・前田健(1971年6月14日 - 2016年4月26日)お笑い芸人、ものまねタレント、

   俳優、振付師。


・中島忠幸(1971年6月14日 - 2006年12月20日)お笑いタレント。
 お笑いコンビ「カンニング」のひとりとして活動していた。


・前田智徳(1971年6月14日 - )は、元プロ野球選手(外野手、右投左打)、

   野球解説者。現役時代の異名は「孤高の天才」。

 

庚午でもう一つ午を持つ宿命リストに、同じ誕生日の男性が3人いて、うち二人がお笑い芸人で、どちらも早逝していたので気になって取り上げてみた。

 

昨日の筑紫さんのタバコにみられたように、牽牛星×2や調舒星と牽牛星が絡むと、私儀と大義を混同する傾向があって、自分の考えを正しいと思い込むようになる。それゆえに、強い意志力で役割を果たすことができるが、時に人の言いうことを聞かない身勝手さがでる。

それが嗜好や趣味だったりすると、そこにこだわりが生まれる。不健康だと思ってもタバコや食べ物への嗜好をなんのかのと理由を付けて自分を許して行く。

 

玉堂星×2も自説への拘泥が強く、自分が思い込むと簡単に考えを曲げない傾向になる。

 

これはこれで意志の強さであり、役割を果たす上においては非常に有効な働きをするが、主観星が重なると無意識に自分本位の活動を当たり前のようにすることがある。

 

また午の自刑は比和よりはバランス感覚が働くが、同じ支が二つという意味では、比和と同じように気持ちと現実が自然に一致していることが当たり前なので、心が欲すること「タバコを吸いたい」「肉を食べたい」に対して、ブレーキがかかりにくく、お気に入りの世界を自然に自分に取り入れるようになる。

 

・前田健さんは2016年の4月、新宿区の路上で突然嘔吐して倒れた。10分後に救急車が到着して心肺停止状態で病院へ運ばれ、集中治療室で治療が続けられていたが、その日の未明に亡くなった。虚血性心不全と病名は発表された。

 

 

一カ月くらい前のツイッターについついカロリーの高い食事をしてしまったことを悔いるようなツイートをしていた。倒れた日もパスタ店で高カロリーの食事をしていたと報じられている。

 

庚午の自分が先頭を切って、既存を変えて行く働きのためにある独自性が、二つ重なることによって独善性となって・・・加えて好きなことに対して自然にそれを現実化する比和(自刑)もあって、この身を止められないというのは、筑紫さん、と前田さんの共通の弱点だったように思える。

 

・中島忠幸さんは、苦労した長い下積み時代があって、やっと人気がでてきたのが2002年ころ。それから2年後の2004年に白血病にかかってしまい、闘病もむなしく、2006年に亡くなった。

 

白血病の原因は不明だが、売れっ子になってからは、超ハードスケジュールで、1日2時間とかの睡眠が続いたという。

また高校時代に喫煙によって退学したという記述もみられた。

 

中島さんの場合は、牽牛星に役割が入って、やっと売れてこれからという頑張りが、簡単にまげられない思い込みとなって無理が重なったのだと思われる。

 

・前田智徳さんは、元プロ野球選手。玄人受けする選手でストイックな努力家。イチロー選手、落合選手と並んで、天才の一人としてあげられている名選手。

気性の強い人で、ピッチャーが甘い絶好球を投げると、わざと見逃して、あんな球を打ってもしょうがない、と後に語ったりという記述が残っている。

 

『インタビューでは「打席に立つ目的は?」と聞かれて、しばらく考え込んだ後、「理想の打球を打ってみたい、ということかなぁ」と答えた』

 

同じ宿命でも、お笑いの二人とは好対照の道を行っている。私儀が大儀のほうへと吸収されて、野球がそのまま生きがいになり、目的になり、そこで自己同一作用が起こる。周囲が見えない独善は先頭を切って我が道をゆくお手本となり、観客に野球を通して生き方を示しているように思える。

 

 

運勢的には、働き盛りに日干庚の死地春を30年過ごすことになり、自分(日干黄色)は決して楽な行程にはいなかった。

結果的には死地で無理をしてさまざまな出来事に遭遇したことになるが、亡くなった位置も前田選手が大けがをした位置もまったく違っている。

 

天中殺に怪我や病死に遭遇しているが、天中殺が怪我をさせるわけではない。

天中殺が命を奪うこともあり得ない。

もしそれがあるなら、前田健さんも何か起こるべきだろう。

ある時は起こり、ある時は起こらない、同じ誕生日でも、ある人には起こり、ある人には起こらない、とするなら、それは運勢が現実を作っていないという証左だろう。

 

運勢が人や時間を選んで起こったり、起こらなかったりさせているとするなら、位相法や気グラフなどでそれを読み取ることは不可能。占いの意味はない。

 

すべては日干が作っている現実に対して、運勢は材料を与えたり、天中殺は時に既存を払って自由に生きさせる時間帯を与えているだけのこと。

 

それをどうするかは日干の問題で、そこで何が起こるかはそれまでの日干の作ってきた現実によって変わる。

運勢がこうだからこうなりますという答えは簡単には出せないし、その通りにはならない。それは三人三様の異なる人生をみれば明らかだろう。

 

前田さんは絶望視された大けがから立ち直って天才と呼ばれるほどの活躍をした。

すべては必要があって起こっているとして、善悪で物事を判断しないように心掛けている。

 

同じ誕生日でも、お笑い芸人とプロ野球選手、性格も人間性もかなり異なる人ができるのは前提。

〇〇だから〇〇です。という算命学の答えでは、当たり外れが出るのは当然で、起こる出来事もみんな異なっているとしたら、運勢の在り方も考える必要があると思えてくる。

 

庚午の検証にはならなかったが、同じ誕生日の違う人生を観るたびに、占いの難しさとあり方を考えてしまう。

 

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