乙未は日干が地支にもあって、自分で日常を作って行く生き方になる。
それを天印星でやる。
天印星でどうやるのかは中心になる星によって変わってくる。
一口に天印星といっても日干によって10種類の天印星ができる。右の6つは日干支ではないので月支と年支でみられる形。
60干支にある天印星(左の4つ)は現実の日干(木性・金性)と安定感のある土性で作られている。
天印星が難しいとされる現実力を干支自体が持っている構成になっている。
本元は禄存星か龍高星という客観星で、これも目の前の現実を生き場とする。
日干支でない天印星(右の6つ)を含めて、蔵干の星をみると、どの干支にも出力(調舒星鳳閣星)があることがわかる。
天印星のある支(月支でも年支でも)は、目の前の今の気持を赤子のような無邪気さで生きると解釈できそうだ。
十大主星と十二大従星は同じ「星」の名前がついているが成り立ちも考え方もまったく異なっている。
主星という呼び名でもわかるように、算命学は十大「主星」(空間)を重視して説かれている。それは仕方がないとしても、比較すると「従星」の解釈や使い道が少ないように思う。
実際に人への影響は、従星のほうが大きいようにも感じる。
もっと従星を活用できる占術があってもいいようにも思う。
日干陽干では中元の調舒星が現実星の牽牛星(役割)か司禄星(日常)へと向かう。日干陰干では貫索星(自分)が鳳閣星(目の前の関心事)へと向かう。
自分の気持ち(主観)で動く陽干、自分の関心(客観)で動く陰干という区別。
その部分を二連変化でみると、「自分なりの」という言葉が共通している。
そして「身勝手、個人的、マイペース」と自己本位になる言葉が並ぶ。
この部分を天印星が担当する。
自分勝手にすることが許される雰囲気を身につける効果とでもいうか、何をしても許される赤ちゃんの特性がここで発揮される。
実際の社会で許されるかどうかは、本元の禄存星・龍高星がきちんと稼働しているかどうかにかかってくる。
この二つの陽転は人生の方向が世のため人のためになっているかどうか。
そうした生き方においてのみ、天印星の「自分なりの」「マイペース」が受け入れられるようになる。
許される天印星か非難される天印星か分岐点は本元の星の使い方にかかってくる。
乙未では、自分がやろうとすることが、環境や相手が望んでいることかどうかが大切で、それを前提に自分なりの人生観を作って行くことで赤子のような自然体の生き方ができるようになる。
『人に好かれやすい人間味があり、深く関わってこそ魅力が伝わる。性格の根源は和合にある』
『人間関係によって学ぶことが多く、集団の中で自己の本質を見、孤独の中では自己本来の姿が消える』
赤子は人のいないところで泣いても笑っても力にはならない。
土性支は総じて、人の中に役割がある。
また、乙未は年齢と共に精神世界へと傾斜していく傾向もあって、『感性による精神世界への関心。何かを信じるような形で精神界と関わる』ことも大きな特徴になっている。
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