかりにくくなるので、「意志」という言葉になります。
人間的な意味での意志とは少し異なるもの(自然の法則)としてとらえてください。
『神は人間個人に対して諸々の方法で意志を知らしめており、問題は人間個人が、それを如何に読み取るかにかかっているわけです。
人間個人が神の意志を読み取り、それを自分自身の中で消化し、自己のものとして知り得るわけですが、その知り得たものを社会に再現するという作業が人生です』
神様の代理人みたいな形で人間が社会を作っているという考え方です。
「心の次元が上がるほど、神の入り口に近づく」というのは神の意志を読み取れる位置ということです。
低次元(肉体寄り、地上寄り)であってはいけない理由はここにあります。
人間が作っている現実という料理の材料は人間の物ではなく、神のものであって、ちゃんとした料理を作るには材料(神の意志)を活かす必要があるってことです。
それでも作ろうと思えば、カレーライスの材料で、うどんとご飯を交換してカレーうどんやカレー味チャーハンだって作れます。カレーを使わずに、野菜炒めライスでもできるわけです。
本人がおいしくてそれができるなら、それでいいじゃん、という言い分もあります。
それでよくない最大の理由は、神の意志から離れれば離れる程、人生は苦難に満ちたものになるからです。
自分の食べたいもの(肉体より)の人生は、その時はいいのですが、気が付かないうちにどんどん苦しい展開へと自分を追い込んで行きます。
逆に、神の入り口に近づいて、神の意志を知って、それで生きることができると、人生は思いもよらない奇跡が起こったり、助けられることが多くなり、結果それが幸福だと感じる人生になるのです。
それで、これは、なるんですよね。
でも、これには、王道はありません。
王道はありませんが、『神は人間個人に対して諸々の方法で意志を知らしめており』という部分、神の意志を知ることはできます。
それはすべての答えは、目の前の現実にあるからです。
現実が心地よくて、ほぼ思い通りに眼前しているとするなら、それは神の意志に沿っているか、神の入り口に近づいているかでしょう。
ただ、一時的にはそういうことはありますから、今ということではなく、今の流れがどうであるかを感じ取ればいいわけです。
答えはいつも目の前の現実にあります。それがよく見えなかったら、算命学の占い師さんに聞いてみるのもいいと思います(^^)/
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